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バイオダイレクトメール vol.43 細胞夜話
<第8回:ゲノムが減る? - カイチュウ体細胞の染色質削減>

遺伝の様式を染色体の性質や挙動によって説明する染色体説のキーポイントは、染色体が一貫しており安定であるという点です。コロンビア大学のサットンが提唱した染色体説は、すぐには受け入れられなかったものの、今では生物学の常識となっています。
しかし、研究が進むにしたがって、20世紀初頭に考えられていたほどには、染色体は定常で不変な存在ではなさそうであることもわかってきました。

Story of chromatin diminution

染色体(≈ゲノム)には可塑性があり、細胞の分化に応じて再編成される場合があることが報告されています。身近な例を挙げれば、リンパ球の分化と成熟の過程で再編成される免疫グロブリン遺伝子があります。

カイチュウの染色質削減

上記のようなゲノムの可塑性を示す最も劇的な例の一つが、寄生性のカイチュウの体細胞で見られる染色質削減です。これは、カイチュウの卵割の際に体細胞となる細胞からDNAが失われる現象で、多いもので8割以上のDNAが削減され、その結果、体細胞と生殖細胞はお互いにまったく異なる構成のゲノムを持つことになります。

染色質削減が最初に発見されたのは、今から百年以上も前のことでした。1887年にドイツの動物学者ボヴェリが、ウマカイチュウ(Parascaris equorum)の観察結果を報告しています。また、最近ではウマカイチュウと並んで、ブタカイチュウ(Ascaris suum)でも盛んに研究が行われています。

ウマカイチュウの場合、生殖細胞の染色体は大きなものが2本あるだけです。生殖細胞となる予定の細胞は、この染色体をそのまま受け継いでゆきますが、一方、体細胞になる予定の細胞では、卵割の際に染色体の中央部分が多数の小さな染色体に分断され、新しい細胞の核に分配されます(下図)。染色体の末端部はヘテロクロマチン化しており、分断されずにそのまま細胞質に残り、やがて分解されて消失します。

図:ウマカイチュウの細胞分裂と染色質削減
生殖細胞になる細胞では2本の染色体が受け継がれてゆきますが、体細胞となる細胞では染色質削減により多量のDNAが失われます
P0:Zygote
P1~P5:生殖細胞になる細胞
S1~S5:体細胞になる細胞

削減される染色質のほとんどは、高度に反復するサテライトDNAであることがわかっています。また、ブタカイチュウでは、サテライトDNAのほかに、レトロトランスポゾン様因子の反復配列も含まれていることが明らかになっています。
さらに、近年の研究で削減される染色質に遺伝子が含まれることが確認されました。その中にリボソームタンパク質をコードする遺伝子があり、若干配列の異なる2種類のバリアントのうちの一方が、体細胞では失われています。生殖細胞では、体細胞で失われるバリアントが機能しており、結果として生殖細胞と体細胞ではリボソームの構成が異なることになります。この現象は、卵を大量に作らなければならない寄生生活への適応ではないかと考えられています。

上記のような配列が若干異なるバリアントの存在から、寄生性のカイチュウの共通祖先で、ゲノムの部分的重複が生じたと考えられています。ゲノムの重複は、卵を大量に作るには有利でしたが、体細胞のゲノムのバランスという点では不利だったため、体細胞では染色質削減という形で過剰なゲノムを廃棄し、バランスをとっているのではないかといわれています。

これまでのところ、11種のカイチュウで染色質削減が確認されています。削減されるDNAの量は種によって異なり、ウマカイチュウではDNAの8割以上が失われますが、ブタカイチュウでは25%ほどです。
染色質削減が確認されているのは全て寄生性のカイチュウで、自由生活の種では確認されていません。同じ線形動物でモデル生物として大変有名なC. elegansでは染色質削減は確認されていません。唯一、部分的に自由生活するPanagrellus redivivusでは染色質削減が起こることが知られていますが、Panagrellus redivivusの場合は、体細胞と生殖細胞にはDNA量の差がなく、染色質削減は自由生活の雄をつくるために行われています。そのため、寄生性のカイチュウの染色質削減とは、系統学的に別の現象であると考えられています。

カイチュウ以外のゲノムの削減

ゲノムの削減はカイチュウのみの限られた現象ではありません。
繊毛虫は小核と大核をもつ二核性の生物ですが、完全なゲノムを保持しているのは通常は不活性の小核のみです。一方、大核のゲノムからはDNAの大半が失われており、大核に残ったゲノムは全体の5%ほどでしかありません。逆に残ったDNAについては1,000倍程度に増幅され、活発に転写されています。
橈脚類では7種のケンミジンコで染色質削減が確認されています。体細胞ではヘテロクロマチンがほとんど失われ、体細胞のDNA量は生殖細胞の半分ほどになっています。
昆虫では、染色体そのものが失われる染色体削減が生じます。多くの種で染色体削減が生じ、削減の度合いも多種多様です。中には、生殖細胞で染色体削減を起こすものまで存在します。
ほ乳類でも一部の有袋類では一部の体細胞から性染色体が消えることが確認されています。雄の場合はY染色体が、雌の場合はX染色体のうち一方が失われます。特に造血系の細胞ではほとんどの細胞で染色体削減が生じていることから、細胞の分裂速度との関連が示唆されています。

このようにさまざまな動物でゲノムの削減が行われていることから考えると、細胞のゲノムは必ずしも不変ではなく、むしろ一般的な現象といえるようです。

今後の課題

細胞レベルでの現象としては、染色質削減はよく研究されていますが、分子レベルの機構の解明はあまり進んでいません。
まず、削減されるサテライトDNAについては、生殖細胞では維持されていることから、何らかの役割をもつものと推測されています。しかし、その機能はよくわかっていません。
また、染色体を切断するポイントは何らかのシグナル配列によって決定されていると思われます。しかし、こちらについても今のところそれらしき配列は同定されていません。
さらに、どの細胞が生殖細胞、あるいは体細胞になるのかを決定する何らかの因子が存在しているはずで、カイチュウの場合は、植物極に含まれるRNAではないかと推測されていますが、その内容や性質についても、やはりよくわかっていません。

あまり愛らしいとはいえない外見のカイチュウですが、体細胞と生殖細胞の違いは何、という根源的な問いを静かに投げかけているのかもしれません。

参考文献

  1. Kloc M. and Bozenna Z., Differentiation 68, 84-91 (2001)
  2. Müller F., Bernard V. and Heinz T., BioEssays Vol. 18 no. 2, 133-138 (1996)

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