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バイオダイレクトメール vol.41 細胞夜話
<神経幹細胞~神経細胞は有限か無限か>

「いったん発達が終われば、軸索や樹状突起の成長と再生の泉は枯れてしまって元に戻らない。成熟した脳では神経の経路は固定されていて変更不能である。あらゆるものは死ぬことはあっても再生することはない」 (1928 Santiago Ramon y Cajal / ラモニ・カハール)

子供の頃、頭をたたくとそのたびに脳細胞が死ぬ、と言われたこと、ありませんか? 昨今では、携帯電話で1分会話すると1000個の脳細胞が死ぬ、と言われることもありますが、人間の脳細胞は生まれてからは増えることが無く日々減っていく、という考え方がどうやら一般常識として定着しているようです。今回は、その脳を巡り、長く議論の的となってきた神経幹細胞についてのお話です。

Cajalのドグマ

1000億ともいわれる神経細胞と、その10倍ものグリア細胞から成り立っている人間の脳。19世紀末、謎と神秘に満ちていたその神経のネットワークに光学顕微鏡だけを手がかりに立ち入り、ニューロン説を提唱したのがスペインのS. Ramon Y Cajalでした。彼は鍍銀染色による神経系の構造研究でGolgiと共にノーベル賞を受賞し(※1)、現在にいたる神経生物学の基盤をつくりました。そのCajalが1928年の論文の中で「成体哺乳類の中枢神経系は損傷を受けると二度と再生しない」と結論して以来、中枢神経の神経細胞は増殖しない、という定説が70年にわたって影響を与えることになりました。

神経系を構成する細胞には神経細胞とグリア細胞があり、このうち神経細胞に栄養を運び軸索を保護する役目を果たすグリア細胞は、必要に応じて分裂することができます。しかし、神経細胞は、発生初期に増殖して中枢神経系を形成した後は、分裂することがありません。Cajalは、その生涯にわたる緻密な観察を経て、高度に機能化が進み成熟したほ乳類の脳には、神経の経路に可塑性がなく神経細胞が増えることもないと結論しました。しかし長い時を経て、Cajalのドグマは彼が想定しなかった形で否定されることになります。

中枢神経は増えている?

Cajal以降、ほ乳類の中枢神経再生をめぐる議論が起こったのは、50年代に電子顕微鏡によってシナプスの存在とニューロン説が実証された後、Cajalの死後30年が過ぎた60年代のことでした。

1965年、Joseph Altmanは成体ラットの脳にRI標識したチミジンを投与すると海馬と脳室周囲の細胞にチミジンが集まることを発見しました。チミジンは分裂増殖している細胞に取り込まれるため、この結果は成体ラットの脳で神経細胞の増殖が起こっていることを示唆していました。しかし当時は現在のように神経細胞とグリア細胞を特異的に区別する手法がなく、成体ラットの脳に生じた新しい細胞は、単にグリア細胞が分裂したものとして否定されました。その後、別の研究者が電子顕微鏡を用いてこの実験を再調査し、新生した細胞が樹状突起やシナプスを有し、神経細胞の特徴を示していることを超微細構造レベルで確認しました。この研究は70年代の終わりまで続きましたが、大多数の研究者はこの結果を受け入れませんでした。神経細胞の形態を示しているとはいえ、それが新生した神経細胞だと判断できない、という反論もあれば、DNAの修復や細胞の倍数体化によって細胞分裂がないまま核酸が取り込まれたのだ、という反論もありました。

これらの、中枢神経の増殖を示唆する結果が20年ものあいだ受け入れられなかったのは何故でしょうか? 神経の再生をめぐる学術的な背景を振り替えってみると、当時、魚類や両生類については損傷した脳が再生することがすでに分かっていました(※2)。しかし、これらの動物種における再生は器官としての脳の再生で、細胞だけではなく組織の新たな形成も含めた現象であり、より複雑で高等なほ乳類で同様の脳の再生が起こるとは考えられていませんでした。また神経細胞の新生に限っても、ほ乳類においては、いったん分化して軸索を長く伸ばし、樹状突起を複雑に張り巡らした神経細胞が二度と分裂しないのは、Cajal以来の定説でした。

では未分化な細胞についてはどう考えられていたのでしょうか。分化した神経細胞が増殖しなくても、未分化な幹細胞があれば、成体ほ乳類の脳において神経が増殖するという発想は生まれたのではないでしょうか。この可能性について先述のAltmanは、成体ラットで増殖していると考えられる神経細胞は、未分化な別の前駆細胞から生じているのではないか、と推論していました。彼の推論は30年後に正しかったことが証明されますが、造血幹細胞をはじめとする幹細胞はいずれも細胞分裂の盛んな組織から発見されており、当時は細胞の分裂がほとんど起こらない中枢神経系に神経の幹細胞があるという発想はまだありませんでした。成体の脳で神経が増えているとすれば、すなわち分化を終えたニューロンがそのまま分裂することを意味し、これはCajalが20世紀のはじめに結論した頃から変わることなく、研究者たちにとってはありえないことだったのです。

神経幹細胞の発見

これら60年代から70年代にかけての問題提起の後、80年代に神経生物学の研究史上有名なFernand Nottebohmによるカナリアの海馬での神経再生の発見を経て、中枢神経の再生のテーマは脚光を浴びるようになります。そして、1992年、カナダのWeissとReynoldsは、成体マウスの脳室下帯から取り出した細胞組織にEGFを添加し、分裂増殖しながら神経細胞やグリア細胞を生み出す細胞塊を分離することにはじめて成功しました。

このニューロスフェア(neurosphere:神経球)の発見は、成体マウスの中枢神経にも未分化な細胞集団が残っていて、これらの細胞群が増殖・分化することで、成体の中枢神経系でもニューロジェネシスが起こっている可能性をはじめて示唆した歴史的なものとなりました。さらにCrittiらが、単一細胞由来のサブクローンで同様の実験を行い、やはりニューロスフェアが形成されて神経細胞とグリア細胞が分化することを確認しました。これによって、多分化能と自己複製能をあわせ持つ細胞、すなわち幹細胞が、成体の中枢神経に存在することが証明されたのです。中枢神経は再生しないというCajalのドグマは、幹細胞から神経細胞が新生するという、彼が想定しなかった形で否定されたのでした。

その後、Gouldがラットの海馬において、死んだ神経細胞の穴を新生した細胞が実際に埋めていくことを明らかにし、より高等なほ乳類であるツパイや真猿類であるマーモセットの海馬においてもニューロジェネシスが起こっていることを発見しました。それでも、中枢神経の再生は種特異的な現象で、人間においては直接的な証拠が無いために、起こり得ないものと考えられていました。これについては、高度に発達した人間の脳では記憶は神経同士のつながりの編成(エングラム)によって保持されており、新しい神経細胞は必要とされないという、人間の記憶のメカニズムに対する通念があったことも要因だったといえます。しかし、中枢神経は再生しない、というCajalのドグマの最後の壁は、1998年、Erikssonらによって崩されました。彼らはがんの発見のためにBrdUを投与されていた5人のがん患者の海馬の神経組織に対し、BrdU抗体と神経マーカー抗体の二重染色を行い、神経細胞の増殖と分化が起きていることを確認しました。これによって、人間においても生涯を通じてニューロジェネシスが起きていることが立証されたのです。

再生医療への夢

事実上の幹細胞の発見をしたWeissとReynoldsは、ニューロスフェアの培養技術を基に神経再生医療を目指すNeuroSpheres社(※3)を設立しました。神経幹細胞の発見は、神経系を構成する細胞の分化の多様性を解析する上で重要な研究対象の一つとなると同時に、事故による脳の損傷や脳梗塞、アルツハイマーをはじめとする神経変性疾患の治療にも大きな希望を与えたのです。 もっとも、Weissらのニューロスフェアは、潜在的な神経幹細胞、分裂を開始した神経幹細胞、神経前駆細胞など多様な細胞を含む細胞集団であり、神経幹細胞はいまだ単一の細胞株として単離されてはいません。ネスチンやMusashi-1などの遺伝子が神経前駆細胞で特異的に発現していることは分かっているものの、神経幹細胞は神経前駆細胞に変化する過程で様々なプロセスを経ていることが予想され、神経幹細胞の正体はまだ正確には特定されていないのです。最近の研究では、成体の脳において神経幹細胞としての挙動を示すのは、グリア細胞の一種であるアストロサイトではないか、という説も出てきています。

しかしながら、こうした神経幹細胞の素性はさておき、ニューロスフェアを基にしてin vitroで多種多様な神経細胞を分化させ、いわば失われた脳の神経細胞を補う材料として移植するための研究は、Weissの発見以降活発に行われてきました。そして、多種類の神経細胞のうち、特定の神経細胞の脱落が原因となる神経変性疾患の治療のため、神経幹細胞にさまざまな成長因子を作用させて特定の神経細胞を選択的に分化させる技術も発達してきました。その中で、神経幹細胞が当初考えられたほど可塑性がなく、成体の脳から得られた神経幹細胞からは分化させることが難しい細胞種もあることも分かってきており、最近では、より未分化なES細胞から、目的の神経細胞を分化誘導する研究が盛んになされています。

そして、2005年2月、日本の理化学研究所はマウスES細胞から大脳皮質の神経細胞を分化誘導し、増殖させることに世界ではじめて成功しました。この成果は、近年研究の進んでいるアルツハイマーや狂牛病をはじめとする大脳疾患の再生医療実現の日を、また一歩間近に感じさせるものでした。Cajalは、その晩年の著書のなかで「中枢神経は再生しない」という彼自身のドグマに対し、いつか人類の叡智がこの問題を解決する日が来るかもしれない、と述べています。100年前にCajalが見た再生医療の夢は、神経幹細胞をめぐる数多の研究者の努力の果てに、実現する日が近づいているのかもしれません。

注釈

※1
神経細胞が有核の細胞体と樹状突起・軸索からなることは1891年に発見されましたが、この神経細胞同士の接続を巡り、細胞質が直接つながっているとするGolgiの網状説と、軸索の先端と細胞体はシナプス構造によって間接的に連結しているとするCajalのニューロン説が対立していたのは有名な話です。2人は1906年にノーベル賞を同時に受賞し、その記念講演でも互いの説を曲げることはありませんでした。後に、Cajalのニューロン説が正しかったことが電子顕微鏡の誕生によって証明されました。

※2
魚類や両生類の中枢神経系については、1950年代に活発な研究がなされ、再生が起こることが明らかになっていました。これらの動物類では神経幹細胞が成体になっても増殖能を充分に残しており、たとえば熱帯魚のグッピーは、大脳全体を除去しても2ヶ月で完全に再生します。両生類ではイモリなどの有尾両生類と、無尾両生類の幼体(オタマジャクシ)には再生能があり、尾を失ったカエルには再生能がないことが知られています。

※3
NeuroSpheres, Ltd は 1992年、カナダのカルガリー大学のS.WeissとB.Reynoldsによって設立されました。 その後、Novartis社(当時のCiba Geigy社)による買収を経て、1998年にカルガリー大学に株式が譲渡、 現在はNeuroSpheres Holdingsとして神経幹細胞の特許を保持しています。

参考文献

Altman JAutoradiographic and histological studies of postnatal neurogenesis.J Comp Neurol. 126:337-389.(1966)

Reynolds BA, Weiss S , Generation of neurons and astrocytes from isolated cells of the mammalian central nervous system. Science 255:11707-17104.(1992)

Watts C, Anatomical perspectives on adult neural stem cells.J Anat. Sep;207(3):197-208.(2005)

etc

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