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バイオダイレクトメール vol.51 細胞夜話
<第14回:ガは人気者? -- 昆虫細胞用培地の開発>

農作物や樹木の害虫駆除という目的があったためか、昆虫細胞培養の歴史は長く、動物細胞の培養が始まって間もない頃に最初の試みが行われています。しかし、安定した長期培養ができるようになるまでに実に50年もの年月を要したのでした。その時期になされた重要な研究の多くで、ガの細胞が用いられていました。

動物細胞の培養のはじまり

19世紀の後半から、多細胞生物の個体から切り取った組織を試験管内で維持しようという試みが行われていました。1907年、ハリソンがついにカエルの神経細胞の培養に成功し、その当時問題になっていた神経線維は神経細胞それ自身に由来するのか細胞の周辺で形成されるのかという議論に決着を付けました。この実験ではカエルの神経細胞の培養にカエルのリンパ液を使用していました。

昆虫細胞培養の黎明期

昆虫細胞の培養は、それから10年もたたないうちに行われました。1912年にグレーザーとチャップマンがマイマイガの病気の研究に血液細胞を使用し、1915年にはゴールドシュミットがヤママユガの精子形成を観察しました。このような初期の培養は、生理食塩水や昆虫の血リンパから分離した血漿など、ごく簡単な材料を培地として使用していました。ゴールドシュミットは、ハリソンの方法に従って培養し、細胞を3週間維持できたと論文に記述しています。ちなみに、ゴールドシュミットは後に生理遺伝学の分野をひらき、また、遺伝子の本質や進化の機構に関する研究・学説で広く知られるようになります。

ゴールドシュミットの研究では精子形成は観察されたものの、有糸分裂は見られませんでした。その後も、生殖細胞では分裂が観察された例がまれにありました。しかし、体細胞に関しては合胞体の形成まで観察されるものの、分裂は観察されませんでした。

培養した昆虫細胞で安定した分裂が観察できるようになったのは1930年代のことでした。後にマラリアなどの寄生性原生動物研究の指導的研究者となるトレージャーが、ウイルスの複製の研究材料としてカイコ細胞の培養に取組みました。トレージャーは昆虫の血リンパの組成を参考にさまざまな培地を試し、カイコの卵巣細胞の培養に成功しました(参考:トレージャーの培地の組成)。また、トレージャーの研究によって、培養した昆虫細胞が昆虫のウイルスの研究に大変役立つことが証明されました。
しかし、トレージャーの時代には、昆虫の血リンパの詳しい組成や浸透圧などが分かっていなかったこともあり、安定した細胞株を樹立することはできませんでした。

至適化への地道な努力

トレージャーの研究以降、培養した昆虫細胞を材料とした研究が増えましたが、培養方法そのものの改善は、1950年代に入ってからワイアットによって行われました。

ワイアットは、まずカイコを材料としてトレージャーの方法を追試することから取りかかりました。その結果は

  • 卵巣細胞の培養は可能だが、長期培養は不可能
  • 神経、筋肉、表皮、中腸の細胞はまったく増殖しない
  • 成虫原基、腹部神経節、精巣の細胞は増殖するが、卵巣細胞ほどではない

というものでした。
そこで、彼女はよりよい結果を目指して培地の改良に取り組みました。基本的にはカイコの血リンパの組成に似せるというトレージャーの路線を踏襲し、最新のデータに基づいてさらに血リンパの組成に近い培地を作り上げました。

  • 塩の組成の変更(血リンパはカリウムとカルシウムが多くナトリウムが少ない)
  • 有機酸の添加
  • アミノ酸の添加
  • 添加する血リンパのチロシナーゼ活性除去(熱処理だけでは失活しないため、熱処理後に遠心で精製)

また、添加する血リンパの量も検討しており、血リンパ量が5-50%の範囲では良好な結果が得られ、通常の実験では10%で使用することとしました(なお、血リンパだけで培養するとかえって結果が悪くなることも彼女は確認しています)。

こうして、恒久的な安定細胞株の樹立までは至らなかったものの、新しい培地で3週間以上細胞を培養し続け、サブカルチャーにも成功しました(参考:ワイアットの培地の組成)。
後の安定細胞株樹立への道筋を付けたという点で大いに評価できる結果を残しましたが、彼女の研究には何らかの期限があったようで、血リンパを採取するカイコの週齢とホルモンによる影響の検討や、複雑化しすぎた培地組成の簡略化などいくつかの点を将来の課題として残しています。また、どうやらウイルスの複製の研究までが本来の目標であったことが論文から読み取ることができます。新しい系を組上げる研究が予想外に長引くことがあるのは洋の東西を問わないようです。

そして安定細胞株へ

グレースがヤママユガの卵巣細胞の培養に取組みました。彼は、ワイアットの培地の組成を若干改変し、さらに抗生物質とビタミンを加えて使用しました(参考:グレースの培地の組成)。その結果、1960年にヤママユガの卵巣細胞の安定株をつくることに成功しましたが、残念ながらこの株はアクシデントで失われてしまったそうです。グレースは細胞株をつくることに再挑戦し、4種類の細胞株をつくり、1962年の論文で発表しました。

グレースは細胞株をつくる過程でいくつかの知見を得ています。

  • 昆虫の血漿は必須
  • pHや浸透圧はできるだけ昆虫本来の値に近付ける
  • 昆虫の血漿が手に入らない場合、カイコのもので代用を検討
  • ホルモンの添加による効果は認められなかったが、有害でもなかった

こうしてグレースの研究から得られた最古の昆虫細胞株を皮切りに、100種以上の昆虫から約500種類もの安定した細胞株が樹立されました。今では、タンパク質の生産など研究のツールとしても幅広く利用されています。
ちなみに、グレースがつくった培地は、現在でも複数のメーカーから販売されており、研究の現場で使われています。

参考文献

  1. Goldschmidt R., Some experiments on spermatogenesis in vitro, Proc. Nat. Acad. Sc., 1915, 1, 220
  2. Trager W., Cultivation of the virus of grasserie in silkworm tissue cultures, J. Exp. Med., 1935, 61, 501
  3. Bhasin V. K., Pathak S. and Sharma S., William Trager(1910-2005), CURRENT SCIENCE, 2005, vol. 88, no. 12, 2012
  4. Wyatt S. S., Culture in vitro of tissue from the silkworm, Bombyx Mori L., J. Gen. Physiol., 1956, vol. 39, no. 6, 841
  5. Grace T. D. C., Establishment of four strains of cell from insect tissue grown in vitro, 1962, Nature, 195, 788
  6. Lynn D. E., Development of insect cell lines; Virus susceptibility and applicability to prawn cell culture, 1999, Methods in Cell Science 21, 173
  7. Lynn D. E., Methods for Maintaining Insect Cell Culture, 2002, Journal of Insect Science, 2.9, available online:insectscience.org/2.9

関連製品情報

培地

ウシ胎児血清


参考:トレージャーの培地
濃度(mM)
NaCl 15
MgCl2·6H2O 1
CaCl2 1
NaH2PO4·H2O 1.5
K2HPO4 1.5
Maltose 60
pH 6.7
以上の内容に10%の遠心した血リンパを加えて使用
参考:ワイアットの培地
mg / 100 ml
NaH2PO4 110
MgCl2·6H2O 304
MgSO4·7H2O 370
KCl 298
CaCl2 81
Glucose 70
Fructose 40
Sucrose 40
Malic 67
α-Ketoglutaric 37
Succinic 6
Fumaric 5.5
L-Arginine HCl 70
DL-Lysine HCl 125
L-Histidine 250
L-Aspartic acid 35
L-Asparagine 35
L-Glutamic acid 60
L-Glutamine 60
Glycine 65
DL-Serine 110
DL-Alanine 45
β-Alanine 20
L-Proline 35
L-Tyrosine 5
DL-Threonine 35
DL-Methionine 10
L-Phenylalanine 15
DL-Valine 20
DL-Isoleucine 10
DL-Leucine 15
L-Tryptophan 10
L-Cystine 2.5
Cysteine HCl 8
pH 6.35
以上の内容に熱処理後に遠心精製した血リンパを10%加えて使用
参考:グレースの培地
mg / 100 ml
NaH2PO4·2H2O 114
NaHCO3 35
KCl 224
CaCl2 100
MgCl2·6H2O 228
MgSO4·7H2O 278
Glucose 70
Fructose 40
Sucrose 2.668
Malic 67
α-Ketoglutaric 37
Succinic 6
Fumaric 5.5
L-Arginine HCl 70
L-Lysine HCl 62.5
L-Histidine 250
L-Aspartic acid 35
L-Asparagine 35
L-Glutamic acid 60
L-Glutamine 60
Glycine 65
DL-Serine 110
L-Alanine 22.5
β-Alanine 20
L-Proline 35
L-Tyrosine 5
L-Threonine 17.5
L-Methionine 5
L-Phenylalanine 15
L-Valine 10
L-Isoleucine 5
L-Leucine 7.5
L-Tryptophan 10
L-Cysteine HCl 2.5
Penicillin G (sod. salt) 3
Streptomycin sulphate 10
pH 6.5
以上の内容に熱処理後に遠心精製した血リンパを5%加えて使用

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