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生化夜話 第17回:未知なる燃料を芋に求めて

ヒトの燃料にしてはイケマセン

太平洋戦争中の生化学に関連する話題として、発酵させて作ったアルコールを燃料にして零式艦上戦闘機(ゼロ戦)を飛ばした、という話を聞くことがあります。結論から言うと、ゼロ戦を飛ばせるかどうか試したことはあるけれど、現場で実際に運用されてはいない、ということになります。

実は長いアルコール燃料の歴史

昨今言及されることが多くなってきたアルコール燃料(環境保護の観点から特にバイオエタノール)は、実は長い歴史のある技術です。世界で最初に大量生産されたT型フォードにもエタノールで走るモデルがあり、自動車などのエンジン、内燃機関の燃料として、アルコールはごく早いうちから使われていました。しかし、ガソリンが安定して供給されるようになると、内燃機関の燃料としてのアルコールは、いったん廃れました。その後、再び製造されるようになったのは、第一次世界大戦後のことです。政府機関の研究報告書のような形になるのは昭和に入ってからのことですが、日本でも大正10年(1921年)くらいから研究が始まっています。

混迷の予兆とともに

1936年、陸軍航空技術研究所の遠藤中佐が欧米各国を回ってアルコール燃料について調査しました。

必要な石油を国内で調達できるアメリカ、ソビエトはアルコール燃料にはあまり熱心ではありませんでした。また、イギリス国内には油田はありませんが(北海油田の開発が始まったのは1960年代です)、広大な植民地の中には油田地帯もあり、やはりそれほどアルコール燃料には興味を示していませんでした。これらの諸国にとっては、アルコール燃料はガソリンよりも高コストで、魅力的ではなかったのです。一方、大陸側の西欧諸国、ドイツ、フランス、イタリアではアルコール燃料が実際に自動車用に使われていました。

その中でも彼が興味を持ったのがイタリアでした。ドイツは石油の輸入量を減らして外貨を使わないようにするという経済的観点、フランスは農家の保護という農業政策の観点からアルコール燃料に取り組んでいましたが、イタリアは国防・外交上の理由でした。1935年からのエチオピア侵攻で経済制裁を受けていたイタリアは、液体燃料の自給を目指していました。石油は経済制裁の禁輸品目には入っていませんでしたが、経済制裁で輸入に依存していることを自覚したのでしょう。当時、アルコール燃料と言っても、実際にはアルコールと通常のガソリンを混ぜたもので、アルコール混合ガソリンと称するのが適当と思われるものでしたが、イタリアでは純アルコール燃料用エンジンの開発も始まっていました(当時も一部のレース用の車はメタノールなどのアルコール燃料で走っていました。イタリアで開発していたのは、普通の車両に積むためのものなのでしょう)。

国防・外交上の理由からアルコール燃料の活用を進めているイタリアの状況に、軍関係者として興味を持ったのでしょうが、その状況はそのまま後年の日本にも当てはまることになってしまいます。

ノックは不要です

ガソリンスタンドに行くと、たいていのスタンドで2種類のガソリンを売っていると思います。レギュラーガソリンと、ハイオクガソリンです。ハイオクガソリンは「高オクタン価ガソリン」のことで、燃やしたときのノッキングを起こしにくいという特長があります。

ノッキングとは、燃料の燃焼異常などで生じた衝撃波が、エンジンを振動させる現象です(機関工学的にはいろいろあるようですが、生化夜話はエンジン夜話ではないので、大雑把にこうしておきます)。ノッキングがあまりにもひどければ部品が壊れてしまいますし、そうでなくとも燃料の燃焼が期待通りではないので、頑張って燃やしている割には力が出ないということになってしまいます。

ガソリンはいくつかの成分が含まれていますが、その中でノッキングを起こしにくいイソオクタン(2,2,4-トリメチルペンタン)を100、ノッキングを起こしやすいn-ヘプタンを0とします。あるガソリンがイソオクタン100%のときと同様にノッキングを起こしにくければ、オクタン価は100、n-ヘプタン100%のようにノッキングを起こしやすければ、オクタン価は0というふうに計算します。

ノッキング防止のため、昔のガソリンには四エチル鉛が添加されていました(有鉛ガソリン)。四エチル鉛はノッキング防止にはよいのですが、有毒、金属が腐食する、高価といった欠点があり、代わりの添加剤を探す研究が行われていました。1930年代のアルコール燃料は、この研究の流れの中で語られています。

この頃の航空関係の雑誌を見ると、アルコール混合ガソリンの性質に関する研究が多数報告されています。その中で、

  • 25%くらいまでなら、それほど出力は落ちない。アルコールを混合することで、ガソリンの消費量を減らせる。
  • 四エチル鉛ほどではないもののノッキングを防ぐ性質があり、四エチル鉛のような毒性はない。
  • 高オクタン価ガソリンにはあらゆる面で劣るものの、オクタン価の低い低品質なガソリンを使うくらいなら、アルコール混合ガソリンの方が、出力、加速性ともに良好。
  • 低速では燃費がよい。

といった性質が明らかになりました。

黄昏れて芋焼酎

さて、前置きが長くなりました。戦争末期の日本の燃料生産計画については、海軍省軍需局で計画の責任者だった木山中佐が記録を残しています。

石炭液化などの人造石油の研究が昭和初期から熱心に行われていました。その結果がどうであったかということは、発酵させて作ったアルコールを燃料にして云々などという話がある時点で、想像に難くないと思いますが、需要を満たすにはまったく足りませんでした。

1944年夏のマリアナ諸島失陥により、アジアで生産された石油をいつまで日本本土に運び続けられるか、いよいよ怪しくなってきました。その年の9月、本土内で得られる原料から燃料(特に航空燃料)を生産しようという「新燃料戦備」計画が策定されました。その核となるのは、松根油(しょうこんゆ)とエタノールでした。

松竹梅ではなくて松松松

松根油は本題から外れますのでざっと概略だけ記します。松根油は松の切り株から取れる油状の液体で、塗料の原料などに以前から使われていました。「新燃料戦備」では、日本全国の松の切り株を引っこ抜いて、各地に設置した小型の乾溜施設で抽出(粗油)、それを燃料工場に集めて精製して燃料として使おうとしました。

その結果は前述の木山中佐によると、終戦時の保有量が5万キロリットル、生産量は海軍分で月産1万5000キロリットルとなかなかの数字に見えます。ただ、終戦後にアメリカ海軍の調査団がまとめたレポートによると、日本全体で粗油の生産能力が年間36万キロリットルとなっています。この数字から、36万キロリットル÷12÷2(陸軍と海軍で半分ずつと仮定)=1万5000キロリットル/月となりますので、5万キロリットルもあったと書いているのは、精製前の粗油で、実際に燃料として使える状態だったのは少量だったのではないかと思います。

締めは芋で

このように、松根油は全国の国民を動員して松の切り株を集めたおかげで、粗油の量だけは急速に増えました。しかし、松の切り株の数が限られており、そう長くは持たないことが計画策定の時点から明らかでした。そこでとりあえずは松根油でしのぐとして、その後は農産物を発酵させて作ったアルコール、今風に呼べばバイオエタノールで航空機を飛ばそう、ということになっていました。

まず、ブタノール発酵のプラントをエタノール発酵のプラントに改装しました。ブタノールは航空燃料に添加するためのイソオクタンの原料です。従来型の航空燃料ではなくバイオエタノールを主力にするということで、イソオクタンは無用、ということになったのではないでしょうか。これらのプラントでは、燃料用アルコールの第一陣として、それまでブタノール発酵用に用意していた砂糖を材料に、エタノールを製造しました。

そして、木山によると、もっとも期待を集めていたのは、全国各地に多数存在する酒造場のエタノール工場への転換でした。しかし、酒造業界は大蔵省主税局の所管でしたので、海軍省から好き勝手に命令することはできません。そこで木山は、主税局長の池田勇人に協力を頼みました。木山・池田コンビは、準備のために関東の酒造場を視察して回りましたが、その際に池田が示した気合いは相当なものらしく、軍人に勝るとも劣らぬと木山は書き残しています。ちなみに、池田は戦後政界に入り、1960年から64年にかけて内閣総理大臣を務めています(バイオエタノール部門の責任者が首相になった国、と自慢できそうです)。

準備は順調に推移し1945年10月から本格生産に入る予定でしたが、ご存じのように1945年8月に終戦ということになりました。酒造場を使ったエタノール生産の主原料はサツマイモでした。そのため、人間の主食とエタノールの原料という2つの目的で、サツマイモを27億貫(1000万トン)生産しようということになり、日本中の空いている土地が芋畑になってしまったのでした。

燃料技術者の陳述

エタノール燃料の実用化のための技術研究や、エタノール燃料の性能評価は、現在の横浜市栄区にあった第一海軍燃料廠で主に行われていました。終戦後、アメリカ海軍の調査団が調査に入ったときには、報告書などは焼却されていましたが、関係者を呼び戻して、残された実験ノートや器具、設備から研究内容を再構築し、レポートにまとめています。また、関係する研究が行われていた京都大学や横須賀の第一海軍技術廠でも聴き取り調査を行いました。

サツマイモをスライスして乾燥させたものを常圧でふかし、すりつぶして発酵に使いました。発酵に必須の麹は、通常の焼酎づくりであれば、米麹や麦麹になりますが、米・麦ともに不足している時代でしたので、多分別のものでしょう。レポートによると、米麹・麦麹の代わりを探す研究も行われており、トウモロコシ麹はなかなか好成績だったようです。個々のエタノール製造の現場でどんな麹が使われていたのかを見つけることはできませんでしたが、トウモロコシは中国大陸から持ち込むことができましたので、トウモロコシ麹を使っていたのではないでしょうか。

コウジカビは、普通の焼酎製造に使われているAspergillus oryzaeと、沖縄の泡盛に使われているAspergillus awamoriの比較が行われました。その結果、通常通りA. oryzaeを使う方が良好という結果でした。

こうして、全国の酒造場でできるエタノールの濃度は30%で、もちろんこのままでは燃料として使えません。これを94%に濃縮するための蒸留プラントが設計され、1945年7月には燃料廠の化学工学部と千葉県のIinuma Sake Breweryに建設したテストプラントが稼働しています(千葉県内に飯沼という名前を冠した酒造メーカーがありますが、聞いてみたところ初耳だということで、Iinuma Sake Breweryの詳細は分かりませんでした)。このプラントはなかなかの優れもので、3人で操作でき、年間500キロリットルの製造能力がありました。

と、エタノールを製造するところまではよかったのですが、エンジン関係のテスト結果を見る限り、その実用性にはかなり疑問があります。

まず、そもそも94%のエタノールというところが問題でした。この濃度ではかなり水分が含まれているため、その当時の日本軍機のエンジンでは使えませんでした。燃料として使うには濃度を99%まで高める必要がありましたが、99%のエタノールは大量に製造できませんでした。

エタノールはガソリンに比べると出力不足という問題もありました。エンジン単体でのテスト結果によると、99%エタノールは、300~500馬力のエンジンには使えました。しかし、実戦で使うような1000馬力や2000馬力のエンジンには出力不足でした。99%エタノールと通常のガソリンを1対1で混合すると、そうした高出力エンジンでも使えましたが、性能的にはあまりよくありませんでした。

エタノールはガソリンに比べて揮発性が低いことも悩みの種でした。1気筒のシンプルなテスト用エンジンではよかったのですが、複雑な構造の多気筒エンジンではエタノールが適切に行き渡らず、燃焼が不均一でノッキングが生じました。さまざまな添加剤を試した結果、アセトンを加えるとよいということが分かりましたが、今度はそのアセトンをエタノールから製造しようということで研究している間に、終戦を迎えることになりました。

また、その当時のエンジンのキャブレター(燃料と空気を混ぜる部分)はアルミ合金でしたが、これがアルコールに弱く、アルミ合金をアルコールによる腐食から守る添加剤の研究も必要でした(添加剤としてはジブチルアミンがよかったそうですが、入手しやすさという点で亜ヒ酸ナトリウムが採用されました)。

そんないろいろを乗り越えて、ガソリンを使わずに99%エタノールだけで飛ばすテストにこぎつけました。飛行テストには、冒頭に出てきた零式艦上戦闘機の他、紫電、雷電、彗星など実戦用の機体、そして練習機が使われました。結果として、飛ぶには飛んだのだそうです。ただ、出力は不足で、排気が高温になるという問題がありました。特に、零式艦上戦闘機では、排気が800度の高温になってしまい(多分、揮発性が低いためエンジン内で燃え切らずに、燃えながら排気に出てきてしまったのでしょう)、過給圧をゼロに落として低出力にしないといけなかったそうです。

そういうわけで、結局、この時点ではエタノールで実戦用の機体を飛ばすのは無理があり、練習機でガソリンと99%エタノールを1対1で混合した燃料を使うということになりました。

発酵工場で見た夢

練習機をアルコール混合ガソリンで飛ばした際のいろいろは、実際にその燃料で苦労された方々が書いているものがありますので、ここでは触れないことにします(ア号燃料もしくはあ号燃料で検索すると、いろいろ出てくると思います)。

戦争による石油輸入の途絶という外部要因に突き動かされてのこととはいえ、また実用上かなり問題があるものであったとはいえ、60年以上も前に、さまざまな技術上の困難を工夫で乗り越え、バイオエタノールで航空機を飛ばしてみせた事実は、日本の生化学および機関技術の事蹟として特筆すべきものかと思います。

航空機は揚力を発生させるために速度が必要ですが飛行船ならさほどスピードはいらないので、エタノール燃料につきものの出力不足の問題は緩和されるのではないでしょうか。硬式飛行船を偏愛する筆者は、時々そんなことを考えます。

余談の余談

生化夜話は元々余談のネタを目的としていますが、さらに余談です。

当時研究されていたバイオエタノールの材料に、面白いものがあります。栃餅などの材料にする栃の実です。食料や飼料として研究されることが多かったのですが、中には発酵させてエタノール燃料を製造した研究者もいました。東北地方だけでも栃の実は4万トンほど取ることができ、5~7万キロリットルのエタノールができる、栃の実のままであれば貯蔵も容易、とその効用を喧伝していますが、さて、広大な山林に落ちている栃の実をどうやって効率よく回収するつもりだったのか、興味が尽きません。

もう一つ余談です。

諸外国では軍隊での研究が民間転用され、企業の競争力向上に寄与している。翻って日本にはちゃんとした軍隊がないから・・・という趣旨の話をメディアで目にすることがありますが、筆者にはちょっと疑問です。

陸軍科学研究所第一部長が、軍用の機材・兵器について生産や研究面での特性を説明する中で、軍隊と民間の研究の分担に言及したことがあります。砲熕など軍隊でなければ研究できないものは軍隊で研究するけれど、それ以外の技術・機材は民生品をそのまま使うか手直しで済ませるので、研究は民間が主、軍隊はそれを取り入れるのが基本と述べています。筆者にはごくまっとうな見解に思えますが、いかがでしょうか。軍隊の研究が民間でも役に立った例があるのは確かですが、それは少数の例外ではないかと思います。また、ちょっと意地悪な見方かもしれませんが、政府も軍隊も予算で動いていますので、もし仮に軍隊が大きな予算を取っていたら、その分どこかの省庁の予算が減るでしょう。有限の予算をぶんどり合うわけですから、軍隊があっても、研究予算の出所が変わるだけではないかと。

また、この第一部長は講演で戦車について、「・・・のろのろしているのもいけなければ、さりとて一発弾を喰へば直ぐ参つてしまふのもよくない。」と、ここでもごくまっとうなことを語っています。福田定一少尉が聞けば泣き出しそうです(司馬遼太郎の本名。戦車隊の士官で、後に日本戦車の脆弱性を嘆くエッセイを残しています)。

という具合に、陸軍でも技術部門は「大日本帝国陸軍」という言葉につきまとうイメージとはちょっと違うようですし、実際に代用燃料の研究を府中の陸軍燃料廠でやっていたようです(ここにもアメリカの技術調査団が入っています)。しかし、アルコール燃料に関する研究においては、あまり成果がなかったようです。

参考文献

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  • (抄録)自動車燃料としての酒精-揮発油, 日本航空学会誌, vol. 3, no. 20, 1410-1411 (1936)
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  • (抄録)内燃機関燃料としてのアルコール混合ガソリン, 日本航空学会誌, vol. 5, no. 37, 491-492 (1938)

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