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細胞夜話 第34回:キッチンからラボへ - オートクレーブ台所の物理学17世紀のさまざまな物理実験から、気体の温度と圧力の関係がわかってきました。その知見をとある日用品に応用したフランスの発明家がいました。 ドニ・パパンは、アンジェ大学で医学の学位を取得しました。しかし臨床にはあまり興味がなく、むしろ自然科学や工学に関心があったため、大学卒業後はパリの科学アカデミーで空気ポンプの研究に取り組みました。その後ロンドン王立協会に移り、空気ポンプを用いた気体の研究で名高いロバート・ボイルの助手を勤めました。ちなみに、ロバート・ボイルは、ボイルの法則やボイル=シャルルの法則で、今日の物理の教科書にも必ず登場する物理学者です。 パパンはボイルの助手としてはたらきながら研究を進め、1679年に王立協会でSteam digesterなる装置を公開しました。Steam digesterは食品を調理し、骨を柔らかくするための釜で、蓋をしっかりネジで密閉することができ、釜の中の気圧を調整するためのおもりと、圧力を逃がすための安全レバーがついていました。この構造により、Steam digesterは内部の圧力を高く保ち、100℃を超える高温の蒸気で食材を処理することができました。 小難しく書いてみましたが、早い話が圧力鍋です。 1681年にパパンが出版したSteam digesterの書籍には、圧力鍋を用いた今日の調理法とほぼ同様の内容が紹介されていました。1682年には、王立協会でPhilosophical Supperという行事を開催し、すべてSteam digesterで調理した食事を振る舞ったそうです。 なお、パパンは発明が好きで、いろいろと作ったようですが、精巧すぎてあまり実用的ではありませんでした。上記の圧力鍋は貴重な例外のようです。パパンは医学の学位をもっていましたが、圧力鍋はもっぱら料理のためにのみ使用し、その他の用途には用いませんでした。 余談ですが、1679年は、日本では徳川幕府4代将軍家綱の時代にあたります。 安全装置パパンの発明から140年が過ぎた1820年、英国で発行されている科学雑誌Philosophical Magazineに、ある発明品についての報道記事が掲載されました。 フランスの原語学者兼発明家、ピエール・アレクサンドル・ルマールが、パパンの圧力鍋を改良したオートクレーブなる調理器具を発明したとのことでした。パリの盲学校で1か月前から使いはじめたばかりで、一般に発売すればかなり売れるだろうと記者は結んでいます。 ルマールが改良したポイントは、安全面でした。ルマールの圧力鍋は内部の圧力が上がると自動で施錠されるようになっていました。この改良によって誤操作で開けてしまって、高圧の蒸気を浴びることがなくなりました。ルマールは自動で施錠されるところから英語のauto lockに相当するオートクレーブという名前をつけました。 なお、ルマールのオートクレーブもあくまでも調理器具であり、滅菌とは関係がなさそうです。 細菌"説"の証明のために実績はあるが根拠はない加熱による滅菌がそもそもいつはじまったのか、という話になると、意図してかどうかはわかりませんが、食材を火で調理すること自体にもその効果はありますので、生物学ではなく考古学の世界です。そこで、もう少し新しい時代の、ある程度意識的に行われた事例から入りたいと思います。 1795年、フランスの革命政府は陸軍の食糧問題に悩まされていました。革命を危険視する周辺各国の対仏大同盟に一旦は守勢に回ったものの、1794年あたりから形勢は逆転し、フランス陸軍はフランス国外の北海沿岸やラインラントで戦っていました。さて、本国を遠く離れた時に問題になるのが兵站、つまり武器弾薬や食糧など軍需品の補給です。この時代の弾薬の消費量は後世のそれに比べれば小さなもので、特に重要なのは食料と馬の飼料でした。フランス軍は他国に先駆けて常設の軍需品倉庫を用意する先進的な軍隊でしたので、補給問題にも他国以上に敏感だったのかもしれません(それでも、現地での徴発をしないと軍隊を維持できなかったのが実態ですが)。 フランス革命政府は、広くアイディアを募集することにして、食料の劣化を防ぐことができる上に輸送も容易な方法の開発に1万2000フランの賞金をかけました。 菓子職人兼シェフのニコラ・アペールは、この課題に対して瓶詰めを提案しました。瓶に食品を詰め、コルクで軽く栓をして、沸騰している湯で数時間加熱します。それから空気を抜き、ワイヤーと封蝋で密閉してできあがりです。瓶詰めを発表したアペールはめでたく賞金を獲得できましたが、研究にはたいへん時間がかかっており、1810年、革命政府はすでになく皇帝ナポレオンの時代になっていました。 現代の知識からすれば、加熱滅菌と密封による酸化および細菌の侵入防止ということになるかと思いますが、アペール自身は、どうしてこの方法で食料の保存性が高まるのかはわからなかったようです。 蒸気式乾熱滅菌アメリカ人の医師ウィリアム・ヘンリーは、地元の貿易商からある相談を受けました。貿易商はエジプトの綿花を輸入していたのですが、商品価値を損なわずに、効率よく病気の持ち込みを防ぐ方法はないか、ということでした。その当時は、隔離による検疫しか方法がなく、どうしても時間がかかってしまいました。 その当時、塩素を用いた消毒はすでに知られていましたが、塩素は植物性の素材と反応することもありますし、必ず洗浄も必要になります。また、少しでも塩素が残っていれば、紡績機に悪影響をおよぼします。病原体を破壊しようとする方法は商品の性質から難しいと判断したヘンリーが目を付けたのが、熱でした。生物のバランスは精密で崩れやすいため、病原体が生物であるなら、沸点近くまで温度を上げれば、無毒化できるだろうと考えたのです。熱によって原子の数や比率が変わることはないものの、(当時の)化学では説明できない方法で原子の並びに変化が生じる、とヘンリーは書いています。タンパク質の熱による変性を指しているのではないかと思います。 ここでちょっとヘンリーの話から逸れます。ヘンリーが研究成果を発表した19世紀前半、病気の伝染については2つの説がありました。1つは「悪い空気(瘴気)」に触れることで病気になるとするミアズマ説、もう1つが微小な病原体(コンタギオン)との接触によるとするコンタギオン説でした。コンタギオンはその当初から何らかの生物であると推定されており、今日の知識では後者が正解ということになるのですが、パスツールが細菌による発酵と腐敗を研究する前ですので、ヘンリーが研究した時期はまだ決着はついていませんでした。なお、ヘンリー自身は微小な生物であろうという前提で研究を進めていますので、ヘンリーはコンタギオン説を支持していたのでしょう。 さて、ヘンリーの研究に戻りましょう。 綿製品の商品価値を損なわないことが研究の要件の1つでしたので、まず高熱で綿花や加工品が傷まないかを調べ、80℃以上の高温でも問題がないことを確かめました。 次は病原体の無毒化ですが、本物の病原体は危なくて試せないので、予防接種のワクチンを加熱し、こどもに接種してみる実験を行いました(これも今日では、人体実験だ、と非難されそうですが)。その結果、65℃ではワクチンの接種による膿疱ができず、48℃では膿疱ができました。 これを受けて、65℃を越える熱を効率よく与える方法として、消毒装置を考案しました。病原体としての微生物を意識して考案され、蒸気を熱の運搬に用いる滅菌装置としては、筆者が調べることができた限りではこれが最初の例になるのではないかと思います。 ヘンリーの消毒装置は二重底の釜で、二重底の隙間にボイラーで湯を沸かして発生させた蒸気を送り込み、内部を加熱する仕組みでした。直接火にかけるよりマイルドな条件を実現することができ(水の沸点以上の温度にはならないので)、商品である綿花や綿製品が吸水することを防ぐこともできます。ヘンリーはこの成果を1831年に報告しました。 この報告はワクチンの不活性化を根拠に実験しているからか、さらに翌年の1832年には、より実態に即した実験も行っています。それは、衣類からの接触感染が起こると考えられていたチフスや猩紅熱の患者が着用していたベストを加熱消毒し、こどもに着せてみる、という実験でした。やはり、この実験でも高温で処理した場合は、病気が発症することはなく、加熱消毒の有効性が示されました。 とはいうものの、ヘンリーの消毒装置はその構造上、100℃を超える温度は実現できません。配管や釜から熱が逃げることを考えると、釜の中の温度は90℃をなかなか超えないのではないでしょうか。そんな温度で大丈夫?と言いたくなりますが、やはり大丈夫ではありませんでした。 自然発生説の否定のために紀元前のアリストテレスから長く続いた自然発生説(生物が親ではなく物質から生まれるとする説)も、1860年代のパスツールの実験でほぼ否定されようとしていました。しかし、それでも根強く自然発生説を支持する論者はおり、1876年にイギリスのバスティアンは新しい実験結果を出して自然発生の証拠であるとしました。パスツールは煮沸した尿では細菌は繁殖しないとの結果を出していましたが、バスティアンが追試したところ細菌が発生したというのでした。パスツールはそれに応じて自分でも追試を行い、バスティアンの結果を確認しました。しかし、パスツールはこの結果を自然発生によるものではなく、煮沸だけでは滅菌が不十分だったのではないかと切り返しました。 バスティアンの実験から15年前の1861年、パスツールは種子や胞子の耐熱性についての記事を執筆しました。高等な植物の例として、110℃で熱処理した小麦が発芽したという報告や、100℃で処理したクローバーが発芽したという報告を紹介しました。また、真菌の胞子はさらに高い温度に耐えることができ、120℃で処理してもまだ繁殖力があり、127~!30℃でようやく不活性化できたという事例を紹介しました。バスティアンの結果に対して、滅菌が完全ではないという推測を返したのは、こうした過去の事例があったからでしょう。 パスツールのラボのシャルル・シャンバーランは、バスティアンの結果の追試を行い、フラスコの滅菌が不十分だったのが原因で、正しく滅菌すれば細菌は繁殖しないことを1878年に示しました。 その後、シャンバーランは微生物の繁殖についての博士論文を執筆しました。その論文の中で、培地とフラスコを高圧・高温の水蒸気中で滅菌する方法について論じました。シャンバーランは圧力鍋を改造した滅菌用のオートクレーブを試作し、これが今日ある滅菌用オートクレーブの元祖となりました。 なお、パスツールたちと同時期に細菌の研究で大きな功績を残したコッホは、シャンバーランの発明に対して、そんなに高温にしたら培地の成分が損なわれるのではないかと疑問を呈し、加圧しない(気圧は変わらないので温度は100℃まで)蒸気式滅菌器を考案しました。しかし、後にコッホも100℃以上での滅菌の利点を認め、シャンバーランのオートクレーブの改良に取り組みました。 パスツール、コッホという近代細菌学の開祖とされる2人のラボで使われたことで、オートクレーブは標準的な滅菌法の1つとして広まってゆきました。 オートクレーブは圧力鍋に先祖帰りできるかさて、大学院生時代にラボの先輩から聞いた話です。曰く、オートクレーブでイモを蒸かすとおいしくできるらしいよ。 確かに原理的にはできそうですし、オートクレーブはそもそも改造した圧力鍋に由来していますので、本来の使い方に戻ったと言えなくもありません。ただ、筆者の周りで聞いてみた限りでは、その話を聞いたことがある、という人はいても、実際にやってみた人はいませんでした。 研究用器具で料理をするのもどうかと思いますし、研究室の都市伝説といったところでしょうか。培地を処理した後のオートクレーブではにおいが気になりそうですので、実行するとしたら新品のオートクレーブを買った直後くらいしか機会はなさそうです。これも実際にやってみた人がいない理由かもしれません。 一方、この逆の話なら文献になっており、設備がない環境で医療器具を滅菌するために圧力鍋を改造して使う方法が紹介されています。 2012.04.23追記:イモではありませんが、実際に食材をオートクレーブで処理する実験を行ったという逸話をいただきました。 大豆の蒸煮イモではありませんが、希望者だけで先生の指導の下に、オートクレーブで大豆を蒸煮して味噌を仕込むという学生実験を行いました。地下室で1年間寝かせた後に試食すると、たいへん美味しかった記憶があります。同様に納豆も作りました。 参考文献
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