1950年代、ダルベッコとヴォートが採取した細胞を短期間培養し、発ガンウイルスを使って形質転換する実験を行いました。ニューヨーク大のグリーンはダルベッコたちの実験の再現を試み、これには基本的に成功しています。しかし、初代培養細胞や二代目の細胞は不均一であり、そのためウイルスによる形質転換の成功率が安定しないのが問題でした。この実験から、グリーンはウイルスを感染させやすく性質も均一な安定細胞株の必要を痛感します。
その当時、いくつもの細胞株がすでに樹立されていましたが、それらの細胞は増殖をコントロールすることができず、栄養分の不足や代謝産物による培地の悪化などの要因がない限りいつまでも増え続けるものばかりでした。グリーン自身は発ガンウイルスによる細胞増殖の誘発を研究テーマとしていましたので、彼の目的に合わないことが明白でした。マクファーソンとストーカーが細胞のコンピテンシーに影響する遺伝的要因を調べるために、ハムスター腎臓由来のBHK21を材料にポリオーマウイルスによる形質転換実験を行っていますが、彼らは細胞の形態学的変化で形質転換を判定しており、増殖のコントロールという点ではBHK21の性質はきわめて限定的なものでした。
こうしてグリーンは彼の研究に適した細胞株を自分で構築することにしました。
3T3細胞の樹立
1961年に彼の研究室にトゥデイロが加わり、グリーンは彼とともに実験に適した細胞株の樹立に取組むことになります。余談になりますが、当初は一学期だけ在籍させてほしいとトゥデイロは言っていたそうですが、実験の進展に合わせて延長され、結局はその後数年間をグリーンの研究室で過ごすことになります。
彼らはマウス胚の線維芽細胞を材料に選びました。
この時の動物種の選択について、グリーン博士(現ハーバード大教授)にうかがいました。
グリーン:まず、第一の理由は使っていたポリオーマウイルスがマウスポリオーマウイルスだったからです。ただ、ダルベッコとヴォートの研究などでハムスターの細胞も形質転換できることはわかっていましたから、実はハムスターの細胞でも3T3と同じ方法で細胞株の樹立を試みてはいました。しかし、この方法ではハムスターの細胞から安定した株をつくることはできず、このことも最終的にマウスを使うことになった理由です。
その当時、哺乳類の細胞が培養中に不死化するということは滅多に起こるものではないと広く信じられており、どのような条件でいつそれが生じるのか全くわからない状態でした。そこでグリーンたちは培養条件のあいまいさを排除するとともに、後の実験の再現性を高めるために、継代の接種密度と間隔を厳密に固定して実験を行うことにしました。
そのような実験系ですので、彼らはそれぞれの接種密度と間隔を使って培養細胞に名前をつけました。
細胞の命名例
間隔 |
接種密度 |
細胞の名称 |
3 |
3×105 |
3T3 |
3 |
6×105 |
3T6 |
3 |
12×105 |
3T12 |
6 |
3×105 |
6T3 |
6 |
6×105 |
6T6 |
6 |
12×105 |
6T12 |
余談になりますが、近年その内容の豊富さとユーザー参加型である事で有名になっているオンライン百科事典Wikipediaの3T3細胞の項目にも名前の由来が記載されています。そこには"The '3T3' designation refers to the fact that this cell line was originally grown at a rate of 3 x 105 cells per 20-cm2 dish (the first '3'), with a transfer interval (the 'T') of 3 days (the second '3')."とあります。しかし、論文の記載やグリーン自身のコメントによるとこれは逆のようです。
グリーン:3T3や3T6などの名前のうち、最初の数字は継代の間隔を日数で表したもので、2番目の数字が接種密度を×105単位で表したものです。
滅多に不死化する事はないだろうと覚悟をして始めたものの、実際のところは根気よくやってみれば増殖しなくなる一時期を乗り越えるとほとんどの細胞は再び一定の速度で増殖するようになり、結局のところ接種密度が1×105ともっとも低く設定されたものを除いてどれも細胞株化することに成功してしまったのです。
同じ出発材料を使い継代の密度と間隔だけを変えて培養した株であるにもかかわらず、細胞株はそれぞれ性質が異なっていました。中でも3T3では他の株では失われてしまった接触阻害の性質が維持されているらしく、他の細胞よりもはるかに低い細胞密度で増殖が停止することがわかりました。
3T3の性質は発ガンウイルスによる細胞増殖促進を調べるために最適でした。グリーンはこの後にトゥデイロとともに3T3を使ってポリオーマウイルスやSV40による細胞の形質転換実験を行い、接触阻害によって増殖が止まっていた3T3細胞が増殖を始めることなどを報告しています。
3T3-likeな細胞株
こうして3T3はウイルスによる形質転換実験の材料として頻繁に使われるようになりましたが、RNAウイルスによる形質転換効率が低い点と、同系交配マウス由来ではない点が弱点でした。そこで、Balb/cの細胞を使ってBalb/3T3細胞を樹立され、SV40による形質転換実験に使用されました。続いて、NIH Swissマウスの細胞を使ってNIH/3T3細胞が樹立され、SV40と白血病ウイルスによる形質転換実験が行われました。
後に、NIH/3T3細胞にはウイルスを導入しやすいことや化学発ガンさせた細胞のDNAをトランスフェクションする事もできることなどが示され、3T3様の細胞の中ではもっとも広く用いられるようになってゆきました。
私はこれでテーマを変えました - 3T3細胞が脂肪細胞に分化した?
3T3細胞の樹立から間もない1962年、グリーンは増殖を停止している時期の3T3細胞の一部が細胞質に脂肪を蓄積している事に気がつきました。しかし、この時は脂肪を蓄積している細胞がごく少数だったこともあり、それが研究に値する現象であるとは考えずにその当時の彼のメインテーマである発ガンウイルスの研究を進めました。
ところが、それから約10年が経過してMITに移っていたグリーンは、脂肪を蓄積している3T3細胞が明らかに増えている事に気がつきました。クローンによってその程度の差はあるものの、ほぼすべての3T3細胞が脂肪を蓄積する傾向があることがわかると、グリーンはさらにその現象の研究を続けました。その結果、彼は3T3細胞における脂肪の蓄積と分化という、それまでとはまったく異なる分野の研究に進んでゆくことになります。
1974年にグリーンは脂肪前駆細胞として3T3-L1細胞を樹立し、3T3-L1細胞を脂肪前駆細胞から脂肪細胞に分化させたことを報告しました。さらに、1978年までに3T3細胞の脂肪細胞への分化に関して7本の論文を出しますが、繊維芽細胞が培養中に脂肪細胞へ分化するという考えはなかなか受け入れてもらえませんでした。
この当時のことをグリーン博士はこう語っています。
グリーン:その当時、あまり好ましくない環境で培養された細胞が脂肪を蓄積することがある、ということが広く知られていました。そのため、多くの研究者は、私たちの観察結果も培養環境のまずさが原因だと信じていました。1974年にこのテーマについての最初の論文を発表した時、多くの方はそれを信じませんでした。脂肪前駆細胞の3T3を胸腺欠損マウスに注射すると成熟した脂肪をつくることを1979年に示して、ようやく私たちの考えが一般に受け入れられるようになりました。
その後、3T3細胞を使った脂肪形成の研究結果が多数報告されるようになりました。グリーンはその後、脂肪細胞への分化のしやすさがまちまちな3T3細胞のクローンの中から、脂肪細胞へ分化しやすい細胞を選び出してさらに研究に使いやすい3T3-F442A細胞を樹立しました。3T3-L1細胞と3T3-F442A細胞は、今日でも脂肪細胞の分化・発達の研究材料として使われています。
培養材料としての3T3細胞
1970年代前半、ヒトの表皮の細胞を培養しようという試みが多数行われましたが、その結果は芳しくなく、培養したヒトのケラチノサイトを用いた基礎研究や応用研究にはほとんど手が付けられていませんでした。
1974年にグリーンたちは増殖しないように処理した3T3細胞と一緒に培養すると、ケラチノサイトを培養できることを発見し、1975年にはヒトのケラチノサイトの培養にも成功しました。こうして、3T3細胞をフィーダー細胞として培養したケラチノサイトを使った研究が盛んになり、この方法で増やした細胞を使ってヒトの火傷の治療なども試みられました。
何気なく選んだ実験のサンプルが、思わぬ結果を生み出し、やがてその研究者の人生を変えてしまう、そんな細胞と研究者の出会いもあったのです。
謝辞
40年以上前の研究について快く答えてくださったグリーン博士に深く感謝します。
参考文献
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- Green, H.より私信
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