バイオダイレクトメール vol.50 細胞夜話
<第13回:CHO細胞 - 実験のかわいいオマケ?>
CHO細胞のCHOはChinese Hamster Ovary(チャイニーズハムスターの卵巣)の略です。CHO細胞が初めて実験に使われたのは、今から約半世紀さかのぼった1957年のことでした。
1957年当時、培養できる細胞は異数性の細胞ばかりで、HeLa細胞のような疾患組織由来のものが大半を占めていました。当然、そのような細胞は、正常な細胞の反応を知りたい研究の場合には不向きです。そこで、当時の研究者たちが大人の正常な体細胞の培養を試みたものの、全く培養できなかったり、培養できたとしてもごく短期間で増殖しなくなったりして、研究の材料とすることはできませんでした。
コロラド大学のPuckも正常な体細胞の培養に取組んでいました。彼は、正常な体細胞は培養に使う成分に含まれる毒素の影響を受けやすいのではないか、と考えました。そこで、培地成分の検討や当時よく使われていた胚抽出物の代わりにウシ胎児血清を使うなど、さまざまな条件の至適化を行い、ついにヒトの正常な体細胞の培養に成功しました。
ちなみに、Puckはsingle-cell plating法の開発者で、彼の研究のおかげで後世の研究者は細胞を大量に増やすことができるようになり、ゲノムプロジェクトなど大量の細胞が必要とされる研究の需要を賄うことができました。また、以前はヒトの染色体は48本であると信じられていましたが、Puckの研究チームがヒトの染色体は48本ではなく46本であることを発見しています。
1957年のPuckの研究サンプルはヒトが主体ですが、その中にアメリカオポッサムとチャイニーズハムスターも含まれていました。Puckは双方から順調に増殖する細胞を得ることに成功しましたが、チャイニーズハムスターの方が安定していたそうです。肺、腎臓、脾臓、卵巣の細胞が大変よく増殖し、Puckはその中から卵巣の細胞を選んでヒトのサンプルと同様に長期培養を行いました。特にチャイニーズハムスターの細胞は安定性が高く、10か月培養した場合、ヒトの細胞では増殖効率が低下してしまうものもありましたが、チャイニーズハムスターの細胞は効率がほとんど下がりませんでした。
このように興味深い性質を示したチャイニーズハムスターの卵巣細胞ですが、Puckの論文の中での扱いはごく小さいものでした。この研究ではPuckはヒト体細胞の培養法を確立することを主な目的にしていたようで、研究の背景説明や考察ではヒト体細胞の培養がいかに医学に貢献するかについて多くを割いており、後のパーソナライズドヘルスケアにも通じる個々人の細胞を用いた診断の可能性についても言及しています。一方、ヒト以外の動物細胞については、ヒトと動物の細胞の両方についてまとめて言及している部分を除いて、背景説明や考察でまったく扱われていません。
何か理由があってオポッサムとチャイニーズハムスターを実験に組み込んだのか、それともたまたま手に入ったのでヒトサンプルと同じことをやってみたのか、そのあたりの事情は、2005年にPuckが鬼籍に入ってしまったため今となってはわかりません。
もっとも、この研究以降、他の研究の材料にもCHO細胞を時々使ったり、肺からCHL(Chinese Hamster Lung)細胞を単離したり、さらにCHO細胞自体の研究をした論文を出したりしていますので、Puck自身はCHO細胞を気に入っていたのかもしれません。
その後、CHO細胞は遺伝学研究や、毒性のスクリーニング、遺伝子発現研究などの材料に用いられるようになり、世界に広まってゆきました。さらに、1980年代にはCHO細胞によるヒト型エリスロポエチン、組織プラスミノーゲン活性化因子の生産が始まり、今日でも有用生理活性物質生産のための遺伝子組換え宿主として広く用いられています。
参考文献
- Puck TT., Cieciura SJ. and Robinson A., Genetics of somatic mammalian cells. III. Long-term cultivation of euploid cells from human and animal subjects., Journal of Experimental Medicine, 108(6):945-56, 1958
- Kao FT. and Puck TT. Genetics of somatic mammalian cells. IV. Properties of Chinese hamster cell mutants with respect to the requirement for proline., 55(3):513-24, 1967
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