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生化夜話 第48回 仮説から外れた結果でノーベル賞 - 解糖におけるリン酸の研究解糖について少しだけ教科書的な記述をしてみます。 解糖の準備期には、2分子のATPが投入され、ヘキソース鎖が開裂されて2分子のトリオースリン酸になる反応があります。 この過程で、その中間体としてリン酸化されたヘキソースが中間体であることがわかったのには、少々の偶然がありました。 ブフナーの発酵実験、残された疑問さて、教科書的な生化学史にもう少々お付き合いください。 1897年の論文でエドゥアルト・ブフナーは、酵母をすりつぶしてからろ過し、そこにショ糖を加えると発酵してアルコールが生じることを示しました。この無細胞系でのアルコール発酵の論文は、生化学における新しい時代のはじまりでした。 その当時の考えでは、酵素は生きた細胞が必要なものと必要でないものに分けられていました。そして、アルコール発酵に関わる酵素は前者に分類され、生きた酵母を用いないと研究できないと考えられていました。しかし、ブフナーの実験により、細胞内の化合物を取り出して実験するという手法が幅広く応用できると考えられるようになり、抽出液を用いたin vitro の実験が生化学研究で盛んに行われるようになりました。 そうした酵素研究の隆盛により、細胞内での化学反応の全部またはほとんどは酵素によって行われていると信じられるようになりました。そして、この時期に特によく研究された酵素の1つが、ブフナーの抽出液に含まれているチマーゼ(zymase)でした。 そのチマーゼには奇妙な性質が2つありました。 1つ目は糖を加えなくてもかなりの量のアルコールと二酸化炭素が、その抽出液からできる(自家発酵)こと、2つ目は抽出物が糖を発酵させる活性は、かなりの速度で失われてゆくことでした。 英国予防医学研究所(今日のリスター予防医学研究所)のアーサー・ハーデンは、これらのチマーゼの性質は、今後の定量的な研究を妨げると考え、その原因を調べました。 ハーデンの調査の結果、自家発酵は抽出液に含まれるグリコーゲンが材料になっていてグリコーゲンがなくなると発酵も終わることがわかりました。 また、活性が失われるのは、抽出液に含まれるタンパク質分解酵素がチマーゼを分解しているからだと結論づけました。 さらに、ハーデンはブフナーが見つけたほかの現象も研究しました。ブフナーは発酵で生じる二酸化炭素の量が、材料である糖が尽きるよりも早く、時間経過とともに減少する(発酵が止まっている)こと 、そして、煮沸した酵母抽出液(酵素は熱で失活している)を加えると発酵が再開することを発見していました。ハーデンは、酵母抽出液に含まれるある種のリン酸が、発酵の再開に関わっている、つまり、解糖にはリン酸が必要であることを発見しました。 今日ではNADとして知られる補酵素が必要であることを発見したのもハーデンです。 その当時、チマーゼは単純な酵素だと思われていたので、酵素本体に加えて補酵素と無機リン酸という3つの要素が必要であるという発見は、大きな驚きをもって迎えられ、ブフナーも当初は懐疑的でした。 その後、1920年代に解糖に関する研究は大きく前進しました。オットー・マイヤーホフが酵母の補酵素は筋肉の解糖で必要な補因子と同じであることを発見し、ハンス・フォン・オイラー=ケルピンが補酵素の構造解明に着手し(1931年に報告)、オットー・ワールブルクは補酵素がジヒドロピリジンヌクレオチドであることを示しました。 その研究成果だけを並べれば、こういった具合に解糖の研究が進展したことになるのですが、ハーデンの研究に関しては、彼の人間関係や偶然が重なって成果につながっていました。 ハーデン - 指導教官と先輩と今日的な生化学の揺籃期19世紀末から20世紀初頭にかけて、生化学者の多くは生理学出身で、後から化学の知識をつけて研究に取り組んでいました。一方、エドゥアルト・ブフナーやハーデンは化学の出身で、周囲にいた生物学の研究者に影響を受けて生化学の道にすすみました。 ハーデンは有機化学を修め、マンチェスター大学の助手になりました。しかし、この時期は、上司のヘンリー・ロスコーの教科書執筆をはじめ、手伝いばかりでオリジナルの研究をほとんどできませんでした。 その後、マンチェスター大学を去ってジェンナー研究所に移り、本格的に研究をはじめることができました。ジェンナー研究所のポスト獲得には、有力者になっていた元上司ロスコーの影響力が大きかったようです。情けは人の為ならず、といったところでしょうか。 エドゥアルト・ブフナーが免疫学者である兄のハンス・ブフナーの影響で生物に興味をもったように、ハーデンは ジェンナー研究所の先輩である微生物学者のアレン・マクファディンのすすめで生物の体内で生じている化学反応に興味をもちました。 マクファディンは、毒素の研究からタンパク質の研究をはじめ、英国の酒造業者が使っていた上面発酵酵母の抽出物を材料に発酵の研究にも着手しました。そんなマクファディンは、ハーデンに大腸菌株の化学的判定の手段として、その代謝を調べることをすすめたのでした。今風の表現をするなら、大腸菌に含まれる代謝産物の性質を、株判定のマーカーにできないかと考えたのです。 大腸菌による糖の分解の過程で、それまでに知られていなかった物質が生成されているのを、ハーデンは発見しました。ハーデンは、元が化学者だからなのか、炭素のバランスシートを作り、全体のプロセスを考えてみるなどしています。ハーデンが解糖に興味をもつようになったのは、この頃ではないでしょうか。 その後、所属していた研究所の閉鎖などで、マクファディンは発酵から毒素の研究に戻りましたが、ハーデンは発酵の研究をつづけました。さらに、二人ともジェンナー研究所を離れましたが、それからもマクファディンとハーデンはいろいろと連絡を取り合っていたようです。 実験の行方解糖系の反応にリン酸が寄与していることを示したハーデンの研究は、リン酸の有機エステルと無水物に関する生化学研究のはじまりと目されています。しかし、その実験は、そんな結果を求めて計画された実験ではなかったようです。 1929年に、糖の代謝に関する研究に対してノーベル化学賞を受賞した際のレクチャーでハーデンが語ったところによると、そもそもの発端は酵母抽出液を動物に注射して抗チマーゼ抗体を作らせ、その効果を見てみよう、というマクファディンのアイディアだったようです。 さて、その血清を酵母抽出物に加えると、解糖が促進されました。調べてみると、酵母抽出液のタンパク質分解活性が抑制されていました。この結果からタンパク質分解酵素に対する抗体ができているとでも考えたのか、対照実験として煮沸した血清でも同じことをしてみました。すると、加熱した血清でも同様に解糖が促進されました。 事前の想定とは異なるよくわからない結果に諦めることなく、何が原因なのかを追究していった結果、ハーデンはリン酸の役割を見出したのでした。 余談ですが、補酵素の発見というとアーサー・ハーデンとウィリアム・ジョン・ヤングによるNADが有名ですが、補酵素(現在はcoenzymeですが、ハーデンの時代にはcoferment)という名前そのものは、彼らのオリジナルではありません。彼らの前に、パリ薬学校のガブリエル・ベルトランはマンガンを必要とする酵素を発見し、cofermentという名前を提案していました。ハーデンたちの研究の新規性は、補酵素が有機化合物であるところと、チマーゼは補酵素とリン酸の2つが必要という複雑さだったようです。 参考文献
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