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生化夜話 第12回:鮮やかな赤と青が決め手 - 生化学のツール開発に使われた藻類の光合成色素たいていの生化学の教科書でかなりのページ数が割かれていることからも明らかなように、光合成は生化学の中でも長きにわたって多くの研究が行われてきた分野です。しかし、光合成に関わる分子は、生化学のツールを用いた研究の対象であるだけではなく、生化学のツールを開発する際にも活躍していました。その中でも、特に「色」付きの分子は、光合成生物が異なる光環境に順応して色素組成を変化させる例が19世紀末に報告されるなど、古くから注目されていました(やはり研究者も人間、鮮やかな色のものを研究したくなるのかもしれません)。 スヴェドベリのモデルクロマトグラフィーの歴史は、ロシアのツヴェットが植物色素の分離を行い、その技術をクロマトグラフィーと名付けたところからがスタートしていますが、その発展の過程でも光合成色素は重要な役割を果たしています。生化学で使われる分離技術の開発で評価の高いウプサラ大学のティセリウスや彼の仲間たちも、フィコエリスリンとフィコシアニンをクロマトグラフィー研究のモデルタンパク質として、頻繁に使用しました。 ティセリウスは、フィコエリスリンとフィコシアニンを早い時期から使っています。第2回でご紹介したように、1927年には後のゲル電気泳動につながるゼラチンゲルを用いた電気泳動実験を行っていますが、このときにモデルタンパク質として使ったのはフィコエリスリンとフィコシアニンでした。また、1930年のティセリウスの博士論文でも、これらの色素をサンプルとして使っています。 また、ティセリウスより一世代若い研究者で、アガロースゲル電気泳動を開発したヤティーンも、ゲル電気泳動の研究でフィコエリスリンとフィコシアニンを使っています。 フィコエリスリンとフィコシアニンは、分離を目視で確認できるので便利でした。また、光合成色素は同様にモデルとして使われていた有色のタンパク質であるヘモグロビンに比べると、タンパク質の分子量あたりの発色団の数が多く濃い色を呈します(フィコエリスリンは赤、フィコシアニンは青。どちらもたいへん鮮やかな色です)。この特長により、ヘモグロビンより希釈しても色が見えるので、クロマトグラフィーや電気泳動のマーカーとして使いやすかったようです。 このようにウプサラ大学生化学研究所の定番サンプルとなった観のあるフィコエリスリンとフィコシアニンですが、装置開発のモデルタンパク質として使い始めたのは、ティセリウスの師であるスヴェドベリのようです。 実はご近所で手に入れていた20世紀はじめの一時期、タンパク質はいわゆる「分子」ではなく、コロイドの一種だと考えられていました。そういうわけで、超遠心とコロイドの大家であるスヴェドベリがタンパク質の超遠心分析に乗り出すことになり、実験を重ねた結果、最終的にはタンパク質はコロイドではなく、その当時の常識からすると桁外れに巨大な「分子」であろうという結論に達しています。 一連の研究で、スヴェドベリはヘモグロビン、フィコエリスリンとフィコシアニンをしばしば使いましたが、中でもフィコエリスリンとフィコシアニンは、色が濃い上に分子量が大きくて分散しにくく、超遠心での分析に適していたようです。 ただ、超遠心で使いやすいとはいっても、その調製はけっこうな労働だったようです。スヴェドベリの超遠心装置がたいへん大きなものだったのと、抽出法の限界(当時は細胞内の水溶性色素を抽出するための細胞破砕装置がなかったらしく、とにかく長時間水に浸けるという方法でした)からか、1929年の論文では、30 kgもの糸状性藍藻からフィコシアニンを抽出しています(この作業は、博士号を取る前の、Mr. Tiseliusの仕事でした)。そのような量になると抽出の材料を用意するだけでも大仕事になりそうですが、実は大学のあるウプサラ近郊の湖で採集していました。 また、スヴェドベリはスウェーデンの西海岸に別荘を持っていて、その近くにKristineberg's Zoological Station(現Sven Lovén Centre for Marine Sciences)という施設があり、海藻の色素を分析する場合はここで大量に調達していました。ティセリウスもKristineberg's Zoological Stationで入手した海藻を利用しており、やはりその近くに別荘を持っていますので、よほど便利だったのかもしれません。 異文化の色彩1920年代、日本の研究者は、その研究成果を主に日本語の雑誌に発表しており、国際的な雑誌に発表することは少なかったそうですが、この時期に、スヴェドベリと共同研究を行った日本人研究者がいました。 冶金学者の転身1925年に東京帝國大學(現東京大学)工学部を卒業した桂井富之助は、大学で冶金学(金属工学)を専攻していたことから、理化学研究所に入って鉱石の研究を始めました。冶金学を修めたのであれば、製鉄会社で製錬技術の研究をするか、海軍技術本部あたりで装甲材の研究でもしていた方が経済的には安定しそうですが、桂井の実家は資産家で経済的に恵まれており研究者魂の赴くままに進路を決めることができたようです。 桂井は知的好奇心が旺盛な人物で、昼間は職場で鉱石の研究を行う一方、自宅では専門の冶金学だけでなく化学などさまざまな分野の本を読んで自習していました。その中でも、桂井は特にコロイド化学と物理化学に興味をかき立てられ、数多く読んだ本の中にはスヴェドベリのコロイドに関する著書が含まれていました。 そんな日々の中で、桂井は冶金学の研究に対する興味を徐々に失ってゆきます。結局は冶金学は(金属原子の)並べ方を研究する学問だ、と感じていたようです。そして1927年、桂井はコロイド化学者になることを決心し、スヴェドベリの研究室に留学することを思い立ちます。 幸い経済的には余裕があったので桂井は私費留学することにしますが、スウェーデン公使館で私用でのビザは発行しないとダメ出しを食らってしまいます。それならばと理化学研究所で留学命令書を作成してもらい、めでたく渡航の許可が出ます。ところが、一難去ってまた一難。スヴェドベリに面会に行ったら、以前スヴェドベリの元に留学していた日本人研究者に書いてもらい、送っていたはずの紹介状がまだ届いておらず、飛び込み営業のような状態になってしまったようです。 突然何の面識もないアジア人研究者に弟子入りを志願されて困惑しつつも、スヴェドベリは研究生として桂井を受け入れました。桂井はコロイド化学や物理化学のトレーニングを受けつつ、スヴェドベリのグループの研究にも参加しました。 2800グラムの、、、スヴェドベリの研究室での桂井の仕事は、紅藻からのタンパク質の抽出と精製でした。 既にスヴェドベリは卵白アルブミン、紅藻Ceramium rubrumのフィコエリスリンとフィコシアニンの分子量を超遠心で分析していました。この結果から、あらゆるタンパク質は特定の分子量のサブユニットを基本単位としている、という仮説をスヴェドベリは立てていました。その仮説の検証のために、同じ紅藻の中でも別種であるPorphyra teneraのフィコエリスリンとフィコシアニン、それから別の分類群である藍藻、Aphanizomenon flos aquaeのフィコシアニンを調べることにしたのです。 桂井が調製した紅藻のフィコエリスリンとフィコシアニン、それから前述の30 kgの藍藻からティセリウスが調製したフィコシアニンを、スヴェドベリの超遠心装置で分析した結果はスヴェドベリの仮説に合致していました。こうしてますます自信を深めたスヴェドベリは、桂井と連名で1929年にJournal of the American Chemical Societyにその成果を発表しました。 その論文に掲載された桂井の材料は非常にユニークで、海苔でした。それも、海苔の材料にする藻類などではなく、おにぎりや海苔巻きに欠かせないおなじみの乾物、板海苔そのものです。1929年の論文の「Preparation of Material」に、「The Japanese product, "Nori," which consist of dried Porphyra tenera(乾燥させたPorphyra teneraで作られた日本の製品「海苔」)」とわざわざ明記してあります。 論文には2800グラムの海苔を使ったと書かれています。現在の一般的なサイズの海苔は1枚3グラム程度だそうですので、ざっと900枚以上。桂井が使用した海苔の規格は分かりませんが、日常的な感覚ではちょっと想像できない量です。このような大量の海苔を、1920年代の北欧で購入できるとは思えませんので、桂井が帰省の際に購入するか、実家の誰かに買ってもらうか、あるいは販売店に海外発送を依頼するかしたのでしょうが、このような注文を受けた方は大いに驚いたのではないでしょうか。 海苔の色素を抽出する方法は、Zenjiro Kitasatoという日本の研究者の論文を参考にしています。時期や研究内容からすると、このZenjiro Kitasatoは、北里柴三郎の次男である北里善次郎のようです。Kitasatoは、海苔のフィコエリスリンとフィコシアニンを研究した論文で、海苔について、色素が無傷で保存されており便利だというようなことを記しています(星占いより精度の高い筆者のドイツ語翻訳能力を駆使した意訳)。 余談になりますが、当時の海苔は天日乾燥が主流であったのに対して、現在市販されている海苔は「焼き海苔」で加熱処理されていますので、タンパク質は変性している可能性が高いと思われます。また、材料になっている海藻もアサクサノリ(Porphyra tenera)から、養殖に適したスサビノリ(Porphyra yezoensis)を主としたものに変わっていますので、スーパーで売っている板海苔を材料に桂井とスヴェドベリの論文の再現実験に挑むのはやめておいた方が良さそうです。 なお、帰国した桂井は、タンパク質の研究を続けることはありませんでしたが、スヴェドベリとの親交は終生続いていたようです。 謝辞本稿の執筆に際し、神戸大学・自然科学系先端融合研究環・内海域環境教育研究センター、村上明男准教授より調査のきっかけとなる情報をいただき、文献資料の探索でもご協力いただきました。また、本稿の内容について学術面での校正にもご協力いただきました。この場を借りて厚くお礼申し上げます。 参考文献
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