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生化夜話 第51回 とても便利だけど謎も多い - アビジン・ビオチンシステムアビジンとビオチンの相互作用は、今日ではさまざまな実験で活用されています。多くの場合、タンパク質や化合物への理解が深まることで、その応用も進展するものですが、アビジンとビオチンの場合、実験の都合と偶然により、応用の方が先行していたのです。 よい実験はよい材料から?アビジンは1940年代はじめ、ビオチンは1930年代半ばに見つかっていたものの、タンパク質としての性質の研究がはじまるまでにはかなりの時間を要しました。1952年に西部地域研究所のハインツ・フレンケル=コンラートがアビジンを単離し、化学修飾によって活性がどう変化するかを調べたのが、今日的な意味での生化学研究の嚆矢のようです。しかし、この研究以降、またしばらくアビジン・ビオチンは関心を呼ぶことなく時間が流れます。 1958年、ワシントン大学のサーリフ・ワキルたちがビオチンに補酵素としての活性があることを示してから、ビオチン要求性酵素を研究する手段として、ようやくアビジンへの関心が高まりはじめました。 アビジン・ビオチン研究の初期、研究の中心になった研究者の一人に、セントメアリー病院医学校のマイケル・グリーンがいました。彼は1963年からアビジン・ビオチン相互作用に関する論文を精力的に発表してゆきました。しかし、アビジン・ビオチンの強力な相互作用の理由は3つの点で不可解なままでした。 ビオチンの構造は単純で、そのような物質が特定のタンパク質に対して際立ったアフィニティーを示すのは不思議なことでした。 一方、アビジン・ビオチン相互作用の解析が進む傍らで、それを利用してアビジンを精製する技術の開発も行われていました。 1965年、コーネル大学のドナルド・マコーミックは、ビオチンとセルロースのエステルでクロマトグラフィーカラムをつくってアビジンの精製を試みました。しかし、収量も分離も芳しくありませんでした。1967年には、ウプサラ大学のイェルケル・ポラートが、ビオチン化したSephadex™を用いてアビジンの精製を行った結果を報告しました。ポラートの手法では、確かに高純度のアビジンを得られましたが、収量が少なくカラムの再生もできなかったので、実用性には難がありました。 そして1968年、ペドロ・クアトレカサス、メイア・ウィルチェクとクリスチアン・アンフィンセンは、ビオチン代謝の中間体であるビオシチンを結合させたSepharose™を用いたアフィニティークロマトグラフィーの論文を発表しました。ビオシチンは市販されていなかったため、実は誰でも容易に同じことができる方法ではありませんでしたが、その精製結果は素晴らしく、クアトレカサス、ウィルチェク、アンフィンセンの3人は、この研究成果により、アフィニティークロマトグラフィーの開発者として名を残すことになりました。ちなみに、ウィルチェクは、やや効率は落ちるものの、ビオシチンのかわりに市販のビオチンを用いてビオチン化Sepharose™を調製する方法も、後年発表しています。 アフィニティークロマトグラフィーに欠かせないSepharose™とリガンドのカップリング法の開発をはじめとする裏話は「生化夜話 第8回:給料が上がらず開発が止まりました」をご参照ください。 1968年のアフィニティークロマトグラフィーの論文で、アビジンとビオシチンを使った理由については、少々裏話があります。ウィルチェクによると、アビジン・ビオチン相互作用については、その研究の以前にアビジン・ビオチン研究の中心人物マイケル・グリーンの講演で聞いていたそうです。そして、アフィニティークロマトグラフィーの論文に使う失敗しにくく、美しいデータが出るサンプルとして、きわめて強力な相互作用が期待できるアビジンとビオチン(論文に使ったのはその中間体のビオシチン)を採用したのだとか。 そして、アフィニティークロマトグラフィーを開発した3人のうち、ウィルチェクはその後もアビジン・ビオチン相互作用を応用した手法の開発を続けました。 応用への道Side A:バクテリオファージのビオチン化1966年、ヘルシンキ大学のオッリ・マケラは、抗ハプテン抗体の評価法に使う材料として、4-ヒドロキシ-3-ヨード-5-ニトロフェニル酢酸を結合させたT2ファージを調製しました。マケラは、修飾したバクテリオファージに対して、修飾分子を認識する抗体を作用させ、ファージがどれくらい不活性化されたかで、抗体の効率を評価しました。 その後、キャリアーにT4ファージを用いた事例や、ハプテンにジニトロフェニルやイノシンなどを用いた事例なども増え、さらに低分子だけでなくタンパク質をファージに結合させる方法も開発されました。こうして、修飾したバクテリオファージが抗体の評価法として使われるようになりました。 前述のウィルチェクと彼のラボに新しく加わったポスドクのジェフリー・ベッカー(ちなみに、現テネシー大学微生物学教授)は、抗体以外の評価にこの方法が使えないものかと、T4ファージをビオチン化してみました。 ビオチンをジメチルホルムアミドに溶解し、ヒドロキシコハク酸イミドとジシクロヘキシルカルボジイミドを加えて攪拌すると、ビオチニル-N-ヒドロキシコハク酸イミドエステルができ、それをT4ファージと反応させました。こうした反応を考えた際には、生体分子の相互作用を研究しはじめる前に、化学と物理を学んでいたウィルチェクの経験が生きているのかもしれません。 こうしてビオチン化したファージとアビジンが結合し、プラーク形成が阻害されました。 この結果は1972年に報告され、抗体の評価に使われていたファージのプラーク形成阻害実験が、抗体以外の相互作用解析にも使えることが示されました。しかし、これはアビジン・ビオチンシステムの開発でも重要な意味を持っていました。ビオチンは巨大分子と結合してもアビジンに対して強い親和性を示し、ビオチン要求性の酵素だけでなく、ビオチン化した分子もアビジンと相互作用することが、この実験ではっきりしたのです。 筆者私見:某オンライン百科事典をはじめ、各所でアビジン・ビオチンシステムの開発者としてウィルチェクとエドワード・ベイヤーの名前が挙がっています。確かに、アビジン・ビオチンシステムの実用化に向けたその後の多くの研究はウィルチェクとベイヤーによるものですが、ウィルチェクとベッカーの1972年の研究は開発史上の重要なマイルストーンであると思います。 応用への道Side B:舞台裏は別の顔バクテリオファージのビオチン化について、最終的に出版された論文のイントロで説明されている背景や結果を示すと、前述の流れになるのですが、アビジン・ビオチンシステムが世に出るターニングポイントとなった研究にいたる背景には、ウィルチェクの興味と慣れとちょっとした偶然がありました。 ウィルチェクはジニトロフルオロベンゼン修飾したバクテリオファージと抗体を相互作用させる実験を行っており、バクテリオファージを用いた実験に慣れていました。 また、ウィルチェクの興味は常に「生体分子による認識を応用する」ことにありました。 ジニトロフルオロベンゼン修飾したバクテリオファージの実験では、溶液中のジニトロフルオロベンゼンと抗体の親和定数が106だったのに対して、キャリアーとなるバクテリオファージと結合させると親和定数1011という結果が得られました。この結果を基に、溶液中では親和定数が1015であるアビジン・ビオチンも、バクテリオファージを用いることで同様に5桁上がって1020くらいになるのではないかとウィルチェクは期待していました(実際には、1010で、この点では期待が外れたそうです)。 そして、たまたまビオチンの輸送を研究していたベッカーがポスドクとして研究室に加わったのも、要因となりました。ベッカーはビオチンの研究を続けることを希望したので、それではビオチンのレセプターを単離してみようということになりました。そのためにビオチンを定量する必要がありましたが、その当時の技術ではビオチンを定量するには微生物学的手法しかなさそうだったのでした。 それから生体分子の固定化や検出用プローブへの応用を考えると、目的の分子をいかにビオチン化するかが重要なポイントでした。特に、タンパク質をビオチン化する場合、生理学的活性に関わる官能基に結合させてしまうと活性が失われますので、ウィルチェクと博士課程でラボに加わったエドワード・ベイヤーは、アミノ、カルボキシル、糖、チオール、フェノール、イミダゾールなど、さまざまな官能基専用のビオチン化試薬を開発しました。 こうした開発の甲斐あって、原理は相変わらず不明ながらも、アビジン・ビオチン相互作用はアフィニティークロマトグラフィー、分子の検出、細胞での局在を顕微鏡観察するための標識、細胞表面分子の相互作用解析など、さまざまな用途で用いられるようになり、1980年代の終わりにウィルチェクが調べたところでは、30以上の企業が試薬を販売するようになっていました。 ウィルチェクは、アビジン・ビオチンシステムを超える、あるいはその代替になることをうたった論文の査読をしばしば担当していて、どんどん「採用」にしているものの、最初の論文の後、その続報が出てこないと残念そうに述べています。 アビジン・ビオチンシステムはまだまだ研究の現場で活躍を続けそうです。 余談の余談生化夜話は元々余談のネタを目的としていますが、さらに余談です。 アビジン・ビオチンシステムは、ウィルチェクの友人にはあまり評判がよくないらしく、開発当初は、面白くないし意味もあまり感じられないと散々なことをいわれ、アビジン・ビオチンシステムを採用したさまざまな実験系が開発された頃にも、もう流行は終わってすぐに廃れるといわれ、最近でも、実験系は移り変わっていくものだ、といわれているのだとか。 ウィルチェクは多数の賞を受けていますが、アフィニティークロマトグラフィーに対するものが大半のようです。筆者がアビジン・ビオチンシステムについて質問したところ「アビジン・ビオチンシステムの開発について聞いてくれたのはあなたが最初だ」とのことでした。返事をいただけるかなとドキドキしながら質問した筆者は、逆に感謝されてしまい驚きました。 アフィニティークロマトグラフィー開発の後、ウィルチェクはファルマシアのアドバイザーに就任しました。リガンドカップリングや定量、担体の活性化についてアドバイスしていました。また、Biacore™のあるセンサーチップについて難航していた時にも呼ばれ、長い会議の末にカルボキシメチルデキストランにストレプトアビジンをカップリングすることを提案して採用されたそうです(筆者注:Sensor Chip SAのことではないかと思います)。 研究には関係のない話ではありますが、ウィルチェクは1935年ワルシャワの生まれです。ウィルチェクたちはナチス・ドイツの迫害から逃れるために脱出しますが、逃れた先のソ連で今度はシベリア送りになってしまいました。ナチス・ドイツとソ連、その両方のユダヤ人迫害から生還し、研究者になって長く使われる手法の開発に貢献した、というのは小説でもなかなかない物語かと思います。 謝辞本稿の執筆に際し、当時の状況に関する筆者の質問への回答や、一部資料の収集において、ワイツマン科学研究所のメイア・ウィルチェク教授にご協力いただきました。この場を借りてお礼申し上げます。 参考文献
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