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細胞夜話 第32回:ありものの使い回し - 細菌の薬剤耐性昨今何かと話題になっている細菌の薬剤耐性についてちょっと調べてみた筆者の心に、ある疑問が浮かびました。さらに調べてみると、その疑問にはなかなかすっきりする答えが用意されていました。筆者の感じた「すっきり」にお付き合いいただければ幸いです。 世界初の抗生物質ペニシリンが報告されたのは1928年のことでした(ペニシリンの発見自体、偶然の産物で面白いお話ですが、あまり長くなるのも何ですので、これはまたの機会に)。ただ、当時は大量生産が難しかったため、工業的に大量生産されたペニシリンが医療現場で幅広く使用されるようになったのは1940年代の前半からでした。 ペニシリンがようやく研究室から医療現場に出ようとしていた1940年、オックスフォード大学のアブラハムがある報告をします。ペニシリンを分解し、ペニシリンがもつ細菌成長抑制効果を無効にする、そんな酵素が大腸菌の抽出物に含まれていたというものでした。 筆者が調べた限りでは、これが一番古いペニシリナーゼの報告だと思います。ちなみに、文中で使われている大腸菌の学名が今日のE. coliではなくB. coliであるところに時代を感じます。 この報告はペニシリンの将来に大きな疑問を投げかけるものだと思うのですが、細菌だけを攻撃できる便利なクスリとして1940年代から大量のペニシリンが使用されました。1948年の薬物耐性に関するレビュー記事で、カーネギー研究所のミリスラヴ・デメレクは、無分別かつ不適切な濃度の抗生物質の使用は変異体を蓄積するだけで有害であるとして、警鐘を鳴らしました。その中で、無分別なペニシリン使用の例として挙げられていたのが、mouth wash。デンタルリンス、マウスウォッシュ、口内洗浄剤などと呼ばれている洗口液に、ペニシリンが入っていたようです(アジアの某国でブームになっている抗菌グッズも裸足で逃げ出すほどの殺菌ぶりです)。そんな乱暴な使い方をしたせいで、1940年代後半にはさまざまな細菌で薬剤耐性の獲得が報告されるようになりました。 この時期は細胞内で何が起こっているのかを詳しく研究する手段がなかったので、薬剤耐性そのものの記述や、薬剤への反応の度合いなどを研究しているようでした。たとえば、1951年にハリー・イーグル(後に細胞が必要とする栄養素の研究に転向してBMEやMEM培地を開発)が報告した内容は、単一コロニーから培養した細菌も、耐性の強さが異なる集団になっていることを示すものでした。 前述のデメレクは、細菌の薬剤耐性を克服するためには、抗生物質を適切に使用するのと同時に、複数の抗生物質を混合して使うことを推奨しています。この時点では、特定の抗生物質に対応した耐性を獲得しているという話でしたので、デメレクの混合作戦が有効でした。しかし、複数の抗生物質に耐えられる多剤耐性菌の出現により、それも難しくなってしまいました。 面の皮の厚さが生き残りのポイント?薬剤耐性の機構として最初に明らかになったのは、抗生物質もしくは抗生物質の標的になっている分子を変化させてしまうことでした。前述のペニシリナーゼをはじめとするβ-ラクタマーゼもその1つです。 続いて、抗生物質の透過性を低下させ、細胞内に入りにくくしているという説が提案されました。この分野では日本人研究者が早い時期から活躍しており、たとえば1966年に東京大学の伊崎和男たちが、多剤耐性を獲得した大腸菌では、テトラサイクリンが細胞内に蓄積にしくいことを報告しています。 細胞壁やグラム陰性菌の外膜の透過性を変えて、細胞内に抗生物質が入りにくくできれば、酵素を使って処理しなければならない抗生物質も少量で済むので、この説は一見合理的に見えます。 それを補強するかのように、1976年にカリフォルニア大学の中江太治たちは、タンパク質、リン脂質、リポ多糖でサルモネラの外膜を再現した透過性の研究成果を発表しました。そこでは、低分子は通すものの、一定のサイズより大きい分子は通さない性質があることが示され、選択的な透過に寄与する(=チャネル)タンパク質も単離されました。ペニシリンをはじめとするβ-ラクタム系抗生物質は通れるサイズであったこと、外膜をもつグラム陰性菌には、低分子の親水性抗生物質が比較的よく効くことからも、このチャネルの存在は合理的でした。 こういった経緯で、外膜の透過性を下げる(分子を通すチャネルを狭くする)と、抗生物質への耐性を獲得できるのではないかとの仮説が立てられ、チャネルタンパク質が変異したミュータントの研究が行われました。その結果、実験室レベルでは、そうしたミュータントが多数得られましたし、実際に臨床サンプルからもチャネルタンパク質のミュータントが(数は少ないものの)得られました。 水際防御よりは、柔軟に追い出す水際防御、つまり境界部分の防御を強固にして侵入を防ぐというと、豚インフルエンザ騒動の折にアジアの某国で行われた機内検疫が思い出されます(仰々しい割に効果は疑問、入ってくることを前提に国内の体制を整えるべき、そんな声も上がっていたかと思います)。古くは第二次世界大戦中の太平洋での島嶼戦(たとえばサイパン島)、近くは機内検疫と、入ってくること自体を防ごうとする水際防御は、芳しくない結果が目立つ気がします。境界部分で食い止められれば内部は平穏無事なので、効果的に実行できれば理想的なのですが、現実はあまり易しくありません。どうやら、細菌の世界でもこの点は同様のようです。 合理的に見える透過性低下説ですが、それでは説明がつかない事例が出てきました。チャネルタンパク質に変異があっても、増殖を抑制するのに必要な抗生物質の濃度が大して上がらない(つまり、抗生物質への耐性が大して上がらない)大腸菌が発見されたり、前述のテトラサイクリンが蓄積にしにくい薬剤耐性大腸菌については、細胞内のエネルギーが切れると抗生物質の蓄積が進む(単に透過性を下げているだけならば、抗生物質の蓄積速度は変わらないはず)ことが1970年代にわかったりしました。また、透過性を下げることで、細菌が成長のために必要とする分子の摂取に支障がある例も報告されました。 1980年には、タフツ大学のスチュアート・レヴィたちが、テトラサイクリン耐性菌は、エネルギーを使ってテトラサイクリンを排出していることを報告しました。つまり、抗生物質が細胞内に入ってこないようにしているのではなく、細胞内に入ってきた抗生物質が悪影響を引き起こす前に追い出している、ということでした。 実際にテトラサイクリンを排出しているポンプの遺伝子が発見され、カナマイシンやストレプトマイシンなどのアミノグリコシド系抗生物質を排出するポンプも見つかりました。細胞内への蓄積が少ないことから、透過性を下げることで耐性を獲得している、と以前の研究で推測されていた耐性菌にも、実はポンプで排出していたにもかかわらず見かけ上は侵入を防いでいるように見えていたものが少なからずあることもわかりました。 さらに、新しい抗生物質の候補をスクリーニングしようとしたある研究では、出てきた候補のほとんどが一群のポンプ遺伝子で排出されてしまうことがわかったこともありました。 こうして、特に多剤耐性という点では、抗生物質の排出ポンプが重要な役割を果たしていることが認識され、抗生物質の研究ではポンプの阻害やポンプによる排出の回避が重要なポイントとなりました。 筆者の疑問筆者の疑問1:排出ポンプが活躍していることはよくわかりました。でも、抗生物質に遭遇してから数年~数十年。そんなにポンポン新しい遺伝子できてしまうのですか? 最初に見つかったテトラサイクリンの排出ポンプはプラスミド上にコードされていましたが、後に細菌のゲノムにコードされている遺伝子も見つかりました。細菌のゲノム配列が明らかになった結果、テトラサイクリンの排出ポンプに限らず、実は多種多様な排出ポンプ遺伝子が細菌のゲノム上に存在しており、抗生物質にさらされるとそうしたポンプを活用して対応していることもわかりました。細菌のゲノムの進化速度がヒトなどより速いことを考えても、そうしたゲノム上の遺伝子はいきなり生じたのではなく、昔から隠しもっていたと考えられます。 ポンプではありませんが、ペニシリン発見以前の土のサンプルから増やした細菌がペニシリナーゼをもっていたことも報告されています。となると、β-ラクタマーゼも起源は相当古いと考えたほうがよさそうです。テトラサイクリン耐性遺伝子をもつプラスミドであるR因子は1960年代に日本の研究者が報告しましたが、後に1946年に凍結乾燥しておいた大腸菌からも見つかりました。しかし、テトラサイクリンがAureomycinという商品名で使われはじめたのは1948年です。これまた、人間が使いはじめてから、細菌が慌てて用意したわけではないことを示しています。 筆者の疑問2:排出ポンプとしてはたらく遺伝子はゲノム上に元々コードされていた、ナルホドですね。でも、そんなにいろいろ隠しもっていたのは何故でしょう?遺伝子が多いほどゲノムの複製に必要な時間も材料も多くなるので、増殖速度の点でちょっと不利ではないですか? ストレプトマイシンやカナマイシンといったアミノグリコシド系抗生物質は、リボソームに作用してタンパク質合成を阻害します。その結果として、壊れたペプチドや不完全なペプチドができます。緑膿菌がアミノグリコシド系抗生物質を排出する際に利用しているポンプは、そういった異常なペプチドに反応することがわかりました。活性酸素や一酸化炭素にさらされた場合も異常なペプチドが生じますが、ポンプはこれらのペプチドにも反応しました。そのことから、ポンプは本来は酸化ストレスへの応答経路の一環なのではないかと考えられるようになりました。 腸内に多量に存在する胆汁酸塩は界面活性剤のように細胞膜を不安定化します。腸内細菌はこの胆汁酸塩に耐えるために薬剤耐性ポンプを使っていることがわかり、胆汁酸塩でポンプ遺伝子の発現を誘導できることも示されました。 植物に感染する細菌の例では、アグロバクテリウムや青枯病菌が植物の抗菌物質であるイソフラボン類に抵抗するために使われていることがわかりました。 また、緑膿菌や髄膜炎菌が宿主に感染すると抗生物質を使っていないにもかかわらず薬剤耐性ポンプの発現が誘導されること、ポンプ遺伝子が変異した緑膿菌は感染力が弱いこと、稲もみ枯細菌病菌では毒性因子の放出に薬剤耐性ポンプが使われていることなどもわかりました。 こうなると、薬剤耐性に使われているポンプは、普段まったく役に立っていないガラクタなどではなく、環境中で接触する可能性がある有害物質への対処や宿主への感染など、元々別の用途があって、それを抗生物質という新手の脅威に対応するのにも流用していると考えるほうがよさそうです。 ところで、皆さんは、金曜日の夕方「**の資料つくっといて。月曜日の朝使うから」と言われたこと、ありませんか?よくあることですね。こういう場合に徹夜・休日返上で頑張ってしまう人は、あまりいないと思います。多くの場合、すでにもっている資料で使える部分を集めて、足りない部分だけつくったり、変更が必要な部分にだけ手を加えたりしますね。昔のファイルをちゃんと探しやすいように保存しておくと、そういう場合に便利です。こんなことを考えると、既存の遺伝子を利用して緊急事態に対応している細菌に、ちょっと親近感を抱きませんか? 筆者の過剰な善意に満ちた解釈では、既存の資料の使い回しで最小限の時間でできることを、依頼する方も想定しているのではないかと・・・。。 参考文献
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