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あえて逆境に身を置いて自分を成長させるのが好きなんです:人とのつながりを起点に築くキャリア構築論

國枝 孝典|Takanori KUNIEDA

マーケティング部長, Cytiva - Japan

記事作成日:2021/01/12

―――「ライフサイエンス」に興味をもったのはいつ頃ですか?

ありきたりかもしれないですけど、子どものときから生き物とか好きでしたね。学校の教科でいうと、理科には昔から興味がありました。理科の中でも結構好きだったのが「生物」。夏休みの自由研究ってありますけど、県とか文科省で表彰されるような自由研究って、大体学校の先生が面倒みていたりしますよね?

何年生の時か忘れちゃいましたけど、中学校の理科の先生が私と同級生2人くらいに「やってみる?」と声をかけてくれて、3人でその自由研究で「唾液アミラーゼ」の研究をしたんですよ。何をやったかというと、寒天培地をつくって、そこにヒト以外の動物の唾液や植物の消化酵素を使って、紙のパンチってあるじゃないですか、穴あけパンチの捨てる方(丸い方)に唾液とか酵素を染み込ませて、それを培地の上に置くと、そこから展開していくんです。

それをヨウ素液で染めると消化されているところには色が付いて、残っているところがデンプン(紫色)、なんですね。どういう結果になったのか忘れましたけど(笑)、ワクワクしてほんとうに楽しくてそんな記憶が残っています。夏休み中に、いろいろな動物の唾液を農家さんのところに行って採取したり、夜9時とか10時とかまで中学校の理科室に残って、当時パソコンでデータをまとめたりしてました。

今思えば、これが本格的にやった“はじめての実験”ですね。そのとき指導してくれた理科の先生が、どこまで本気かわからないですけど、実験しているときに「お前たち、将来は研究者になれよ」って言ってくれたんです。先生としては、こういう実験に興味を持つ生徒っていうのは増やしていきたいし、うれしいっていうのがあったんでしょうね。

岐阜県出身なので、まわりは自然に恵まれていて、それまでは虫や魚を捕まえたりとか、そういう遊びのレベルだったので、「研究者」という仕事が自分の中に芽生えたのが、まさにこの時かなと思います。

こういう先生や「人との出会い」って大きいですね。正直進路とかって、いつまでにどんな仕事やりたいかとか、その準備をしないととかいうけど、そんなの考えられるわけないじゃないですか。仕事をしてみるまで正直わからないところもあって。仕事を始めてからも一番自分がやりたい仕事ってほんとうにこれだったかなって(笑)。最初からそれが定まっていて、最初からそれに取り組めて準備できて、という人はほんとうにラッキーな人ですよね。そういう方は少ないわけで、やっぱり人は、強力にリードしてくれる“人”や印象的な“できごと”などに大きく動かされて進んでいくんだろうなと思っています。

そのあと高校時代まではスポーツ三昧で、とにかく部活の水球ばっかりやってましたね。でも理科は相変わらず好きでした。理科の教科のなかではやっぱりダントツで生物が好きで、別に物理も嫌いではなかったですが、生物を選択していたので(大学受験の選択科目では)物理は取ってないんですね。そして、大学では、水球を続けるという選択肢もあるにはあったんですけど、よく考えてそっち(水球)ではないなと。生物を勉強したかった。ちゃんと研究者の道を考えたいなと思ったのです。ちょうどそのころ、哺乳類の体細胞クローン技術で誕生した「クローン羊のドリー」のニュースが世界中に配信されました。遺伝子工学や生物工学にグッと気持ちが向きましたね。

―――大学時代の研究のテーマは?

NASAスペースセンターにチームビルディングで訪問した時。遊ぶときは童心にかえって徹底的に(笑)

ドリーの流れで、マウスの体細胞クローンについて研究をしたんですけど、当時、哺乳類の体細胞クローンは成功確率が非常に低く、1%~とかそういうレベルだったので、その作製効率をなんとかして上げたいということがあって。実験動物であれば、この技術を利用することで同一の実験動物という資源を安定的に増やしたり、家畜動物などの観点からは、高品質な家畜、遺伝的な優秀な素因をもった家畜を増やしたりできる。先にはこうした産業応用があるわけですけど、研究は体細胞クローンの作製効率の改善というのがメインテーマでしたね。卒業論文と修士課程まで、このテーマで続けました。

将来的なキャリアとして研究者になりたいというのがあったので、そのあと博士課程に進学するものだと考えていましたが、当時大阪の某研究所がちょうど新しくできたところで、修士課程修了のタイミングで、そこの技術補助員のポジションがある、そこで働きながら、実験して論文書いて論文博士を取得という道もある、と指導教官に提案されまして・・・。大学の先生以外で今まで会ったことのない自分が目指す「研究者」という職業の人たちは、一体どういう人たちで、どういう環境でどういう風に仕事をしている人たちなのか―――。実際興味があったので、自分がそこで長く仕事をしていこうと思うのであれば、早めにその現場を体験したいなと思い、博士課程への進学に後ろ髪を惹かれる部分もありましたが、新卒ではその研究所に就職しました。

―――研究者から転身したきっかけは?

所属していた研究室のお題目のひとつには、バイオリソースを必要な研究者に効率的に配布していくっていう「バイオリソースバンク」っていうのがちょうど盛り上がってた時代だったのもあり、「実験動物のバイオリソースバンク事業を立ち上げる」ことがありました。ただ、そういうものをつくるときって、対象となる実験動物を受け入れて保管して配布していくっていうプロセスやワークフロー、技術基盤はもちろん大事なんですけど、結局そのみんなが使いたいと思う実験動物がきちんとライブラリーにあり、それが研究者の皆さんに周知されている(今でいうビジネスディベロップメントやマーケティングみたいなものですけど)、そういったビジネスをやっているんだなと気付きました。

だから大学や研究機関などを訪問して、よく引用されている有名な論文で使われていたマウスなどの遺伝子改変動物をぜひ預けてください、論文がパブリッシュされたあと、ほかの研究者から希望があったときに代わりに分譲しますよとお願いして回りました。昔って、論文の著者に直接コンタクトして「この動物ください」って依頼してたんですけど、研究者は繁殖の専門家でもないし、時間も手間もかけたくないだろうし、そこを効率化しないといけないというのが先生たちの中にもペインポイントとしてあった。こうしていろいろなところに話に行って資源を集めて事業を立ち上げていく過程って、ラボで研究しているより面白いなと感じるようになって、自分にはビジネスのほうがあっているんじゃないのかなって思ったのがこの時ですね。研究者ってところから少しキャリアの方向性を変えようかなと思ったきっかけです。

―――ライフサイエンス業界に入ってからよかったこと、辛かったことは?

そうして、はじめてライフサイエンスの企業(前職の会社)へと転職しました。前職では営業職からキャリアが始まりました。当初は(研究職から)畑違いの仕事になったので、がむしゃらにやりましたね。テクニカルなところも担当する技術営業だったので、そういう意味ではお客さまとのやりとりは十分手ごたえを感じながら仕事ができましたね。営業の皆さんに怒られるかもしれませんが、個人の感覚として、結構営業の仕事はスポーツ感覚でやってました。しばらくしてマーケティングも手掛けるようになり、当時の上司が「ビジネススクールに行ってみない?」と勧めてくださったこともあって、仕事をしながら週末にMBA取得に取り組むことになりました。約2年のプログラムだったのですが、実際に入学してみると、想像していたより結構きつかった。近年の中では一番辛かった記憶ですね。仕事が終わってから、遅いときだと夜12時~1時くらいまで勉強して、週末土曜も日曜も朝8時~18時で授業。そのとき2人目の子どもが産まれて半年くらいだったので、家族はみんなきつかったと思います。週末ひとりで子どもをみてくれていた妻のほうが辛かったかもしれません。

ビジネススクールにはさまざまな環境の方が在籍していて、経験もさまざま。いろいろな話をすることで学ぶことがたくさんありました。座学ではいろいろな理論を学びますけど、私は「ネットワーク」ができるということが強みだと感じましたね。いろいろな人の考えを聞けたり中には社会的地位の高い方もいるわけですが、そういう方たちと苦楽をともにしたからこそフランクに話ができたり、相談できたりするわけです。いろいろなことを考える上で、そういう刺激を受けることのできる機会に恵まれたことは、よかったですね。日本では、一回大学を卒業してしまうと、なかなかもう一度学校に行くことは少ないですよね。学校っていうのは何度行ってもいいものだなと感じています。ある程度社会人経験があって、それから行くときの方がそれなりの覚悟をもって行きますし、得られるものが大きかったりするかもしれません。もちろん辛い面もありますけど、そういうものを人生観として学べたのも今ではよかったなと思えます。

そのあとしばらくして、Cytiva(入社時はGEヘルスケア ライフサイエンス)へ2回目の転職。ビジネススクールでいろいろな方と話したりする機会が増えたり、そこからまたいろいろなことを考えたりするというのもあったのですが、なぜそういう決断に至ったかというと、もう少しライフサイエンスの業界を多角的にみるために今までと違う視点からみてみるのが大事かなと感じたんですね。そういった思いからこの決断に至りました。

前社の上司との出会い、そしてその上司の勧めでMBAに行き、中学校の理科の自由研究の先生や大学の恩師もそうですけど、人との出会いやご縁がきっかけになって今があります。まわりの方たちに本当に恵まれています。

―――仕事で大切にしていることは?

仕事のなかで大事にしているのは、自分を成長させるためにかなり厳しいだろうなって思えるような、いわゆる”コンフォートゾーン”ではないところへ自分自身を置く、その中で自分を成長させるっていうやり方ですね。でもこのやり方だと、最初絶対にうまくはいかない。そりゃ、いきなりうまく行くはずないですよね(笑)。最初それなりに空回ったりまわりが受け入れてくれなかったり、自分でできないことがいっぱいあったり、そういったものを1つひとつ積み重ねていって、最終的に自分が思っているところへたどり着くっていう過程をあえて自分に課して新陳代謝していく。これって結構しんどいんですけど、それをちゃんと繰り返していかないと、正直自分は用無しになっていくんだろうなと(笑)。ありきたりかもしれないですけど、変わっていかないといけないなと。一定のレベルに留まって現状維持するだけでも、常に変わっていないと維持すらできないので、さらに先を見据えると「変化」を自分の中で大事にして忘れないようにしてますね。

お酒も少々(?)飲みニケーションのひとコマ(出張時の写真)

あと、今のコロナ禍で気をつけているのは「閉じこもらないこと」。自分からアクティブにいかないと、(こういう環境だと)閉鎖されるじゃないですか。家から一歩も出なくたって仕事はできてしまう。逆に危機感をもって考えないといけないと思うけど、むずかしい話じゃなくて、なかなかいまの環境では経験できないこととか、話ができない人とか会えない人とかとコミュニケーション取ったりとか、自分を横に広げていくっていう機会をつくったりすることだったり、今よく耳にする副業とかもひとつの選択肢になりますよね。

―――コロナ禍リモートワークで変わったことは?

リモートワークのなかできついなと思ったのが、Web会議で新しいことを考えなきゃいけないようなディスカッションをするとき。同時にひとりしか話せないことに最初やりにくさを感じましたね。今はみんなが慣れたから大丈夫ですが、話す順番待ちをしないといけないので、待っている間に議論が変な方向いっちゃったりとか、時間経っちゃって今更な感じになっちゃったりとか。なので考え方をちょっと変えて、以前は会議にいきなり行ってみんなでディスカッションしていたのを、事前に準備してWeb会議に臨むやり方に変えてみました。準備をしてもらう方も、準備する方もお互いのコミットメントが大事。そういう今まで必要でなかった、やらなくても何とかなってたところを何が変わったのかということを、ちゃんと見定めてみる。そういう風にトライ&エラーしていけば、まあ結構何とかなるのかなと。このコロナの環境の中で学んだことのひとつかなと思います。

MBA時代の話に戻りますけど、基本的にオフィスで会う人たちって同じ国の人たち。違う国で離れている人たちとは、もともと電話とかWeb上とかでしか会わない。そういうヴァーチャルチームのマネジメントはすごく難しいっていう話がITの授業かなんかであったんですよね。たしかにそうだなって当時思ったんですけど、それがまさかコロナ禍によって自分のチームの現実になるとは・・・!思わなかったですね。いまは、もともとよく知っている人たち、普段から会っていた人たちとこの状態に突入していますけど、全然知らない人たちとゼロから始めたら、、、どういうプロセスを経ていくんだろうなと。新しく組織に入る人も新しく受け入れる側も、そういったところは気をつかわないといけないですよね。

―――コロナ禍でのリモートワークと子育ての両立はどのように?

我が家は、小学生1人と保育園児2人、3人の子育てをしています。2020年4~6月の最初の緊急事態宣言のころは、「どうやって両立しようか」と考えていたんですけど、自宅で仕事中に子どもが近くにいるわけで、「ちょっと静かにして」とか怒ってしまうことがよくありましたが、自分がいるのは家であってオフィスではないので、子どもの居場所を奪ってしまうようなことは言っちゃいけないなと。仕事中に少しブレイクするときは、こちらから積極的に遊んであげるなど、気を付けていました。

仕事も同じで、慣れていない状況になるとどうしようかって悩みますけど、慣れていないとか自分にとって挑戦的な環境の中にいるときって、そのときメチャクチャしんどい。それが最近はあまり当初ほど困難に感じることはなくなってきたのですが、それは大人だけでなく子どもも時間をかけて状況を理解して、それぞれがこの状況に対して、頑張って対処していった結果だと思うんです。何が変わっているかはわからないんですけどね。でもみんなの努力のおかげでなんとかいまの環境が成り立っているんだな、と改めて家族には感謝しています。子どもが帰宅すると私がいますし、夜仕事するにしても、夕食も一緒に食べられますし、うれしいみたいですよ。子どもたちは前には戻りたくないって言ってます。奥さんは聞いていないのでわからないですけど(笑)。

―――今後やりたいことは?読書?

私は、多角的にキャリアを作っていきたいなと思っています。当初目指していた研究者が真理を追究する、っていう意味で深堀りするもの嫌いじゃないですけど、掘って広げての繰り返しで。研究者ほど掘り切るほどの才能がなかったのかもしれないですけど(笑)実験は好きだったし、研究者は研究者でほんとうになりたかったし、営業も営業で好き。できることをもっと広げていきたいですね。

私はプライベートと仕事ってそこまでわけていないんですよね・・・・。ダラダラと仕事をしているわけではないですが、常に何か考えているっていう意味では(プライベートと仕事は)混ざっているかんじです。研究者とかそういう感じですよね。普段から考えている。それも昔、大学の先生から言われたことがあって、何やっている時も常に頭の中で考えていかないと、なかなか新しいアイデアやひらめきなんてないからと。だからOFFでリラックスしたいなとはあんまり思わないですね。ジムに行って集中している時には余計なことは考えてないかもしれないですけど(笑)、そういう時以外はいろいろ考えてますね。ワーク・ライフってわけるんじゃなくて、これは好きでやっているんですよね。以前は通勤の時に本を読んでいたのですが、この時間がなくなったのがめちゃくちゃ痛手です。この一年で去年と比べてどれだけ読書できてないか・・・。読書から得られるものって結構大きいのですが、家の中で読書の時間を確保するのはなかなか大変。子どもがいないところでないとね。休日も読めないですしね。今後やりたいこととは違うかもしれませんが、いまは読書タイムを捻出したい!

“人とのつながりを起点に築くキャリア”


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