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細胞夜話 第33回:人"工"密度が大活躍 - 細胞分離ぐるぐるまわるカルーセル(Carou"cell")今では高校の生物の教科書にも書いてあるようなことですが、細胞の生化学的な機能のそれぞれを、細胞のどの部分が担っているのかが、かつては細胞学の大きなテーマでした。 染色して顕微鏡で観察するのも有効な手段ですが、多くの場合、染色すると細胞内小器官の機能は失われてしまいます。細胞を構成する部品を取り出して、それぞれの機能を調べたい、そう思った研究者たちが目をつけたのは、遠心分離機でした。 細胞の分画に遠心分離を初めて用いたのは、チュービンゲン大学のフリードリヒ・ミーシャーだったようです。はじめて核酸の存在を示した1869年の研究で、使用していたそうです。もっと現代に近いところでは、1930年代にベルギーの生物学者アルベルト・クラウデが、速度を変えながら遠心することで細胞内小器官を分離する分画遠心を開発しました。 細胞内小器官の分画に今日でもよく使われる密度勾配遠心は、もうちょっと後、1950年代に発表されました。細胞や細胞断片の分離に密度勾配遠心を使った最初の例は、ブルックリン植物園のマイロン・ブラッケが1951年の論文で示したショ糖密度勾配遠心のようです。ただ、ブラッケの論文の書き出しには、密度勾配遠心はとても効率のよい方法だけれど、論文になっていないようなので概要を説明する、とありますので、ブラッケがこうした用途に密度勾配遠心を使った先駆者かというと、そこはちょっと疑問です。 ないものは、作るしかないそれからすぐに、アラビアゴム、デンプン、アルブミンをはじめとするタンパク質、ポリビニルピロリドン、造影剤のトロトラストなど、いろいろな材料を使った密度勾配が提案されましたが、幅広く使えるものはありませんでした。ビールメーカーとして有名なカールスバーグの研究所に勤務するハインツ・ホルターとマックス・メラーも、細胞や細胞断片の比重を決めるための密度勾配遠心の際に、しばしばちょうどよい勾配を形成できる材料がなくて困っていました。 1950年代の中頃、彼らはファルマシアでデキストランを研究していたビョルン・インゲルマンに、何かいいものを作れないかと相談しました。ホルターたちが示した要件は
といったものでした。デキストランを元にファルマシアで合成した新しい分子を、カールスバーグのホルターたちがテストするという役割分担で、2年間の共同研究を行い、前述の要件をほぼ満たすものができました。その分子は、開発を担当したフローディンとインゲルマンの名前にちなんで、Flodin Ingelman Colloid→Ficoll™と名付けられました。 ホルターたちはFicoll™が大いに気に入ったようで、1958年にFicoll™の特徴を紹介する文献を出しました。その中で、製品版は塩を含む溶液なので使う前に透析か沈殿が必要、と使い方を指南しています。その中で、Ficoll™を凍結乾燥する場合は濃縮してはいけない、と警告しています。その理由は、フラスコが割れる危険があるからだそうです。わざわざ言うからには、きっと「やってしまった」に違いありません。 赤と白免疫の研究では白血球が重要な材料になりますが、血液には大量の赤血球も含まれています。そこで、赤血球と白血球の比重の違いを利用して分離する方法が1947年に考案されました。血清アルブミンを加えて遠心することで、アルブミンより比重の高い赤血球が沈殿し、白血球が残るというものでした。翌1948年には、もっと安価なアカシアゴムを使う方法が考案されました。 また、赤血球を溶かして白血球を回収する方法も、同時期に報告されました。 こうして、いろいろな方法でとりあえず白血球を分離することはできるようになりましたが、白血球へのダメージ、とても高価な試薬、試薬調製の手間などの問題で、あまり実用的ではありませんでした。 そんな中、毒性がなく安価なFicoll™に注目した研究者もいて、例えば1967年に、ウェストオンタリオ大学のピーター・ノーブルたちはFicoll™を用いた密度勾配遠心を紹介しています。 そして1968年、109ページもある長大な論文が発表されました。 深く静かに沈降せよノルウェー防衛研究所のアルヌ・ブーユムは、細胞の大きさ、密度、溶媒の密度と粘性が、細胞の沈降速度におよぼす影響を詳細に検討した上で、ごく手軽に赤血球と白血球を分離する方法を紹介しました。 筆者からのお願い この長い論文の著者であるBøyumの読み方が難問でした。3時間ほどいろいろと調べて悩んだ結果、ブーユムであろうと推測したのですが、あまり自信はありません。ノルウェー語に堪能な方がいらっしゃいましたら、ぜひBøyumのノルウェー語での読み方をご教授ください。 ブーユムの方法は、粘性が高く密度が低い上に赤血球を凝集させる作用のある物質(メチルセルロース、デキストラン、Ficoll™)と、高密度で粘性が低い物質(Isopaque、EDTA)を混合した溶液の上に、抗凝固処理した血液を載せて放置もしくは遠心するというものでした。密度と粘性を適切に調製すると、界面で凝集した赤血球は沈降し、界面付近に白血球が残るので、簡単かつ効率よく白血球を回収できました。 ※Isopaqueはメトリゾ酸ナトリウムの商品名。X線造影剤として用いられています。 この方法は手軽で、細胞へのダメージも少ないことから、ブーユムが考案した組合せの中でもFicoll™-Isopaque法が数多くの研究者に採用されました。ある論文では、10分でできるリンパ球調製法としてこの方法を紹介しており、題してInstant Lymphocytes(即席リンパ球)。その簡単さが際立ちます。 さて、そんなブーユムの論文は、
という内容で実に整然と組み立てられていますが、後年ブーユム自身が述べたところによると、実際の研究の流れはまったく異なるものだったそうです。 偶然の選択と遠心機の順番待ち科学論文というものは、大抵はある種の後付けの合理化を含んでいる。 1968年の報告につながる研究をはじめたのは、その7年前の1961年でした。開始時点の目的は、骨髄移植に伴う免疫反応の研究で、そのために骨髄のリンパ球を単離したかったのです。リンパ球の沈降速度は遅いので、密度勾配遠心ですぐに単離できるだろうとたかをくくっていたのですが、これが長い苦難のはじまりでした。 最初の2年間、どんな密度勾配を作成してもリンパ球は期待通りに動いてくれませんでした。困り果てたブーユムは、怪物じみた遠心機を自作するところまで進んだそうです(その遠心機は動かなかったそうですが)。 問題は密度と粘性を別個に調節できないことで、ある日、2種類の材料を混ぜることを思いつきました。ここからようやくブーユムの研究が進みはじめました。この時、密度の調節のためにIsopaqueを選んだのは幸運だった、と述べていますので、Isopaqueを選んだのはさほど深い考えがあってのことではなく、X線写真で観察できたら便利だろうくらいだったのかもしれません。 また、実験をシンプルにするために、サンプルを骨髄から血液に変更しました。 こうして準備を整えたある日、遠心機の順番待ちをしていたところ、界面で赤血球が凝集して沈降しはじめたのに気付きました。ブーユムは遠心機にかけるのを止めて、そのままどうなるか観察することにしました。こうして、遠心なしで沈降させる方法の研究に進みました。ブーユムによると、沈降についての物理化学的な側面の勉強を本格的にはじめたのは、この後だそうで、決して論文にあるように沈降についての知見からスタートしたわけではなかったのです。 研究開始から3年半が経過した頃、ようやく血液から単核の細胞だけを単離できるようになりましたが、分離に使う溶液の組成と密度の最適化が終わったのは、それからさらに1年が過ぎた頃でした。 免疫反応の研究を目的にはじめた実験ですが、やってみると細胞分離技術の開発も面白く、ブーユムは自分の研究方針を切り替え、溶液の密度を調節してさまざまな生物の細胞を分離する方向に進んでゆきました。 その後、ブーユムの溶液組成に基づく製品がいくつも発売されました。その様子を見て、一部の研究者はブーユムが金持ちになったのではないかと思い込んでいるようでしたが、ブーユムによると「得られたものは多かったけれど、お金ではなかった」そうです。また、密度を調節していろいろな細胞を分離する研究が印象に残っていたのか、ブーユムがイギリスのある研究者に会った際には「Bøyum? oh, the density man.(ブーユム?ああ、あの密度の人だね)」と言われたのだとか。 ブーユムの研究の流れをそのまま説明されても、分かりやすいとは思えませんし、参考にして実験を行うのも大変でしょう。そう考えると、論文執筆の際には大幅な再編も当然のことだとは思います。ただ、完成にいたるまでの紆余曲折にも学ぶものは多いので、どこかで公開しておいてほしいなあ、夜話作者としては思います。 ブーユムは論文の中で、Isopaqueよりも毒性が低く、水に溶けやすい物質があれば、それに切り替えてもよいかもしれない、と改良の方向性を示唆していましたが、1970年代中頃にはIsopaqueの代わりに、Hypaqueを用いる変法が考案されました。 ※Hypaqueはジアトリゾ酸の商品名。同じくX線造影剤として用いられています。 Ficoll™の製造元であるファルマシアは、Ficoll™-Hypaqueを主成分とするFicoll-Paque™を製品化し、今日でも品質を向上させた後継品Ficoll-Paque™ PLUS、Ficoll-Paque™ PREMIUMを販売しています。 参考文献
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