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バイオダイレクトメール vol.70 細胞夜話
<第31回:最初に作ったのは本当にペトリ? - ペトリ皿(シャーレ)>

僕も作ったのに。。。

ペトリ皿(シャーレ)はその名前が示すように、ドイツ人のリヒャルト・ユリウス・ペトリが考案した、ということになっています。筆者の手元にある生物学辞典(第4版、岩波書店、1996年)にも以下のように記載されています。

ペトリ皿 薄いガラス・プラスチックでつくった浅い皿とそれに合う1蓋の対。ガラス容器の一種。ドイツのR. J. ペトリが考案。寸法には種々ある。微生物や動植物組織の平板培養のほか、生物学実験上の用途が広い。

また、フリーのオンライン百科事典のWikipediaなどでも同様に記述されていますので、公式にはペトリ皿はリヒャルト・ユリウス・ペトリの発明品ということになっているようです。

ペトリの皿

近代細菌学の開祖として名高いパスツールは、もちろん細菌の培養を行っており「純粋培養」なる培養法を考案しました。しかし、今日の研究の感覚からすれば、それを「純粋」としてしまうには、あまりにも乱暴な方法でした(それでもその時点では画期的だったのではありますが)。続いてドイツのコッホは、パスツールの純粋培養を原理的には今日のものと大差ない培養技術に改良し、炭疽菌や結核菌の研究に役立てました。

さて、そんな細菌研究の盛んな1887年、Centralblatt für Bacteriologie und Parasitenkunde誌に「Eine kleine Modification des Koch'schen Plattenverfahrens」というタイトルの短い論文が掲載されました。1877年から1879年にかけてコッホの助手をしていたペトリによるもので、筆者の拙いドイツ語力で訳してみると「コッホのプレート法についてのちょっとした改変」といったところでしょうか。この「ちょっとした改変」はなかなか大したものだったらしく、後に「History of Bacteriology」という本を出版することになるウィリアム・ブロックが1925年に書いているところでは、「ペトリの変法は、完全に、しかも速やかに元のコッホの手法に取って代わることになった」のだそうです。

その論文の中で、ペトリは固形培地の容器として、「直径10~11 cm、高さ1~1.5 cmの二重の平皿。上の皿は蓋になっており、直径がわずかに大きい」というものを紹介しています。今日使われているペトリ皿と、ほぼ同じ形状です。また、培地を入れるときは蓋を少しだけ持ち上げるようにして、作業中のシールドとして使うなど、実践的な操作指南もこの論文に記述されています。

では、ペトリがこの皿を考案したのがいつか、ということになると今一つはっきりしません。ペトリがコッホの助手をしていた時期に固形培地の容器として浅いガラス皿を用いることを考案した、とする資料もありますが、それはペトリ自身の手によるものではありません。そして、1887年のペトリの論文には考案した時期を示す記述はありません(少なくとも筆者が解読したところでは)。他にその時期を示す一次資料も見つかりませんでしたので、ここではペトリが彼の皿を考案したのは少なくとも1887年以前のどこか、とするしかなさそうです。

トリの翼、コウモリの翼

ペトリの名にちなんでペトリ皿と呼ばれていることや、彼が改変した手法がコッホの手法に代わって世界に広まったことを考えると、今日の研究現場で使われているペトリ皿の直接の先祖は、ペトリが考案したもので間違いはなさそうです。しかし、ペトリの論文が公表された1887年以前にも同様の器具についての記述はありました。

クラインの皿

スラボニア(現クロアチア東部)からイギリスに渡って研究を行っていたエマニュエル・クラインは、本来は組織学の専門家で、後進の指導にも力を発揮した優れた指導者でした。しかし、途中で微生物学と病理学に目覚めてしまい、たいへん熱心に、しかも根気よく研究を行いました。

クラインはこの分野で非常に多くの論文を投稿したようですが、結局あまり成功しませんでした。先に述べたウィリアム・ブロックが、クラインの没後に彼の大量の論文に目を通してみたところ、後世の知識から判断するとクラインの実験は適切でなく、良好な結果が得られるはずのないものが多々あったようです。その研究に取組んだ時点ではわかっていないことが多すぎ、実験技法も確立されていなかったので、クラインの取組みは早過ぎたのだとブロックは評しています。

そんなクラインですが、彼が1885年に執筆し、1886年に出版したMicro-organisms and Diseaseという教科書の第三版で、ペトリのものと同様の皿を紹介しています。また、1889年の同書第四版では、ペトリの皿に言及し、ペトリの発明以前からこの皿を使っていたと主張しているそうです。

フランクランドの皿

イギリスの化学者パーシー・フランクランドも同じく培養に使うガラス皿の記述を残しています。空気中の微生物の分布に関する研究で、ゼラチン培地を入れる容器として、高さ1インチ(2.5 cm)以下、直径約3インチ(7.5 cm)の皿を使いました。フランクランドの論文は、ペトリの論文よりも1年早い1886年に発表されました。フランクランドの皿も、直径のわりに高さがある点を除けば、今日のペトリ皿と基本的には同じものです。

時系列順に整理してみると

  1. 1885年、クラインのMicro-organisms and Disease第三版
  2. 1886年、フランクランドの空気中の微生物の分布に関する研究
  3. 1887年、ペトリによるコッホの培養法の改変

となります。

真相は歴史の霧の彼方?

環境と必要性(それから偶然?)によって、同じような発展・発見が別の場所で独立して生じることもありえます。トリとコウモリは系統学的には大きく離れていますが、飛ぶという同じ用途に適した同様の器官(翼)を発達させました。人間の発明に関しても、ベルが電話の特許を出願したちょうどその日に、2時間遅れで電話の特許を出願したイライシャ・グレイの例があります。

では、「固形培地の容器に使う1対のガラスの平皿」の発明者は誰か、という問題ですが、3人が自分の皿を使い始めたのはいつか、という点と、3人は互いの発明を知っていたのか、という点が重要でしょう。

とはいうものの、彼らが自分たちの皿を使い始めた年代については、実験ノートなどの決定的資料が見つかっていないため、わかっていません。

フランクランドについては、論文を読んだ限りでは空気中の微生物の分布を調べる研究のために用意したようですので、論文が発表される1、2年前の1884~1885年あたりではないかと思われます。

クラインは、かなり前から使っていたと主張しているものの、実際には1886年より前の論文で皿についてまったく記述しておらず、その信憑性には若干疑問が残ります。ペトリも、前述のように1887年以前のどの時点で考案したのかを書き残していませんので、同じく使い始めた時期ははっきりしません。

クラインがフランクランドやペトリの皿を知っていた可能性については、よくわかりません。一方、フランクランドについては、ペトリが作った皿を知っていた可能性があります。フランクランドは彼の論文で、固形培地を使った細菌の培養は「as originally recommended by Koch」としており、コッホが推奨する方法を元に実験系を組んでいたようです。ペトリがコッホの助手をしていた時期にペトリ皿を考案し、コッホがそれを活用していたのであれば、コッホが推奨する実験法に組み込まれていたとしても不思議はありません。

現時点では当事者による資料が不足しておりはっきりした結論が出ませんが、コッホの実験風景の写真など、意外なところから新しい発見があるかもしれません。

参考文献

  1. Robert Koch - Biography(ノーベル財団)
  2. Petri, R. J., Eine kleine Modification des Koch'schen Plattenverfahrens. Centralblatt für Bacteriologie und Parasitenkunde, vol. 1, 279-280 (1887)
  3. Bulloch, W., Obituary Notice, Emanuel Klein. 1844-1925, The Journal of Pathology and Bacteriology, vol. 28, issue 4, 684-697 (1925)
  4. Wainwright, M., Who did invent the Petri dish? The mystery deepens..., Microbiology Today, vol. 26, 13 (1999)
  5. Frankland P. F., The Distribution of Micro-organisms in Air, Proceedings of the Royal Society of London, vol. 42, 509-526

細胞夜話作者の余談

  • ペトリの名前に関して、一部資料ではユリウス・リヒャルト・ペトリと書いているものが存在しますが、ペトリ自身の論文にはR. J. Petriと書かれていますので、リヒャルト・ユリウス・ペトリとしました。
  • エマニュエル・クラインはエドワード・エマニュエル・クラインと書かれることもありますが、彼の戸籍上の正式な名前はエマニュエル・クラインでした。クラインは多くの場合E. Kleinと署名していました。そのため、オルガノンクラブに加入する際、クラブの秘書がE.を英国でよくある名前Edwardの略と思い込んでしまい、Edward Kleinと登録してしまいました。それから、エドワードという名前が定着してしまったようです。
  • ノーベル財団のWebサイトにあるコッホの経歴紹介のページには、あまり進んでいなかった彼の研究が、1880年以降順調に進んだ要因の一つとして、同僚であるペトリの培養皿の発明を挙げています。この記述が正しいのであれば、ペトリが皿を考案した時期は1970年代末ということになります。個人的にはノーベル財団が根拠のない話を掲載するとは思いませんが、当該記事の一次資料などが示されていませんので、断定は避けています。

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