東京工業大学大学院生命理工学研究科 伝田公紀先生
探日録 第9回:私のセレンディピティ - 細胞進化を語り継ぐア-キアV型ATPaseの発見《前編》
ATP合成酵素との出会い
まだ大学院生だったバブル景気たけなわの頃、私は、大島泰郎教授・吉田賢右助教授(当時)の研究室に所属していました。
大島先生は、故江上不二夫先生の一門で、生命の起原や宇宙生物学の分野で世界的にも有名な日本の好熱菌のパイオニアであり、吉田先生はATP合成酵素の研究で当時すでに国内外で注目されていた気鋭の生化学者でした。
開所当初から大吉(excellent luck、大島・吉田研から)研とも囁かれた、ずいぶん恵まれた研究室に身を置いていたわけです。
まだDNAシーケンスがマニュアル([α-32P]-dCTPの取り込み反応物をゲル電気泳動で展開後にオートラジオグラフィーで解析)で行なわれ、PCR法が手法としてScience誌で紹介されたばかりのゲノム解析黎明期の当時においては、機能未知の遺伝子を次々とDNAクローニングしていくことが生命科学研究の主流のひとつでした。私の研究課題は好熱菌のATP合成酵素の遺伝子解析でした。
賽を振るときは訪れ
ところで、イオン輸送を行うATPase(H+-ATPase [プロトンポンプ]:生体膜に存在し、ATPの加水分解と共役してH+を輸送するイオン輸送性ATPase、本稿では以後ATPaseと呼びます)は、F (FoF1) 型、V型、P型の3つのカテゴリーに大別されるものと考えられています。これらのうち、好気呼吸を行う全ての生物において酸化的リン酸化の主役であるATPを合成する酵素は、教科書的にはF型ATPase(Fは共役因子coupling factorに由来)が担うものとされ、原核細胞では形質膜に、真核細胞ではミトコンドリア内膜に局在します。
この酵素は、その一次構造が細胞呼吸をする生物種間において高度に保存され、膜内在部を含む多数のサブユニットからなり、生物のエネルギー通貨であるATPを基質レベルリン酸化以外で合成する唯一の酵素として、生命現象にessentialなものです。そういえば、吉田先生の過去の講演中の、「地球上で最も多いタンパク質は、植物に大量に含まれるRubisCOとよくいわれるが、実際のところはバイオマスのほとんどすべてが所持するATP合成酵素だろう」というコメントは確かに的を射ています。
他方、内腔側のpHが中性付近から酸性側にシフトしている液胞やリソソーム等の単膜系オルガネラ膜上に存在するイオン輸送性ATPaseは、F型とは異なる独自のサブファミリーに属することが吉田先生はじめ少数の見識ある研究者によって最初に認識されだします。
ところが、このような新たに生み出された概念はご多分に漏れず、当初なかなか受け入れられませんでした。精製が難しいことが原因で、コンタミしたF型ATPaseを内膜系のATPaseだとする、今から振り返れば混乱を招きかねない発表が重なったり、この分野の大御所がかなりの間、「あれは(F0)F1だよ」とコメントし続けたことも影響したかもしれません。しかしながら、この新奇なATPaseは次第次第に固有のカテゴリーとして区別され、V(vacuolar)型と呼ばれるようになっていきます。
そのような時代背景において、ちょうど大学院生だった私の研究材料となる生物種は、pH2、80℃で生育する好酸好熱菌スルフォロブスSulfolubusでした。
拗ねもの苦笑い-つむじまがりにも上には上がある
スルフォロブスは、好熱菌の中でも真核生物における諸々の生化学的な特徴を持ち合わせた特殊な原核生物で、真核生物の細胞起原を説明する細胞内共生説における宿主細胞の可能性が指摘されるなどその進化的位置が注目され、またその生育環境から極限環境微生物としても知られるアーキア(古細菌)に属します。
アーキアは、30年以上前にちょうど20世紀で最も美しい大彗星とされるウェスト彗星が飛来し地球外生命の存在の可能性がささやかれた興奮醒めやらぬころ、イリノイ大学の微生物学者Carl Woeseが、リボソームRNA塩基配列のデータ解析によって真核生物界に対する原核生物界をさらに二分し、第三のドメイン(domain、超界)に属するものとして、当初、アーキバクテリア(始原細菌archaebacteria;初期地球を連想させる生育環境からギリシア語の太古・始原αρχαίαに由来)という呼び名で提唱した生物群です。
現在では多くの生命科学に関わる教科書で肯定されるように、地球上のすべての生命は、ユーカリアeukarya、バクテリアbacteria、アーキアarchaeaの三界three kingdomに分けられるという考え方が一般的に受け入れられています。また、ゲノム解析の進展により、これまで200種以上のアーキアゲノムが完全解読されてきています。見かけ上は通常の細菌とそれほど違わなくても、じっさい風変わりであることを改めて認識させられるアーキアのその立ち位置は、今後関連する研究分野の進捗ののちも揺らぐことなく、むしろさらに確信が深められていくでしょう。
置かぬ棚をも探せ
少しアーキアの概論に紙面を割きましたが、ここでATPaseに話を戻します。F型ATPaseは、膜から出たF1部分と膜内のFo部分よりなる10前後のサブユニットから構成される酵素で、大腸菌からヒトに至るまで構造が非常によく似ています。一方、V型のATPaseは、膜から出た部分と膜内在性部分よりなるVoV1構造や、そのV1部分が六角形になっているなどF型と酷似する点もあれば、至適pHが5付近で阻害剤が硝酸やN-エチルマレイミドであるなどの特徴も持ち合わせています。これまでF型ATPaseのみがATP合成酵素と考えられ、原核生物の形質膜上にV型ATPaseの存在は確認されていませんでした。
そのころ、吉田研先輩の小西仁博士(現JX日鉱日石エネルギー(株))が、先述の好酸好熱菌スルフォロブスより新しいタイプの膜結合性ATPaseの手ごわい精製に挑戦していました。当時はインターネットのない時代でしたから、図書館に行かなければ研究に必要な情報は満たされません。小西さんは図書館に長時間立てこもり、製本されたたくさんの重い冊子体に綴じられた過去の文献を周到に調べ上げ、膜タンパクであるこの酵素の可溶化条件としてアルキルグルコシドの一種が最適であることを見出し、ついに困難な精製に成功したのでした。さらに小西さんは、この酵素がF型ATPaseの典型的特徴を欠いていること、酵母のV型ATPaseと免疫交差することを見出しました。この発見がなければその先の研究発展(私がお聞かせしようとするこの先の話です)はありえず、小西さんの貢献は計り知れません。
そして研究室では、畳み掛けるようにスルフォロブスATPase遺伝子の単離が急務になります。ちょうどこのころ、国内でアーキアATPaseに関心が高まり、特に日本人研究者間の激しい競争になっていました。さながら、400mリレー決勝で、今季の世界最高記録保持者からバトンを渡される次の走者は誰になるのか?というのが当時の状況でしょうか。
アーキアATPaseの解明というこの競争、次のバトンは誰の手に?続きは次の回でお話ししたいと思います。
参考文献
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- Denda K、 Konishi J、 Oshima T、 Date T、 Yoshida M.
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Plenum Press NY.、 Bioenergetics; Molecular Biology and Pathology (Kim、 CH & Ozawa、 T、 eds.)、 pp. 341-351.