Schizosaccharomyces pombeは1890年に東アフリカからドイツに輸入されたミレットビールから単離された酵母です。ミレットビールは東アフリカで醸造されている雑穀を使ったビールです。
このビールのサンプルを扱ったザーレの記録によると、このミレットビールは薄茶色の液体で、雑穀の残りを含む灰白色の沈殿が認められ、酸っぱい味の腐ったような代物でとても飲めたものではなかったそうです(鮮度のよいミレットビールは、健康的で清涼感のある飲料として当時のドイツ人には好んで飲用されていたようです)。沈殿を顕微鏡で観察すると、原材料の残渣に混じって、さまざまな酵母や細菌が観察されました。
その後、リンドナーがミレットビールの沈殿に含まれていた酵母の単離に成功し、1893年に観察結果を報告しました。リンドナーの観察から、すでに知られていたSaccharomyces cerevisiaeのような出芽はせずに分裂で増殖することがわかりました。このことから、Saccharomycesに分裂を意味する接頭語「Schizo-」をつけたSchizosaccharomycesと、スワヒリ語で"ビール"を意味する"pombe"を組み合わせて、Schizosaccharomyces pombeと命名されました。
不遇の20世紀前半~S. pombe研究のはじまり
こうして19世紀中にその存在は記録されたものの、S. pombeの研究はすぐには盛んになりませんでした。細々と研究はされていましたが、研究材料として本格的に扱われ始めたのは、発見から半世紀が過ぎ去った1950年代に入ってからでした。
まず、ロイポルトが1950年にS. pombeの遺伝学に関する論文を発表しました。ロイポルトがS. pombeを研究対象とした理由はいろいろとあるようですが、その中でも最大の理由は、S. pombeが栄養増殖は半数体で研究しやすかったからのようです。
続いて、ミッチソンが細胞周期と細胞の成長の研究にS. pombeを使用しました。ミッチソンによると、基本的に細胞の長さだけが成長に応じて変わってゆくので細胞の体積の計算が容易だったことと、細胞の長さで細胞がどの周期にいるのかをざっと見積もることができたのが選択の主な理由だったそうです。また、出芽酵母とは異なり、他の多くの細胞のように分裂で増殖することも重要なポイントだったようです。なお、現在ではもっとも単純な真核生物の1つとして研究のモデル生物となっていますが、当時は原核生物と真核生物という線引きはなかったため、真核生物であることは選択の際には考慮していないとミッチソンは述べています。
細胞周期研究の主役へ
こうしてS. pombeの研究がはじまったのですが、やはり食品の発酵に使えるという経済的重要性には勝てなかったのか、酵母の研究はS. cerevisiaeが先行します。1960年代後半には、S. cerevisiaeを用いた遺伝学的研究の最初の例となる、細胞周期に関する研究をハートウェルが行っています。一方、S. pombeについては、ロイポルトからS. pombeの遺伝学を学んだナースが細胞周期研究の材料として使うようになった1970年代以降、ようやく研究が盛んになります。その後も、S. cerevisiaeの後塵を拝し、S. cerevisiae研究のために開発された手法をS. pombe研究に応用するということが少なからずありました。
しかし、研究が進むにつれて、同じ「酵母」という名前を冠してはいるもののS. pombeはS. cerevisiaeとは相当に異なっていることや、モデル生物としてのS. pombeの有用性が広く理解され、S. pombe研究のための独自手法も開発されるようになりました。その後、多くの研究者の熱心なS. pombe研究の結果、細胞周期や分裂の制御に関して重要な知見が蓄積され、今日では研究に欠くことのできないツールとなっています。
S. pombeと進化
真核細胞研究のモデルとしての研究だけでなく、S. pombeそのものについての研究も進み興味深い知見が蓄積されてきました。S. pombeを含むArchiascomycetesと、Saccharomyces、病原菌として有名なCandidaはどれも子嚢菌門に属しますが、その中でもArchiascomycetesが最初に分岐し、Saccharomycesはむしろ酵母という言葉を冠さないCandidaと近縁で、ArchiascomycetesとSaccharomyces/Candidaの共通祖先との分岐は10億年前にまで遡る可能性があることなどが報告されてきました。
2002年にはS. pombeのゲノムも解読されました。その結果に基づく比較ゲノミクスの研究から、S. pombeはS. cerevisiaeよりも動物との共通遺伝子をよく保存していることが明らかになりました。また、原核生物とS. pombeのゲノムには大きな差異があるものの、単純な多細胞真核生物との間の差異はそれほど大きくはなかったことから、原核細胞から真核細胞への進化は非常に劇的な進化であるのに対して、単細胞から多細胞への進化はそれほど多くの変化を要しなかったことが示唆されています。
Heckman et al(2001)より抜粋・改変
ちなみに、普通のビールの原料であるホップと麦芽をS. pombeで発酵させて作ったビールはあまりおいしくないそうですので、自家製ビールには無難にSaccharomyces cerevisiaeを使っておくのがよさそうです。
参考文献
- Lindner P., Schizosaccharomyces Pombe n. sp., ein neuer Gährungserreger, Wochenschrift fur Brauerei, Vol. 10, 1298-1300 (1893)
英訳:NIH library translation (NIH-95-272)
- Mitchison J. M., The Fission Yeast, Schizosaccharomyces pombe, BioEssays, Vol. 12, No. 4, 189-191 (1990)
- Heckman et al, Molecular Evidence for the Early Colonization of Land by Fungi and Plants, Science, Vol. 293, 1129-1133 (2001)
- Wood et al, The genome sequence of Schizosaccharomyces pombe, Nature, Vol. 415, 871-880 (2002)
- Forsburg S. L., The yeast Saccharomyces cerevisiae and Schizosaccharomyces pombe: modelsfor cell biology research, Gravitational and Space Biology, Vol. 18, No. 2, 3-9 (2005)
- Forsburg Lab pombe Pages
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