笠井献一先生
探日録 第1回:「出来損ないさん」のおかげです 《前編》
ユニークな相互作用研究法「フロンタル・アフィニティークロマトグラフィー」の誕生と成長
第1回 アフィニティークロマトグラフィーとの出会い
北海道大学薬学部の助手だった1970年代初め。血液凝固酵素を精製しようと苦労していました。ある日、ボスの石井信一先生が、ウプサラ大学のポラートさんの学会講演で耳にしたことを教えてくれました。臭化シアン活性化法でアミノ基をもつ物質をセファロースに固定化できる(1)。その方法でクアトレカサスたちがキモトリプシンだけを結合する吸着体を作った(2)。これをアフィニティークロマトグラフィーと言うそうだ。酵素精製にこの方法が使えるかもしれない、というアドバイスでした。
クアトレカサス達は固定化リガンドとしてD型トリプトファンのメチルエステル使いました。キモトリプシンの活性部位に結合するけれど、加水分解はされない競合阻害分子です。血液凝固酵素はトリプシンの親戚だから、D型のリシンかアルギニンのエステルを固定化リガンドにすればよさそうです。でも有機合成はかなり面倒。ところがもっと手抜きできるアイディアを石井先生からもらいました。
サケの白子に豊富に含まれる塩基性たんぱく質サルミンは、構成アミノ酸の3分の1がアルギニンで、トリプシンで分解するとC末端にアルギニンを持つペプチド(AP)がたくさん得られます。N末端のアミノ基でセファロースに固定化できるし、中間の残基がスペーサーになる。C末端のアルギニンはトリプシンに親和性があるはず。基質ではなく生成物で、遊離カルボキシ基があるから、結合力は基質に劣るだろうが、弱すぎたらその時点で次の手を探したらよかろう、というわけです。
生まれて間もないアフィニティークロマトグラフィー。知り合いに経験者は一人もいません。半信半疑ですが、お勧めに従って、「駄目もと」で、まずはトリプシン用の吸着体を作ってみることにしました。見込みが外れるのはいつものことだから、失敗はぜんぜん怖くありません。
不思議なAP-セファロース なぜ低いpHで働きが良くなるのだろう?
APをセファロースに固定化して吸着体(AP-セファロース)を作りました。カラムにつめてトリプシン溶液を流しました。思ったとおり失敗。トリプシンは吸着されませんでした。でもよく調べると、素通りよりはちょっと遅れていました。使った市販品のトリプシン標品は純度が低く、かなり不純物が含まれていました。カラムからの流出液を調べると、初めに不純物が出て来た後、活性を持つトリプシンもだらだらと漏れていました。吸着力が弱すぎる。でもトリプシンを吸着し損ねているけれど、とりあえず不純物からは分けてくれた。出来損ないだけれど、ある程度は使えるかもしれない。
トリプシンはだらだらと道草してきたので、隊列がすっかり伸び、薄まっていました。少量の濃い溶液として回収したいと思って、不純物が出終わった直後に、カラムに1 mM 塩酸を注ぎました。酵素を追い立てるためです。ところがトリプシンが出てこないのです。「しまった、何か根本的なミスをした」とパニックになりました。でもミスではなくて、新発見でした。もっと濃い塩酸を加えたらトリプシンが出て来ました。吸着されていたのです。APセファロースが強力な吸着体に変身していました(3)。
クロマトはpH 8.2(トリプシンの最適pH )の緩衝液でやっていました。だから1 mM 塩酸を注いでもカラム内のpHがすとんと下がることはなく、だらだらと下がっていったのです。後で確認できたことですが、APセファロースとトリプシンとの結合力が、pH7から4の間では、pH 8.2のときより一桁くらい強くなっていました。酵素反応の最適pHで最大の結合力になるだろうという先入観で実験したのですが、生成物との結合力のpH依存性はまったく違っていたのです。結合力は触媒作用の最適pHでは弱く、それよりも低いpHの方がずっと強くなっていたのです。
酵素は基質を好みますが、生成物になったとたんに心変わりして、追い出そうとします。次の基質のために活性部位を空けてやるためです。トリプシンが切断した生成物のC末端にはカルボキシ基が露出し、中性pHでは負電荷を持ちます。これに反発する負電荷が活性部位に存在し、生成物への親和性を低くしているのでしょう(どの負電荷なのかはまだ特定されていませんが)。pHが8から7くらいまで下がると、この負電荷が中和されて、生成物に対する反発がなくなると考えられます。それでpH7から4くらいの間では、APセファロースが強い吸着体としてふるまうのです。
文武両道のアフィニティークロマトグラフィー
初めて作った親和性吸着体が出来損ないだったおかげで、はからずも酵素の結合特性に関する新発見に恵まれました。立派な吸着体を作ることに成功していたら、こんな発見をする機会はおそらくなく、精製目的だけに使うことになっていたでしょう。
すぐに気になったのは、APとの相互作用に触媒活性が必要かどうかということでした。そこでDFPトリプシンとTLCKトリプシン(注)を作って(pH7で)試したところ、どちらもカラムを完全に素通りしました。APセファロースとの相互作用に触媒活性は必須なようです。しかしよく考えると、DFPもTLCKもトリプシンの基質結合ポケットに大きな修飾基を持ち込みます。これでは固定化リガンドのアルギニンの側鎖が入るスペースがなくなります。結合ポケットをふさがないような、小さな基で修飾しないと本当のことはわかりません。
そこでSer183をデヒドロアラニンに変えたアンヒドロトリプシン、His46にカルボキシアミド基を結合させたCAMトリプシンを作りました。するとどちらも吸着されました。このことから、トリプシンの基質(および関連分子)認識能力は触媒能力とは無関係だということ、つまり基質結合ポケットと触媒部位は、それぞれが独立に役割を果たしていることが分かりました(4)。
「もの」(酵素)を得たいと思って始めたのに、いろんな「こと」(酵素の性質)がわかってしまいました。「アフィニティークロマトグラフィーは発見の手段にもなる。腕が立つだけじゃない。知性も高い。知性の方を伸ばせば、たんぱく質の特異的結合能力の研究に使えそうだ。それを追求するのは、面白いし、大きな意義がある」と思いました。そこで血液凝固の研究はちょっと中断して、アフィニティークロマトグラフィーという現象そのものを、もう少し攻めてみようと考えました。
ところがその後の展開は、予測していなかったことの連続で、脇道にそれにそれて、元の道は遠くなるばかり。結局、二度と血液凝固に戻れなくなりました。こうやって道を踏み外したため、血液凝固分野には貢献できませんでしたが、その代わり、生体分子間の相互作用、特に情報分子として働く糖の役割の理解を深めることには、なにがしか貢献できたかと思っています。いかにも我田引水ですが、自然科学では、道を踏み外したことの結果が、新たなフロンティア発見につながる可能性が常にあります。それが許される研究環境に身を置けたことは幸いでした。
さて、どんなことが起こったのかは次回で。乞うご期待。
(注1)DFP(ジイソプロピルフルオロリン酸)は触媒活性に必須なSer183、TLCK(トシルリシンクルルメチルケトン)は同じくHis46を特異的に化学修飾して失活させる。
参考文献
- Axén, R., Porath, J. and Ernback, S. (1967) Chemical coupling of peptides and proteins to polysaccharides by means of cyanogen halides. Nature 214, 1302-1304.
- Cuatrecasas, P., Wilchek, M. and Anfinsen CB. (1968) Selective enzyme purification by affinity chromatography. Proc. Natl. Sci, 61, 636-643.
- Kasai, K. and Ishii, S. (1972) Affinity chromatography of trypsin using a Sepharose™ derivative coupled with peptides containing L-arginine in carboxyl termini. J. Biochem. 71, 363-366
- Kasai, K. and Ishii, S. (1973) Unimportance of histidine and serine residues of trypsin in the substrate binding function proved by affinity chromatography. J. Biochem. 74, 631-633
笠井献一先生
1939年生まれ。1962年東京大学理学部生物化学科卒業。同大学大学院化学系研究科生物化学専攻博士課程在学中にフランス政府給費留学生としてパリの生物物理化学研究所で研究に従事。北海道大学薬学部助手、同助教授を経て、1979年より帝京大学薬学部教授、2010年より同大学名誉教授。現在は退官。専門はアフィニティー技術、糖鎖生物学。著書に『アフィニティークロマトグラフィー』(共著、東京化学同人)、『バイオアフィニティ』(共立出版)などがある。
趣味は、アマチュア合唱団で歌うこと、イタリア語、ドイツ語、フランス語を話すこと(オペラ好きのため)。庭に花を植えること。
今回、「探日録」をご執筆いただいた、笠井献一先生の書籍です。
『科学者の卵たちに贈る言葉 江上不二夫が伝えたかったこと』(岩波科学ライブラリー)
- 単行本(ソフトカバー): 128ページ
- 出版社: 岩波書店 (2013/7/6)
- ISBN-10: 4000296108
- ISBN-13: 978-4000296106
- 発売日: 2013/7/6
Amazon™、紀伊國屋書店等の書店にてご購入いただけます。
◆書籍紹介◆
よみがえる江上不二夫の名言の数々。20世紀後半のカリスマ生化学者が説いた江上思想は、今日でも決して時代遅れでもなく、色あせてもいない。むしろ自然科学研究が時代の波に激しく翻弄され、科学研究の原点が霞みがちの今日こそ、一見逆説的な提言はかえって新鮮さがきわだつ。どんな研究に、いかに取り組み、いかに結果に対処すべきか?いくども噛みしめたくなる助言と智恵の宝庫。タイトルは「科学者の卵たちへ・・・」だが、ベテラン科学者、指導的科学者までもが、大いに鼓舞され、迷いから解放され、勇気をもらえると大好評。読売新聞、毎日新聞、中日新聞、その他のメディアで紹介されている。
◆目次◆
- 他人と戦わない
- 人真似でかまわない
- 伝統を大切にする
- つまらない研究なんてない
- 三ヶ月で世界の最先端になる
- 実験が失敗したら喜ぶ
- 先生は偉くない