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生化夜話 第27回:天才でなくても研究で成功するには - ローリー法

成功の秘訣は木を見て森を見ない

1920年代はじめ、北京協和医学院のシェン・ウーは内臓リーシュマニア症研究のため、血清中の各種タンパク質の量を測定しようとしていました。その当時、タンパク質の定量法としては、屈折率を調べる方法や、窒素量を測定する方法がありましたが、それを行える設備がなかったため、ウーは既存の設備と器具でできる簡便な方法を考案しました。

ウーが考案した方法は、ホスホ-18-モリブデンタングステン酸とタンパク質中のチロシンを反応させ、その結果として生じる発色を測定するというものでした。

ウーの方法は、それまでの測定法に比べればシンプルで感度も高かったため、さまざまなタンパク質に対応した変法も開発されました。しかし、pHや反応時間、試薬の濃度などの影響を受けやすく、再現性もあまり高くなかったため、一般的な生化学研究に使うには難がありました。

ウーの工夫に端を発する発色を利用したタンパク質定量法が、安定した結果を出せるようになるには、それから20年以上の時間が必要でした。

父の教え

 

ローリー家の末っ子であるオリバー・ローリーは、優秀な兄たちに対して日頃から劣等感を抱いていました。さらに、高校で受けた知能テストでも100、つまりまったくの平均という結果を突き付けられました。

彼の父親はシカゴの教育長を務めたこともある教師で、それなりの才能しかもたない人間が進路を考える場合には、幅広い包括的な分野をマスターしようとはせずに、ある分野の1つの側面に集中し、その専門家になることを目指すべきだ、とかねてから言っていました。極東某国では、教員がこんな意見を表明しようものなら一大事になりそうですが、オリバー・ローリーは父の教えに従い専門家の道を目指すことにしました。

ローリーは、シカゴのノースウェスタン大学で化学工学のコースに入りましたが、すぐに医学課程の友人と一緒にドイツのフライブルク大学に留学してしまいました。この友人が、ローリーに生化学の研究をすすめました。生化学は明らかになっていることがとても少ない分野なので、見つけたものは何でも新発見だと友人に勇気づけられたローリーは、帰国後化学に転向し、卒業後はシカゴ大学の大学院で生理化学の道に進みました。

シカゴ大学では、性ホルモンの単離や、ケトン代謝産物の定量などに取り組み、その中で微量の実験系や分析の感度向上といったテーマに関心をもつようになりました。

なお、シカゴ大学はその当時では数少ないM.D., PhDコースを設置しており、ローリーも卒業時に医師と博士の両方を手にしました。後にローリーが振り返って書き残したところでは、実際に医療に携わることはなかったものの、生物を系として全体的に見ることができるようになったため、医学の勉強は有益だったそうです。

這い寄る混沌の中で

1939年8月の終わりごろ、ローリーを含む3人のアメリカ人研究者がデンマークのカールスバーグ研究所に留学しました。本来は、彼らの他にヨーロッパ各地からの留学生も到着が予定されていたのですが、ローリーたちが到着した数日後、第二次世界大戦が勃発してしまい、デンマークに来られなくなってしまいました。そのおかげでローリーたちはカールスバーグの研究者から集中的な指導を受けることができました。ローリーは、定量的な組織化学を学び5ヶ月後に帰国しましたが、1940年4月にデンマークはドイツに占領されていますので、滞在をもうちょっと延ばしていたら大変なことになっていたかもしれません。

1941年ローリーはニューヨーク市の公衆衛生研究所に加わりましたが、ラボがオープンした12月、今度は真珠湾攻撃によりアメリカが第二次世界大戦に参戦することになりました。そこで、ローリーは同僚たちと研究者として何ができるかを相談し、栄養状態のチェックに使える簡便な血液検査や尿検査器具を開発することにしました。

その研究の過程で、栄養に欠陥のあるラット血清の抗原・抗体反応産物を調べるために、簡単かつ迅速な定量法が必要になりました。

前述のウーの定量法で再現性が低かった大きな理由の1つは、実は銅イオン(Cu2+)のコンタミネーションでした。銅イオンが存在しない状態では、発色はチロシンとトリプトファンの数に依存しますが、銅イオンの存在下ではペプチド結合も発色に寄与するようになり、シグナルが強くなります。

銅イオンで発色が強まることに気付いたのは、ローリーではなくロックフェラー研究所のロジャー・ヘリオットでした。ペプシンのチロシン残基をアセチル化した1935年の報告の中で、CuSO4を加えると値が数倍になることがあると結果に注釈を付けています。さらに、ペプシン以外のタンパク質でも同様の効果が得られることを1941年に報告しました。

ローリーは、さまざまなタンパク質の小スケールでの定量に応用できるよう、銅を加えたヘリオットの変法にちょっと手を加えました。この時点で、後にローリー法と呼ばれることになるタンパク質の定量法ができあがったのですが、自分の実験が進むことで満足してしまったのか、この方法を論文にする気はまったくありませんでした。

後輩からの苦情

1947年、セントルイスのワシントン大学から、薬理学の教授にならないかという誘いがありました。ローリー自身は薬理学に関わる研究はやったことがありませんでしたが、前任の2人がハーバート・ガッサー、カール・コリというノーベル賞受賞者で、彼らの跡を継げるということで喜んで引き受けました。

ワシントン大学に移ってからも、ローリーはニューヨーク時代に考案した定量法を使い続けました。また、相変わらず論文にはしなかったものの、希望者には彼の定量法を教えました。

ローリーの定量法を特によく使った研究者の1人が、同じ研究室にいた5歳年下のエール・サザーランドでした。サザーランドはローリーの定量法を多くの論文で採用しているのですが、ローリーが定量法を論文にしていなかったため、毎回”Personal communication”だとか、”an unpublished method of Lowry”だとか書かなければならず、説明に苦労することになりました。数年後、我慢の限界に達したサザーランドの苦情により、ローリーは仕方なく自分の定量法を論文にすることにし、利点や特徴、その限界をしっかり調べて報告しました。

ローリーの方法は世界中で広く用いられるようになりましたが、その理由として、ローリーは2つの推測をしています。まず定量法そのものの性質で、その当時としては、簡便で高感度、結果もウーの方法やその変法より安定していました。もう1つは、前述のサザーランドに加えて、アーサー・コーンバーグという2人のノーベル賞受賞がローリー法を愛用したため、彼らを経由して普及したのではないかとしています。

こうして、ローリー法の論文はThe Most Highly Cited Paper in Publishing Historyに選ばれるほどの人気を博することになりましたが、当のローリーはその状況を喜んでいませんでした。

科学的な大発見をしたわけでもなく、やったことはと言えば、ヘリオットの定量法の改良でしたので、ローリー自身はこの論文を大した論文だとは思っていませんでした。尊敬する父親の教えを守って小スケールの実験や、分析の感度改善の専門家となったローリーは、ローリー法以外にもいろいろと論文を書いており、ローリー自身が評価してほしかったのは、むしろそちらの方だったようです。

参考文献

  • Wu H., A new colorimetric method for the determination of plasma proteins, Journal of Biological Chemistry, vol. 51, no. 1, 33-39 (1922)
  • Herriott R. M., Acetylation of Tyrosine in Pepsin, Journal of General Physiology, vol. 19, no. 2, 283-299 (1935)
  • Lowry O. H., Rosebrough N. J., Farr A. L. and Randall R. J., Protein measurement with the folin phenol reagent, Journal of Biological Chemistry, vol. 193, no. 1, 265-275 (1951)
  • Lowry O. H., Citation Classics, Current Contents/Life Sciences, no. 1, 7, 1977
  • Lowry O. H., How to succeed in research without being a genius, Annual Review of Biochemistry, vol. 59, 1-27 (1990)
  • Kresge N., Simoni R. D. and Hill R. L., The Most Highly Cited Paper in Publishing History: Protein Determination by Oliver H. Lowry, Journal of Biological Chemistry, vol. 280, no. 28, e25-28 (2005)

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