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生化夜話 第34回:実は修論実験の副産物 - ハイドロキシアパタイト担体古くから使われているクロマトグラフィー用担体の1つにリン酸カルシウムの一種、ハイドロキシアパタイトがあります。 リン酸カルシウムを用いたタンパク質の分離は長い歴史があり、その最初の例は1861年にまでさかのぼります。ウィーン大学の生理学教授ブリュッケがリン酸カルシウムにペプシンを吸着させました。余談ですが、ブリュッケの教え子の1人に、精神分析で後に有名になるフロイトがいます。 20世紀に入ると、クロマトグラフィーを用いたタンパク質の精製が盛んになりました。イオン交換クロマトグラフィーは小さなタンパク質ではとても良好な結果が得られ、分配クロマトグラフィーも1950年代はじめには将来の有望性が認識されるようになっていました。 そこで、ウプサラ大学生化学研究所のティセリウスは、そんな状況を何とかしようと、吸着クロマトグラフィーの研究に取り組み、リン酸三カルシウムを用いたクロマトグラフィーの結果を1951年に報告しました。 リン酸三カルシウムはイオン交換よりも大きなタンパク質の精製が可能という利点がありましたが、カラムが詰まりすぎるので、ろ過助剤を使う必要がありました。しかし、ろ過助剤にもタンパク質が吸着してしまい結果の解釈に困ることになりました。そこで、ろ過助剤のいらないリン酸カルシウム系担体を探し、1954年にリン酸水素カルシウムを用いた例を報告しました。 Side A:教授の目的 - 選択ガイドをつくりたかったその後もティセリウスの研究所では特異性が高く再現性にも優れた担体を探す研究が続きました。その研究の成果として1956年に発表されたのが、ハイドロキシアパタイトを用いたクロマトグラフィーでした。 前述のリン酸水素カルシウムはpHが7より高い条件では徐々にハイドロキシアパタイトに変化してしまうことがわかりました。その過程でリン酸がバッファー中に放出されるので、担体もバッファーのpHも実験中に変化してしまうことになり、結果が安定しません。 ハイドロキシアパタイトを生じる化学反応そのものは以前から知られていましたが、ビーカーの中でそのまま反応させた産物ではパッキングしにくいので、粒子径のバラツキがあまり大きくならない調製法を考案しました。 そうして調製したハイドロキシアパタイトを吸着材にしてクロマトグラフィーを行ったところ:
といったクセはありましたが、(当時の水準では)良好な分離結果が得られました。また、既存の吸着材で見られたタンパク質の変性や酵素活性の低下も認められませんでした。ティセリウスたちのこの論文以降、DEAEセルロースによるイオン交換とハイドロキシアパタイトによる吸着のバッチ精製が、しばしば行われるようになりました。 というのが、ティセリウスたちによるハイドロキシアパタイトの研究結果ですが、本当は別の狙いがあったことをその論文で白状しています。 1950年代のはじめから、ティセリウスの研究所では、それまでに使われたクロマトグラフィー担体を比較して、特異性と再現性に優れた担体を探そうとしていました。さまざまな担体とよく研究されているタンパク質の組合せで例を示し、研究しようとしているタンパク質に適したクロマトグラフィー担体や手法を選択できるガイドのようなものを目指していたのです。しかし、やってみるとクロマトグラムがたいへん複雑だったり、原理のよくわからない現象が生じていたりして、解釈に苦しむことが多かったのです。そこで、この時点ではクロマトグラフィー選択ガイドの構築はあきらめ、興味深い結果を示したハイドロキシアパタイトの論文にしたのだそうです。 Side B:大学院生の陳述 - 実は想定外科学論文というものは、大抵はある種の後付けの合理化を含んでいる。 さて、前述のティセリウスによる記述とは別に、ハイドロキシアパタイトを用いたクロマトグラフィーの論文共著者の1人であるヤティーンが、この研究に至る道筋を書いています。 1954年、ウプサラ大学の大学院生ヤティーンとレヴィンは、Filosofie licentiatのための研究を始めました。Filosofie licentiatは現在では廃止された学位で、今日の修士号に相当するようです。 指導教授はティセリウスで、その時点はリン酸水素カルシウムを用いたクロマトグラフィーの実用化に取り組んでいました。そこに入ってきた大学院生ですので、修士論文のテーマはやはりリン酸水素カルシウムの研究でした。ティセリウスが彼らに与えた最初の課題のうちの1つが、「リン酸水素カルシウムへのタンパク質の吸着が、温度の変化によってどう影響されるか」でした。 そこで、ヤティーンとレヴィンは、リン酸水素カルシウムを詰めたカラムを40℃のウォーターバスに浸し、0.005Mのリン酸ナトリウム(pH 6.9)で洗い、pHメーターで平衡をチェックしました。不思議なことに、pHは5付近になってしまい数日経っても変わる様子がなく、上端に見かけの異なる層が形成されているのも観察されました。 これを怪訝に思ったティセリウスは、物理研究所の教授に上端の層のX線解析を依頼しました。その解析の結果、ハイドロキシアパタイトであることがわかったのでした。その後の条件検討の結果、リン酸水素カルシウムからハイドロキシアパタイトへの変化は、40℃より低い温度であってもゆっくりと進行することがわかり、不安定なリン酸水素カルシウムではなくハイドロキシアパタイトを吸着材に使うことに決めたのでした。 それからハイドロキシアパタイトを用いたクロマトグラフィーのきっかけをつくったヤティーンは、その後も分離精製技術の研究を続けますが、研究の軸足は程なくしてハイドロキシアパタイトからアガロースに移りました。1960年代初頭からアガロースを使った電気泳動や、高純度かつ効率のよいアガロースの精製方法などの論文を発表し、今日のアガロースゲルやアガロース担体の基礎をつくることになります。 ハイドロキシアパタイトからアガロースに興味が移った理由について、ヤティーンははっきりと述べていませんが、ヤティーンと一緒にハイドロキシアパタイトのクロマトグラフィーに取り組んだレヴィンのコメントが参考になりそうです。 ※複数の結合原理が作用するマルチモーダルだからこそ取れる、というタンパク質もあるので、他の方法で取れない目的タンパク質の精製で試す価値は大いにあると思います。 それに加えて、当時の調製法でつくったハイドロキシアパタイトは物理的な強度が低いという問題もありました。もろくてつぶれやすいため、流速を上げたりスケールアップしたりするのに適していなかったのです。 なお、強度の問題については、東京医科歯科大学の青木をはじめとする骨の代替材料開発に取り組む研究者たちによって、1970年代にハイドロキシアパタイトの新しい調製法や高温で焼き固める焼結技術が開発されて大幅に改善されました。1980年代に入ると、そうした医療分野の技術がクロマトグラフィーに応用され、ハイドロキシアパタイトの微結晶を焼結した担体を用いた事例が多数報告されるようになりました。 参考文献
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