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帯広畜産大学 浦島匡先生
探日録 第4回:ミルク成分も進化します 《後編》

αラクトアルブミンは溶菌酵素リゾチームから進化した。

α-ラクトアルブミンのアミノ酸配列は、細菌の細胞壁を加水分解して殺菌するリゾチームと相同性があります。
α-ラクトアルブミンは哺乳類に固有のたんぱく質ですが、リゾチームは鳥の卵白や哺乳類の涙、乳、そして昆虫に至るまで幅広く発見されている”古い”たんぱく質ですので、α-ラクトアルブミンはリゾチームを先祖たんぱく質として分子進化したことは明らかです。
つまり、哺乳類の共通祖先では、ある時期にリゾチームが遺伝子重複を起こし、その一方がα-ラクトアルブミンに分子進化し、その後、ミルクの先祖のような分泌物の中にラクトースやミルクオリゴ糖が分泌されるようになったと考えてよいと思います。

私は2001年にMesser先生と共にTrends in Glycoscience and Glycotechnologyという雑誌にラクトースとミルクオリゴ糖に関する進化仮説を執筆しました(6)
乳の中でラクトースが優勢になるか、あるいはミルクオリゴ糖の方が優勢になるかの鍵は、乳腺の中で発現するα-ラクトアルブミンの量にあると考えられます。

α-ラクトアルブミンの量が少なければラクトースの合成速度は遅く、合成されたラクトースはすぐに糖転移酵素のアクセプターとして使用されてしまい、ミルクオリゴ糖の方が優勢な乳となります。
反対にα-ラクトアルブミンの量が多くなり、ラクトースの合成速度が速くなると、相対的にミルクオリゴ糖の合成速度が追いつかなくなり、過剰になったラクトースが残ります。その結果、乳の中でラクトースが優勢になると考えられます。

シドニー大学のMesser先生は、カモノハシとハリモグラの乳からα-ラクトアルブミンを単離・精製しましたが、その量が非常に少ないので大変に苦労したと言っていました。これは、この仮説を裏付ける事実のひとつです。
また面白いことに、カモノハシとハリモグラの乳から精製したα-ラクトアルブミンは、他種のα-ラクトアルブミンと比較すると、リゾチームの活性中心アミノ酸残基と等しいものを一つ余計に残していました。他のα-ラクトアルブミンよりも先祖たんぱく質リゾチームに近いことがわかります。

カモノハシやハリモグラは卵生です。ミルクは乳首ではなく乳嚢といわれる100あまりの小さな孔から分泌されます。これは現在の哺乳類の共通祖先の特徴だったのでしょう。初期哺乳類の乳腺でもα-ラクトアルブミンの発現量が少なく、カモノハシ、ハリモグラなどのように、ラクトースよりもミルクオリゴ糖の方が優性だったと私は考えています。
初期哺乳類のミルクの中で、ラクトースはごく少量だったでしょうから、ミルクの中の糖は栄養源としての役割は求められていなかったと思われます。

ミルクオリゴ糖は消化管表面に病原性のウィルスや細菌がくっつくのを防ぐ働きをしていたと予想されます。試験管内での上皮細胞への付着接着性試験によれば、ヒトミルクオリゴ糖にはCampylobacter jejuniやノロウィルス、アメーバ性赤痢起因原虫Entamoeba histolytica、腸管毒素生産性大腸菌、尿管病原性大腸菌、ロタウィルス、ノロウィルスなどへの感染予防効果があるとされています。
本来はミルクの中の糖質の役割は、細菌・ウィルス感染防御にあったと私は考えています。
リゾチームも殺菌作用をもった感染防御物質です。
リゾチームからα-ラクトアルブミンへ進化をして、赤ちゃんを病原菌感染から守る新しいタイプのシステムが生まれたことになります。

オリゴ糖からラクトースへ変わったことの意味は?

では、現在の多くの哺乳類の乳でなぜラクトースが優勢になったのでしょうか。またラクトースが優勢になった意義はどのようなものでしょうか。
哺乳動物の進化にともない、ウシやヒツジなどの動物でα-ラクトアルブミンの発現量が高まり、ガラクトース以降に糖を付加する転移酵素とのバランスが変わり、ミルク中のラクトース含量が大幅に増加しました。

ラクトースをエネルギー源にできるようになったことがこれらの種の存続に有利に働きました。ヒトもその範疇です。なぜでしょうか。
ラクトースが赤ちゃんの栄養源になるためには、赤ちゃんの小腸にラクターゼという消化酵素が発現しなければなりません。
ラクターゼによってラクトースはガラクトースとグルコースに加水分解され、吸収されて体の栄養源となります。ラクターゼがなくてはラクトースは栄養源になることができません。
Messer先生たちは、ハリモグラやワラビーの赤ちゃんの小腸にはこのラクターゼが存在しないことを発見しています。
ラクターゼは、胎盤の中で胎児を育てる動物の赤ちゃんに固有なものなのです。(ブラッシュテイルポッサムの授乳後期の乳仔の小腸など、例外はありますが。)
このことは哺乳類の共通祖先から単孔類や有袋類がわかれ、さらに、胎盤をもつ哺乳類(真獣類)に進化してはじめてラクターゼが働くようになったことを意味しています。
ミルクの糖が赤ちゃんの重要なエネルギー源となった背景には、αラクトアルブミンとラクターゼという2つのたんぱく質の進化があったことになります。

では、クマの場合はどうでしょうか。
クマは胎盤をもった動物にも係わらず、ミルクの中でラクトースよりもミルクオリゴ糖の方が優先的です。なぜでしょう。
私たちはクマの冬ごもりこそが秘密の鍵を握っていると考えています。
クマのお母さんは秋に冬ごもりの前にどんぐりなどをたっぷりと食べ、それから穴に入って冬ごもりを開始します。冬ごもりのあいだに眠っているうちに小さな赤ちゃんを出産します。冬ごもりの間、お母さんは飲まず食わずです。
動物の種類によってラクトースと脂質のどちらを第1栄養源とするか異なっていますが、クマの場合は、主に脂肪です。 
クマのお母さんにとっては脂質を栄養源として赤ちゃんに与える方が好都合なのです。どうしてでしょうか。
血糖は脳の活動が維持されるためには、常に一定の量が維持されていなければなりません。血糖が足りなくなると、体の中のたんぱく質を壊して糖が作られます。
クマのお母さんは冬ごもりしている最中に赤ちゃんにミルクを与えなければなりません。もしクマのお母さんが赤ちゃんに栄養源としてたくさんの糖質を与えたとしたら、お母さんの血糖のレベルを維持するために、体のたんぱく質を壊してしまうことになります。
それよりも冬ごもり前にたっぷりと皮下にため込んだ脂質を、そのままミルクにだした方がお母さんにとっては好都合なのです。
クマ特有の生理にあうように、α-ラクトアルブミンの発現量が低下し、そしてラクトースの合成速度が低下しました。
しかし、ラクトースをアクセプターとする糖転移酵素の活性は維持されています。そのため、ミルクの中でオリゴ糖の方がラクトースよりも多いというパターンになりました。A型やB型のオリゴ糖は、クマの未熟な赤ちゃんを細菌やウィルスから守っていると思われます。
リゾチームからα-ラクトアルブミンへの進化は、このようにミルクの中の複雑な糖質の状況を作り出し、それが哺乳類の子育て戦略とも密接に結びついていったのです。
どの時期に哺乳類が出現したか、今日のようなミルクを分泌するようになったのか、その謎を解くヒントの一つは分子生物学的な証拠に基づいてリゾチームからα-ラクトアルブミンへ進化した時期を特定することだと思っています。

私は30年近くにわたっていろいろな動物のミルクオリゴ糖の構造を研究してきました。単に構造解析するだけでなくて、このように夢を膨らませて想像すれば、研究は楽しいものです。
またMesser先生やスミソニアン動物学研究所のOlav Oftedal先生など、いっしょに考えてくれる人に恵まれたのも幸運でした。
若い研修者や研究者を目指す人たちは赤毛のアンではありませんが、想像のつばさを拡げ、また、よき友達に巡り会わんことを心がけるべきだと思います。

ミルクは人類の歴史の方向も決めた

ミルクは動物の赤ちゃんにとっては、唯一の栄養源であり、また体をまもってくれる働きをしています。
一方で、ヒトはウシやヒツジのような危険性の少ない動物を飼い慣らすようになり、いつのまにかミルクを横取りして食品にするようになりました。
ヒトは離乳した後にも、ミルクを飲み続ける唯一の動物です。酪農が開始する以前は、離乳後にラクトースにふれる機会はありませんでしたから、ラクターゼの働きは必要とはしていませんでした。
牛乳をのんだ経験のない石器時代の成人が、もし大量の牛乳を飲んだとしたら、おなかを急にくだしてしまうであろうと思います。
牛乳のラクトースは小腸で消化されず大腸に到達し、そこで浸透圧を発揮するからです。
このような症状は今でもアジアやアフリカの一部の人に見受けられます。

しかし不思議なもので、酪農がはじまってから一部の人の小腸の中のラクターゼの活性は離乳後も維持されるようになりました。
そういう人たちは、牛乳を飲んでもラクトースを栄養源とすることができます。また、ラクターゼの活性のない人たちも牛乳を飲み続けているうちに、ラクトースを消化できなくても、下痢をしないで牛乳を飲むことができるようになってきています。  牛乳を飲む習慣は、酪農民からはじまり、そして世界中に拡がっていきました。
もし、牧畜文化(遊牧民族)がなかったら、雑草しか生えないやせた土地で生きるすべを与えてくれる家畜たちがいなかったら、イスラエル民族は出現せず、ユダヤ教もキリスト教も生まれなかったでしょう。モンゴル帝国も出現せず、フビライもチンギスハンも出なかったでしょう。人類は全く違った歴史を歩んでいたであろうと思われます。
バターもチーズもヨーグルトもなく、今日、多くの人々を幸せな気持ちにさせてくれる食文化の爛熟はなかったであろうと思います。ミルクは科学にとっても食文化にとっても、とても味わい深いものです。

 

参考文献

  1. Messer, M. and Urashima, T. (2002) Evolution of milk oligosaccharides and lactose. Trends Glycosci. Glycotech. 14, 153-176.

 

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帯広畜産大学 浦島匡先生

1980年 東京農工大学農学部卒
1986年 東北大学大学院農学研究科博士後期課程修了
同年   帯広畜産大学畜産学部助手
1994年 同助教授
2003年 同教授
現在   帯広畜産大学大学院畜産学研究科教授
1991年 シドニー大学において在外研究

主な研究 ミルクオリゴ糖の構造と進化
所属研究室 帯広畜産大学畜産衛生学研究部門乳衛生学教室

 


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