バイオダイレクトメール vol.36 細胞夜話
<第1回:Escherichia coli K-12株>
今をさかのぼること半世紀以上、後にノーベル賞を受賞することになるJoshua Lederberg(1925- )の研究室で、学生たちがBacterium coli(当時はEscherichia coliではなくBacterium coliと呼ばれていました)の栄養要求性突然変異株の作成に取り組んでいました。その中で、K-12の席にいた女子学生が、たまたま2種類の変異株を混ぜ合わせると、最少培地でも生育できる原栄養体ができることを発見しました。こうして見つかった雌雄接合可能な大腸菌は、彼女の座席番号にちなんでK-12株と呼ばれるようになりました。
Escherichia coli(E. coli) K-12株の発見については、さまざまな物語が伝えられています。中には米国の初等-中等教育制度の用語としてのK-12(Kindergarten-12 Grade:幼稚園から高校3年生まで)に関するものもあるようです。しかし、上記の座席番号の話に出てきたLederberg本人によると、座席番号の話も、学校の学年の話も、「伝説」であり、事実とは異なるそうです。
Lederbergによると、この菌自体は1922年にスタンフォード大学でヒトの糞便から分離されたものであり、K-12というのはスタンフォード大学のコレクションの管理番号だそうです。
さて、分離されたE. coli K-12株ですが、その後、長い間、顧みられることもなく同大学で保管されていました。E. coli K-12株が日の目を見ることになるのは、分離から20年が過ぎた1940年代になります。
まず、Charles E. Cliftonが細菌の窒素代謝の研究のためにK-12株を使い、次に、同僚であるEdward L. Tatumがトリプトファンの合成の研究のためにK-12株をCliftonから譲り受けました。
そして1944年、TatumがK-12株を使った遺伝子工学分野での最初の研究となる、X線による栄養要求性突然変異株の作成実験を行いました。続いて、1946年、LederbergとTatumは、雌雄接合による組換えを発見しました。
Lederbergが後に振り返ったところでは、1946年時点の実験手法では、任意に選択した株が組換えを起こす確率は1/20程度で、1946年の研究は大変な幸運に恵まれていたといえます。
このように、Lederbergが生まれる前から放置されていたK-12株は、大変な偶然により、一躍、遺伝子工学実験の重要な材料として脚光を浴びるようになり、後に様々な派生株が作られるまでになりました。
Note
- 野生型のK-12株はO抗原をもっていました。しかし、長い間培養がくり返され、現在ではO抗原は失われています。
- 野生型のK-12株はF因子を持ち(F+)、λの容原菌でしたが、現在の派生株の大半は、F因子が除去され、λの容原菌ではありません。
- 野生型のK-12株は最少培地でも生育できましたが、現在の派生株は、栄養要求性突然変異などによって、研究室の人工的な環境でしか生育できないよう工夫されています。