バイオダイレクトメール vol.42 細胞夜話
<第7回:Escherichia coli B株 - 誰も知らないその起源>
1915年 トウォートが細菌を溶菌するウィルスを発見
1917年 デレルがトウォートとは独立に細菌を溶菌するウィルスを発見し「バクテリオファージ」と命名
1940年 デルブリュックとルリアがファージグループを設立
1945年 デルブリュックがファージの組換えを発見
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20世紀前半、今日の分子生物学のさきがけとなる研究が、1910年代に発見されたバクテリオファージをモデルとして進められていました。細菌を殺す溶菌作用から、当時は言わば生きた抗生物質として将来性が期待されていたバクテリオファージ研究、それをただバクテリオファージの攻撃にさらされ続けることで支えたもう一方の主役が、今日の分子生物学実験でも頻繁に使用されるEscherichia coli(E. coli) B株でした。
E. coli B株がはっきりとその名前を記されたのは、1939年のカルマンソンとブロンフェンブレナーのバクテリオファージの精製についての論文が最初でした。この時期には今日のE. coliはBacterium coliと称されており、論文中ではBacterium coli(B. coli) P.C.(またはPC)と書かれていました。
誰も知らない・・・
ブロンフェンブレナーは多くのファージや細菌を研究した研究者でしたが、ファージ・細菌の命名やその単離の詳細を記述することにはあまり熱心ではないのが欠点でした。ブロンフェンブレナーが単離したT2ファージについても、どのような試料からいつ単離したのかは書かれていません(さまざまな周辺の論文の記述と、ブロンフェンブレナーおよび彼の共同研究者が糞便試料を重視していたことから、1927年に何らかの糞便試料から単離されたと推測されています)。T2ファージも前述のB. coli P.C.と同じように、phage P.C.またはと呼ばれていました。ブロンフェンブレナーはP.C.という名称の意味や由来を示しておらず、実在の人物のイニシャルなのか、それともphage coliのような何らかの意味のある用語の略記なのかは、今となってはわかりません。
肝心のT2ファージにしてもこのような状態ですので、当然、研究の主題ではないB. coli P.C.についても入手先の具体的な記述はありません。ブロンフェンブレナーの記述によると、B. coli P.C.は「溶菌実験に15年以上も使われてきた株」とのことですが、ブロンフェンブレナーの論文以前にB. coli P.C.であることを確認できる論文がなく、1924年以前に単離されたらしい、という以上には、その起源をうかがい知ることはできません。
実はフランス生まれ?
しかし、B. coli P.C.の起源に光を当てるヒントがパリから得られています。パリのパスツール研究所ではcoli Bordetと呼ばれる菌を使用していました。coli Bordetという名前は、補体の発見によって1919年にノーベル賞を受賞したボルデにちなんで命名されたものです。このcoli Bordetを使用していたウォールマンによると、デルブリュックやルリアの記録から判断する限り、coli BordetとB. coli P.C.は同じものだそうです。
では、パリの大腸菌はどのようにして、アメリカにいたブロンフェンブレナーやデルブリュック、ルリアたちの手に渡ったのでしょうか?
ここで仲介役となりそうなのは、ボルデの教え子で1924以前にロックフェラー研究所に移籍したグラティアです。時を同じくして、1924年にブロンフェンブレナーもロックフェラー研究所に移籍しています。もし仮にウォールマンの言う通りにcoli BordetがB. coli P.C.であるとするならば、パリのパスツール研究所で、ボルデまたはボルデのグループのメンバーによって単離された大腸菌は、ボルデの教え子の一人であるグラティアの手で大西洋を越え、最終的に同じ研究所にいたブロンフェンブレナーの手に渡り、それ以後バクテリオファージ研究の標準的な素材としての地位を確立したと考えられます。このことからすると、B. coli P.C.のP.C.というのは、パリの菌(Paris-coli)あるいはパスツール研究所の菌(Pasteur-coli)だっだのかもしれません。
そしてEscherichia coli Bへ
やがて、Bacterium coli P.C.はEscherichia coli Bと改名されます。改名の際にようやく登場した「B」ですが、デルブリュックやルリアがボルデの「B」を取り入れてEscherichia coli Bと改名した可能性は低いと思われます。ボルデはデルブリュックやルリアの先達であるデレルと激しく対立していたことで知られていました。
1940年代からデルブリュックは使用した大腸菌を「B」と略記していたので、その「B」が使用されたのではないでしょうか。
時は流れて、ファージ療法の実現が容易ではないことがわかり、またペニシリンなどの化学的抗生物質が広く普及してゆくと、バクテリオファージは純粋な分子生物学的研究の題材となってゆきました。一方、バクテリオファージ研究で使われ始めたE. coli B株は、後にさまざまな変異株がつくられ、分子生物学研究の一般的なツールとして定着してゆきました。中でも、E. coli BL21は発現タンパク質の安定性の向上が期待できるため、組換えタンパク質の発現に広く用いられており、今日でもバイオテクノロジーの最前線で活躍しています。
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