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生化夜話 第43回:イメージングサイトメトリー用色素だったCyDye™母国では見向きもされなかった色素天然の抗マラリア薬であるキニーネが含まれるキナ皮には、もう一つシンコシンと呼ばれる成分が含まれていました。19世紀中頃、天然ゴムの成分分析で功績のあったイギリスの化学者グレヴィル・ウィリアムズは、シンコシンから抽出したキノリンを、さらに詳細に分析しようといろいろと試していました。そのうちに、彼は美しい青色の物質を単離しました。 この青色の物質について、ウィリアムズは1856年に論文を出しました。これが世界で初めてのシアニンの発見となりました。 しかし、当初、シアニンは注目されませんでした。シアニンは光に弱かったのですぐに退色してしまい、染料としての経済的価値がなかったのです。 新しい価値その後、海を渡った大陸側でシアニンに染料とは異なる価値があることが明らかになりました。ドイツの化学者ヘルマン・ヴィルヘルム・フォーゲルは、写真の感光を強めるために色素を使う方法を、1873年に報告しました。フォーゲルは、色素の中でもシアニンが良好な結果をもたらすことを示しました。 写真の銀塩プレートは、本来は可視光の中では波長の短い紫と青にしか感光しません。しかし、シアニンを入れると、緑から赤の広い範囲の光にも感光するようになります。その結果、従来よりも強く感光するようになり、感度が向上します。その当時においては詳細な原理はよくわからなかったものの、現象としてはとても便利であり、シアニンは写真の増感剤として広く使われるようになりました。 時は下って1914年、第一次世界大戦が始まりました。その当時、写真の増感剤はドイツ製のものばかりだったので、ドイツと戦う三国協商側の諸国では困ったことになりました。そこで、ケンブリッジ大学の化学者ウィリアム・ホブソン・ミルズを中心に、増感剤としてのシアニンの分析が進められました。ミルズを中心とするグループの努力のおかげで、1920年代には、元素の分析から、調製法、その特性まで、さまざまな面で知識が蓄積されました。 シアニンおよびシアニンに類似した色素は、その後も写真産業を中心に利用が続き、生物学の研究現場に入ってきたのは、20世紀の終わり近くのことでした。そこには、研究用ツールをもっと便利にしたいという研究者の思いと、将来を見据えて事業を多角化しようとした企業の結びつきがありました。 Side A:思ったほど便利ではないモノクローナル抗体1975年にジョルジュ・ケーラーとセーサル・ミルスタインがハイブリドーマ技術を確立しました。ハイブリドーマを用いて作成するモノクローナル抗体の登場により、さまざまな分子を手軽に検出できるようになるはずでしたが、実際にはモノクローナル抗体を用いた検出が盛んになるまでに、越えなければならない壁がいくつかありました。その1つが、検出法の使い勝手の問題でした。 抗原を狙い撃ちできる抗体の特性を考えると、感度、特異性、解像度のバランスから、RIや酵素を用いた発色などの既存の検出法よりも蛍光検出の方に分がありそうです。また、蛍光検出は他の検出法に比べれば非侵襲的であり、生細胞にも使えるという利点があります(※長時間の観察となると、光毒性の問題がありますので、光毒性の低い光源を利用したシステムが必要になりますが)。 1981年に、コーネル大学のラリー・バラクとワット・ウェッブが、蛍光色素が30分子ほどあれば、その当時の蛍光顕微鏡や高感度ビデオカメラで撮影可能であることを示すなど、蛍光検出への期待はどんどん高まります。しかし、この蛍光検出に使う標識分子が曲者でした。 最初に蛍光標識として用いられた分子はフルオレセインで、早くも1953年には使用例が報告されています(ちなみに、フルオレセインの分子そのものの報告はもっと早くて19世紀です)。その少し後にはローダミンも開発されました。これらに加えて、光合成色素であるフィコビリタンパク質も蛍光標識に使われるようになりました。 いろいろにぎやかなように思えますが、実はどの色素にも困った性質がありました。 フルオレセインは光退色しやすく、pHの影響を受けやすい上に、細胞の自家蛍光とかぶってしまうことが多く、バックグラウンドが高くなりがちでした。 ローダミンは光退色しにくくpHにも影響されませんが、疎水性の強い部位があるため水への溶解性が低く、生理的条件では使いにくいという問題がありました。 フィコビリタンパク質は、それ自体がタンパク質であるためサイズが大きく、用途に制限がありました。 組織切片やスメアの画像を取得し、細胞の局在や量を、2次元、3次元で解析するイメージングサイトメトリーを目論んでいた、カーネギー・メロン大学のアラン・ワゴナーのグループにとっては、前述の蛍光色素の性質はたいへん厄介な制約でした。 そこで、ワゴナーたちは、彼らの目的に合った色素を開発することにしました。目をつけたのは写真産業で広く使われているシアニンでした。シアニンは明るく、励起や蛍光のピークが狭いという優れた特性がある一方で、水への溶解性が低いという問題もありました。 ワゴナーたちが採った対策は、いろいろな官能基をシアニンに導入することでした。イソチオシアネートやスルホン酸などを導入したシアニンアナログを開発して報告しましたが、中でもスルホン酸を導入したシアニンアナログは、水への溶解性が大幅に向上し使いやすいものとなりました。 彼らは、Cy(おそらくシアニンの先頭2文字)と閉鎖シアニンの間をつなぐメチン鎖の長さに基づく数字で、CY3、CY5などと色素を命名しました(ワゴナーたちの論文では、今日の表記と異なりYが大文字でした)。 2012.11.30追記イメージングサイトメトリー用色素を開発するにあたり、どうしてシアニンを使うことにしたのか、カーネギーメロン大学のワゴナー教授にうかがうことができました。 『シアニンにしたのは歴史的な理由がありました。細胞/ミトコンドリア/ニューロンの膜電位を研究するために、電圧感受性色素の開発に7年間取組んでいました。それらの色素は、オキソノール、スチリル、メロシアニンなど、どれもシアニン系の色素でした。その経験から、シアニンは吸光係数が大きく、色素のいくつかは良好な量子収量が得られることがわかっていました。同僚のポール・ホランから、サイトメトリー分野では、フルオレセイン以外の分子で標識した抗体が必要とされていると聞き、シアニンが役に立つのではないかと考えました。ただ、シアニンは溶解性が低く、簡単な話ではありませんでした。使いやすいシアニン系色素、つまりCy3やCy5の設計や合成ができるまで、何年もかかりました。』 Side B:RIメーカーの多極化戦略1990年代初頭、イギリスのアマシャムはRIを世界各国に供給しており、その当時のRI部門は、多くの製薬企業で薬物候補のスクリーニングにSPA(Scintillation proximity assay)が用いられていたおかげで、業績が堅調に推移していました。しかし、第25回でもご紹介したようにRI市場の将来性への不安から、RI以外の検出系の模索がはじまっており、1990年代中頃には、その時点では業績に問題のない製薬企業向けスクリーニングシステムにも、RIを用いない検出系の導入が決まりました。 アマシャムの開発部門は蛍光検出用の色素を探し、ワゴナーたちのCyDye™に白羽の矢を立てました。候補に挙がった色素の中では最も明るかったことと、励起と蛍光のピークが狭いため、将来の多色解析を考えると都合がよかったのが、選定の理由でした。 アマシャムはこの色素の権利を買い取り、ワゴナーも研究者としてアマシャムに加わりました(後年、CyDye™の生産が安定し、さまざまな用途に適した各種アナログの開発が終わった頃、ワゴナーはカーネギー・メロン大学に戻っています)。CyDye™の合成法は大学でワゴナーのグループが開発した方法が踏襲され、アマシャムでは精製法や品質管理法の改善が主に行われました。 それから程なく、アマシャムはCyDye™に対応したDNAシークエンサー(MegaBACEシリーズ)やスクリーニングシステム(LEADseeker™)を発売しました。さらに、多様な用途をサポートするために、色素化学の専門家チームも組織しました。彼らはタンパク質の電気泳動に適したCyDye™や細胞の観察に適したCyDye™を開発し、その成果は今日のEttan™ DIGEやIN Cell Analyzer用の試薬に活かされています。 参考文献
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