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バイオダイレクトメール vol.66 細胞夜話
<第28回:腎臓でハッピー - 組織培養の時代>

筆者注:この記事は組織培養から細胞培養へと続く培養技術発展のごく初期の流れとそれに関わる興味深い逸話をまとめようという無謀な2回シリーズの第2回です。第1回の内容と直接は関係ありませんので、今回の記事をお読みになる前に第1回の内容を把握しておく必要はありません。

約100年前の1906年、ノーベル生理学・医学賞の受賞式典で珍事が発生しました。この年のノーベル生理学・医学賞の受賞者は、今日でもゴルジ体に名を残しているイタリアのゴルジと、神経科学・神経解剖学の基礎を築き上げたラモン・イ・カハールの2人でした。受賞者が複数というのは珍しくもないことですが、彼らはある問題について全く反対の立場の受賞記念講演を行ったのでした。

白河の水清くして魚住まず?

19世紀、神経を研究対象とする研究者たちは、神経の結合部分がつながっているのか、ギャップがあるのかという点について議論していました。今日では、基本的にはギャップがあるということで決着がついていますが、その当時は大変大きな問題でした。

神経を黒く染色するゴルジ染色法を開発したゴルジは、神経の結合部分はつながっていて、全体として網状構造をつくっているという網状説を唱え、一方、カハールはゴルジが開発したゴルジ染色法を使って研究していたものの、自身の観察結果から神経の結合部には隙間があると主張していました(ニューロン説)。1906年の時点で網状説はすでに時代遅れになりつつあったのですが、修正を加えながら1940年代まで残り、最終的な決着は20世紀中期の電子顕微鏡によるデータを待たねばなりませんでした。

さて、ここまでは神経学の教科書にもよく書いてある研究史です。

みんなと同じでは嫌 - 最初の組織培養

20世紀初頭、イェール大学のロス・グランヴィル・ハリソンは、網状説とニューロン説の対立にある不満をもっていました。1910年の論文にハリソンが書いているところによると、皆、ほぼ同様の材料を使って同じような手法で研究を行っていたそうです。そのような研究から得られる結果もやはりあまり変わるところがなく、その結果をそれぞれの立場から解釈したり、小さな違いを根拠に推論したりしていても、議論が進展しないので、ハリソンは全く違う方法で研究を行うことにしました。この目的でハリソンはいくつもの実験を行っていますが、その中でも培養技術という観点から見て重要なのが、カエルの胚から摘出した神経を培養し、その成長を観察する、という実験でした。この実験が、脊椎動物の組織培養の最初の例とされています。

当初は、培養液に食塩水やロック溶液(リンゲル液の組成を変更した塩類溶液)を用いて神経が全く成長しなかったり、サンプルに細菌が混入して2日でサンプルを全滅させたりと、失敗もあったようです。しかし、条件検討を重ねた結果、以下の方法で1~2週間、長いものでは5週間ほど細胞を維持・成長させることができるようになりました。

ハリソンの培養方法

  1. 0.4% NaCl、またはロック溶液中でサンプルを摘出
  2. サンプルをカバーガラスに貼りつける
  3. カエルのリンパ液をたらす
  4. カバーガラスを窪みつきスライドガラスに載せる
  5. 乾燥を防ぐためにカバーガラスをパラフィンで密閉

ハリソンは、培養技術について、サンプルを周囲の組織等の影響から切り離すことができる点と、同じサンプルを継続して観察できるので時系列で保存しておいたサンプルからその間を推測しなくて済むという点で、大変有用だとしています。その一方で、1個体から採取できるリンパ液の量に限りがあることと、同一個体でも採取する日や部位によって品質に差があることを挙げて、リンパ液の質と量の確保が難しいことが彼の手法の問題点であるとしています。

この研究の後も研究を続けていますが、ハリソンのその後については、むしろ研究の環境整備や科学振興の面での活躍が目立つようになります。大学では研究棟の建築などを行い、学外では米国の科学政策の策定に関わっています。ハリソンの論文は、それまでの他の研究者の結果などを含んだ詳細な背景説明があるため、その研究が行われた時代的な背景を知ることができ、大変教育的です(その分、読むのに時間はかかりますが)。論文の書き方にも、生物学教育や研究環境整備に活躍したハリソンの人柄が表れているのかもしれません。

組織培養の時代

ハリソンの培養実験を皮切りに、組織培養が盛んに行われるようになりました。組織培養は、個体から摘出した組織や細胞を出発材料として培養を行いますので、今日の細胞培養に比べれば再現性や均一性の点で劣りますが、それでも生物学研究の可能性を大きく広げたことは間違いありません。ハリソンが懸念していた培地については、リンパ液よりは入手が容易な血清などを使うようになりました。1954年にノーベル賞を受賞することになる、エンダース、ウェーラー、ロビンスによるポリオウイルスの生産に関する研究は、組織培養技術の精華と言ってよいかもしれません。

1950年代までにさまざまな改良を経て使いやすくなった組織培養技術について、ウイルス生産における組織培養という観点で1955年にエンダースがまとめています。その当時は、まず大きく分けると摘出した組織や細胞を培養する技術(グループ1)と、継代によって維持されている細胞のストックを用いる培養(グループ2、=現在の細胞培養)がありました。前者のいわゆる組織培養に関しては、さらに3種類の技術に分類しています。

  • グループ1
    摘出した組織や細胞を培養する技術
    • 組織断片の懸濁培養
    • 細胞・組織の試験管を用いた接着培養
    • トリプシン処理した接着細胞培養
  • グループ2
    継代によって維持されている細胞のストックを用いる培養

組織断片の懸濁培養

この方法では、1 mm角程度に刻んだ組織をフラスコに入れて栓をして、35-37℃で保温するだけです。培地には、ハンクス液とウシ血清の混合液や、Morgan, Morton and Parkerの199培地がよく使われていました。

ヒト胚の各種組織(皮膚、骨格筋、腸、脳)の培養に頻繁に用いられ、出産後のヒトの包皮、ヒトとサルの睾丸、腎臓の組織培養も行われました。これらの組織の中でも、腎臓は培養しやすくウイルスの産生も多かったようです。

この方法は最も簡単ですが、培養に長い時間が必要とされるのと、ウイルスの検出精度に難があるのが問題だとエンダースは指摘しています。

細胞・組織の試験管を用いた接着培養

組織片や細胞を試験管内につくった血漿の基質の上に植えて培養します。当初は静置培養が行われており、培地を加えた後に5°ほど傾けることで、組織や細胞を培地に浸していたようです。1950年代に入ると、試験管のガラスに細胞や組織を直接接着させるようになり、血漿は使われなくなりました。
後年、静置培養の効率を高める変法として、試験管を回転させる回転培養も行われるようになりました。

培養についての知見が増えてきたこともあり、この方法ではさまざまな培地が使われていました。エンダースの研究室では、10%ウシ胚抽出液、5%ウマ血清、85%ハンクス液の溶液と、ウシ血清を混ぜて使っていたそうです。他にも、ウシの羊水や、加水分解したラクトアルブミンなども使われていました。

静置培養同様に様々な組織の培養が行われましたが、ここでも腎臓の細胞が特に良好な結果を出しています。

トリプシン処理した接着細胞培養

ダルベッコとヴォートが考案した方法で、トリプシン処理で細胞をばらばらにしてから培養を行います。このトリプシン処理は今日でも用いられている手法です。

元はサルの腎臓を材料とした手法でしたが、エンダースはヒトの細胞でも試しています。その結果、ヒトでも腎臓サンプルは培養できたものの、胸腺と脾臓のサンプルは培養できなかったと書いています。

継代によって維持されている細胞のストックを用いる培養

樹立されたばかりのHeLaの培養についてもエンダースは書いています。ここまで来ると今日の培養技法と大きく変わるところがないと思いますので技法の説明は割愛しますが、今日の培養技法と大きく異なっていたのは細胞の培養に使われる培地でした。

当時の培地は、ヒト胎盤血清、ヒト成人血清またはヒト腹水(50%)、ニワトリ胚抽出液(2~5%)、ハンクス液(48~45%)というものでした。エンダースは、HeLaがガン細胞由来であるため混入すると危険であることと、培地にその組成が定かでない動物由来成分が多いことから、ワクチン用のウイルスの生産には使えないと辛口の評価をしています。

ただし、エンダースは、ヒトの正常な1細胞由来の株を、組成が化学的に明確な培地で培養できるようになれば、ワクチン用のウイルス生産には理想的であるとも述べていますので、細胞培養の将来性を正当に評価してもいたようです。

※以上はウイルスの培養に深く関与していたエンダースによる評価ですので、ウイルス研究の役に立つかどうかという偏りが多分に含まれています。

ここで1つ興味深いのは、腎臓はエンダースが挙げた組織培養の手法の全てで良好な結果を残していることです。MDCKHEKなど、歴史の長い細胞株に腎臓由来のものが多いのは、組織培養時代の経験から腎臓細胞は培養しやすいという認識があったからなのかもしれません。

培地を作りたくて研究したわけでは、、、イーグルの研究

1950年代までに、培養の手法や器具については、様々な改良が行われていましたが、エンダースが指摘したように、培地の科学的な組成がよく分からない、という問題が残っていました。しかし、この問題についても、1950年代中期から1950年代末にかけてかなり前進することになりました。

培養中の動物細胞の増殖と代謝に関心をもっていたハリー・イーグルは、培地に含まれるさまざまな成分を1つずつ抜いてみるという気の長い実験を行いました。一連の研究から、イーグルは、13種類のアミノ酸、6種類のビタミン、6種類のイオン、グルコース、それから血清に含まれる何らかの化合物があれば細胞の増殖には十分であるとの結論に達しました。

その研究の成果として、後の細胞培養に広く使われるようになったBasal Medium, Eagle(BME)とMinimum Essential Medium(MEM)が完成しました。

こうして、大変便利な培地の作者として名を残したイーグルですが、培地の研究から20年ほど後に語ったところでは、培地を作りたくて研究したのではなくて、細胞の増殖に必要な成分は何なのかを知りたくて研究した、のだそうです。また、同時に、20年経過しても未だに血清に含まれるどのような成分が、どのようなはたらきをしているのかが分かっていないことを気にかけていました。

イーグルは1992年に鬼籍に入ってしまったためにそれを見ることなく終わっていますが、培養した細胞を用いた再生医療研究の一環として、動物由来成分を完全に排除した培養法の研究が進めらるようになり、重要な成果が得られています。

参考文献

  1. Harrison R. G., Experiments in transplanting limbs and their bearings on the problems of the development of nerves. Journal of Experimental Zoology, Vol. 4, 239-281 (1907)
  2. Harrison R. G., The Outgrouth of the Nerve Fiber as a Mode of Protoplasmic Movement. Journal of Experimental Zoology, Vol. 9, 787-846 (1910)
  3. Nicholas J. S., Ross Granville Harrison, 1870-1959. The Yale journal of biology and medicine, Vol. 32, 407-412 (1960)
  4. Nicholas J. S., Ross Granville Harrison, experimental embyologist. Science, Vol. 131, 337-339 (1960)
  5. Keshishian H., Ross Harrison's "The Outgrouth of the Nerve Fiber as a Mode of Protoplasmic Movement", Journal of Experimental Zoology, Vol. 301, 201-203 (2004)
  6. Enders J. F., The present status of tissue-culture techniques in the study of the poliomyelitis viruses., Monograph series. World Health Organization, Vol. 26, 269-294 (1955)
  7. Eagle H., Nutrition Needs of Mammalian Cells in Tissue Culture. Science, Vol. 122, 501-504 (1955)
  8. Darnell J. E., Levintow L. and Scharef M. D., A brief chronicle on Harry Eagle. Journal of Cellular Physiology, Vol. 76(3), 241-252 (1970)
  9. Eagle H., Citation Classic, Current Contents 5, p13 (1977)

細胞夜話作者の余談

  • サンティアゴ・ラモン・イ・カハールの名前は、教科書にはカハールと書いてありますが、スペイン語的にはそれは正式な書き方ではないようです。スペインでも姓は基本的に父系を相続してゆくことになりますが、スペイン語の人名はなかなかに複雑で、関係者の姓がいろいろと組み合わされているます。サンティアゴ・ラモン・イ・カハールはその中でもシンプルな「本人の名、父方の祖父の姓、母方の祖父の姓」というパターンですので、ラモン・イ・カハールと書くのが正式なようです。あるいは、どうしても短くしたい場合は、父系相続である点を考えると、カハールではなく「ラモン」かと。(筆者にはスペイン人の友人がいませんので、このような場合現地ではどうされているのかは分かりませんが。。。)
  • 少年時代のサンティアゴ・ラモン・イ・カハールは大変反抗的だったそうで、そのために彼の父親はサンティアゴ少年を靴屋や理髪店の見習いに出しています(親方と弟子の職人の世界で根性を鍛えなおそうとしたのでしょうか)。しかし、本人は絵がうまかったので、画家を志望していたようです。
  • 網状説とニューロン説の問題は、電子顕微鏡の出現によってニューロン説が正しかったことが確定しましたが、後に細胞間に直接イオン電流が流れる電気シナプスが発見され、ゴルジが完全に間違っていたわけでもなかったようです。
  • ハリソンは、研究の背景だけでなく実験方法についても論文に詳細に記しています。例えば、実験材料として凝固させたリンパ液を使っていますが、そのリンパ液の採取について、他の部位は問題なかったが後脚から採取したものは水っぽくて使い物にならなかった、と実験系を構築する上での失敗まで記載しています。
  • 若い頃のエンダースの経歴は変化に富んでいます。イェール大学に入学したものの、すぐにアメリカ空軍に入隊して第一次世界大戦に参加しています。終戦後、大学に戻ったエンダースは無事に卒業しましたが、今度は不動産のセールスマンになってしまいました。結局あまり面白くなかったのか、今度はハーヴァード大学に入学して、英文学と、ドイツ語、ケルト語を勉強して、英語の教師になろうとします。ところが、これにも飽きてしまったのか、もともと生物学には興味があったところに医学部に所属する友人たちにも刺激されて、微生物学と免疫学の道に進むことにしたそうです。
  • イーグルもなかなか忙しい人で、1930年代には血液の凝集反応の機構を研究していたかと思えば、1940年代には発見されたばかりのペニシリンを研究し、1950年代には培養中の動物細胞の増殖と代謝の研究を始める、といった具合でした。

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