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生化夜話 第3回:アガロースゲルとアクリルアミドゲル、先に開発されたのは?前回、ロイスによる世界で最初の電気泳動実験からティセリウスがタンパク質の研究に使えるレベルに仕立て上げたところまでをざっと眺めてみました。ティセリウスの電気泳動(移動境界法)は「タンパク質の研究に使えて確実に結果を出せる」という点で画期的ではあったのですが、ガラス管のタンパク質溶液の境界の移動を測定する無担体電気泳動法であったため、今日のゲル電気泳動のように手軽にできるものではありませんでした。 では、今日につながる担体を使った電気泳動の始まりはどのようなものだったのでしょうか。 すべては寒天ゼリーからはじまった担体を使った電気泳動の最初の例は、1907年のフィールドとティーグによるジフテリア毒素と抗毒素の電荷を調べた実験のようです。半円形の管に寒天を詰めて使っていたのですが、バッファーではなく蒸留水で溶かして固めただけのものでしたので、濃度が2%でちょっと固い点を除けばデザートに出てくる寒天ゼリーとまったく変わりません。 1927年には、ティセリウスが色素をゼラチンスラブゲルで泳動して分離することに成功しています。移動境界法の改良をメインテーマとしていたティセリウスは、その結果を論文にすることはありませんでした。 20世紀前半の担体を使った電気泳動で、少し変わった材料を使った例を挙げると、1939年のクーリッジの実験があります。クーリッジは管に粉砕したグラスウールを詰めたものを使って血清タンパク質の泳動を試みました。 紙とデンプンろ紙電気泳動ティセリウスの移動境界法の改良(1937年)からそろそろ10年が過ぎようとしていた1946年、コンスデンとゴードンがろ紙を使ってアミノ酸とペプチドを泳動した結果を報告しました。この方法は手軽であるため、タンパク質の研究にも応用できないかと何人かの研究者が試していますが、あまり良好な結果ではなかったようです。 1920年代には担体を使った電気泳動をスルーしてしまったティセリウスですが、今度は同僚のクンケルとともに技術の改良に取組みました。泳動中の水分の蒸発、温度の上昇、バッファーの濃度勾配、電極槽のpH変化を最小限に抑えるよう工夫してタンパク質の電気泳動に使えるレベルに仕上げ、その成果を1951年に報告しました。なお、この時点で彼らが考えていたろ紙の存在意義は、移動境界法で問題になった熱による試料溶液の対流を物理的に抑える支持担体、というものだったようで、試料をその大きさで分離する分子ふるいとしての効果はあまり考えていないようです。また、ろ紙電気泳動は移動境界法よりも手軽ではあるが精度では劣る技術と認識していたようです。 1951年の論文では、Munktell 20というろ紙を使っていますが、後年の総説ではWhatman™ 1というろ紙が特に良かったと書いています。なお、完全な余談になりますが、ワットマンは紙のメーカーとして大変長い伝統があり、夏目漱石の小説「吾輩は猫である」にも、猫の飼い主が水彩絵の具とワットマンの紙で水彩画に取組む話が出てきます。 こうして改良されたろ紙電気泳動は、移動境界法に比べて装置が簡単なもので済むこともあって、広く普及しました。今日のバイオ研究ではあまり使われなくなっていますが、臨床検査などでは今日でも現役です(ろ紙ではなくセルロースアセテート膜が使われています)。 デンプンゲルクンケルとティセリウスのろ紙電気泳動は、サンプルをごく狭い領域にのせなければならないという手技上の難しさと、ろ紙による吸着という問題がありました。そこでクンケルはスレーターともに、新しい電気泳動用支持担体を探し、ろ紙電気泳動の論文の翌年には、デンプンゲルを使った電気泳動を報告しました。 しかし、クンケルのデンプンゲルは作製が難しく、そのために泳動の再現性が低いという欠点がありました。そこでスミシーズがデンプンゲルの製法を改良し、1955年に報告しました。 「こうしてろ紙電気泳動とデンプンゲル電気泳動は手軽で実用的な電気泳動法として世界の生化学研究を支えることになりました、めでたしめでたし」ということにならないのが日進月歩の研究の世界です。 ポリアクリルアミドゲル電気泳動(PAGE)スミシーズがデンプンゲルの改良した製法を報告してから5年も経たない1959年、レイモンドとワイントローブがアクリルアミドゲルを紹介しました。彼らの論文は1ページに満たない短いもので、本当に紹介程度の内容でした。その短い論文で、アクリルアミドとビスアクリルアミドの混合物で作ったゲルで血清アルブミンとヘモグロビンを泳動してみたところ、他の担体を使った場合よりもシャープなバンドが得られ、ろ紙電気泳動よりもテーリングが少ないことを報告しています。 実はちょうど同じ頃、ティセリウスの弟子の一人、ヤティーンもアクリルアミドゲルの研究をしており、その成果を報告しようとしていましたが、レイモンドたちに先を越されてしまったので、この時は公表を控えました。 それからしばらく時間が過ぎますが、レイモンドたちはPAGEの多用途性に気付いていないのか、そうした利点に触れようとはせず、種類は違うものの分子量は同じヘモグロビンを異なる濃度のポリアクリルアミドゲルで泳動しても分離できない、といった論文を出していました(ヤティーンは、分子量とポアサイズが移動度にどう影響するか考えていれば、そもそもそんな実験はしないはずだと後の論文で批判しています)。そうした状況に我慢がならなかったのか、1962年になって、ヤティーンはPAGEに関する論文を発表しました。6 mm×25 cmのガラス管に詰めたポリアクリルアミドゲルで、フィコエリスリン、フィコシアニン、ヘモグロビンを分離し、分子量とゲル濃度の違いが移動度に与える影響を示したのでした。 アガロースゲル電気泳動アガロースゲル電気泳動の最初の報告は、PAGEから2年遅れの1961年でした。1907年のフィールドとティーグの実験を皮切りに、寒天(アガー)を使った電気泳動も行われてはいたのですが、電気浸透が大きく(電気浸透が大きいと電荷を帯びた分子はゲルの中で移動してしまいます)、塩基性物質(場合によっては酸性物質も若干)がよく吸着してしまうという問題がありました。当時は紅藻から精製した寒天を使っていましたが、その精製方法に問題があり、寒天に含まれる酸性基を除くことができないのが原因でした。 1956年に日本の荒木が報告したところによると、寒天はアガロースとアガロペクチンから成り、アガロースは電荷をもたないとされていました。ヤティーンはこの報告に目をつけ、寒天の中からアガロースだけを精製できれば電気泳動ゲルに適していると考えました。しかし、荒木の研究成果は1937年に日本化学会誌に掲載されていましたが、日本語で書かれていたので、あまり知られることがなく(そのため、寒天の構成分子はすべて硫酸基をもっているという誤った通説が長く流布することとなりました)、荒木の精製方法も当然知られていませんでした。そこでヤティーンはティセリウスから荒木に精製方法の翻訳を依頼してもらい、その方法で精製したアガロースでゲルを作りました。使ってみると、ほとんど吸着はなく、電気浸透もゼロにはならなかったものの大幅にカットでき、大変良好な結果が得られました。 精製法の改良上記のように大変良好な結果を示したアガロースですが、その精製はというと、アセチル化したアガロペクチンをクロロホルムで沈殿させて除去した後、残ったアガロースを脱アセチル化するというもので、文字で記すと簡単そうですが、実はかなり手間と時間のかかる作業でした。1937年の荒木の精製方法は構造を調べるための材料調達を目的としており、日常使う試薬として大量精製するのには向いていなかったのです。 そこで、ヤティーンはアガロースの精製方法を工夫することにしました。まず1962年に報告したアガロースの精製方法は、塩化セチルピリジウムで酸性の多糖を沈殿させるというものでした。この時の論文で、ヤティーンは寒天からアガロペクチンを除去した度合いの評価基準として、電気浸透度と硫酸含量を測定しています。今日でもアガロースの品質を示す数値としてそれらの数値が示されていますが、この時のヤティーンの品質評価法に端を発しているのかもしれません。 さらにその9年後の1971年に、ヤティーンはさらに改良して品質を向上させた精製方法を公表しました。その方法は3種類あり、
というものでした。ちなみに、ヤティーンの1971年の論文で使われていたのはファルマシアのDEAE Sephadex™ A-50で、それから37年経過した今でもまだ販売しています。 参考文献
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