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生化夜話 第7回:3ジョン+1トニー→?入れるだけなら簡単だけど水素は炭素と違って有機化合物の骨格に組み込まれているわけではないので、水素の同位体である3H(トリチウム)で化合物を標識すること自体は、そう難しいことではありません(とりあえず化合物のどこかが標識されればよし、というレベルであればですが)。 一番はじめに考案された標識法は、トリチウムガス(3H2)を満たした容器に化合物を数日から数週間入れておくだけという大変簡単なものでした。開発者であるケネス・ウィルツバッハの名前からウィルツバッハ法と呼ばれるこの手法は、化合物のどの水素がトリチウムに置き換わっているのか、まったくわからないという問題がありました。しかし、トリチウムガスと化合物に含まれる水素の間でアイソトープ交換が生じるのを待つだけというのは、非常に簡単であることから、初期の研究ではかなり使われたようです。 カルビンの14Cを使った光合成の研究のように、藻類などの生きた細胞を使って通常の元素の代わりに放射性同位体を化合物に取り込ませる方法をとることも考えられます。しかし、細胞を使って合成するには、トリチウム水で培養液をつくるために大量のトリチウムが必要となり、研究予算が圧迫されます。また、有機化合物の骨格に入れる必要はないので、14Cよりも標識すること自体は容易です。こうした理由から、生物を使ったトリチウム標識化合物の生産は、ごく一部を除いて行われませんでした。 14C標識化合物の中には、藻類を使って合成しなければならないものもあり、The Radiochemical Centreには培養用のタンクが設置されていました。 ところで、細胞の中で生じている反応の研究では、基質が反応の結果としてどのような化合物になるかを調べるだけでは十分ではなく、その系の中で段階的に生じてゆくであろう反応の過程を明らかにしなければなりません。そのような過程を調べるには、化合物の構造は重要な情報です。したがって、ある化合物の特定の場所がトリチウムに置き換わっていると「わかっている」ことは、生化学的な反応系を調べるためのトレーサーとして使うためには大変重要な条件となります。 その他にも、さまざまな触媒を使ったアイソトープ交換や電磁波を使う方法など、1950年代から1960年代にかけて、多様な手法が考案されますが、化合物中のトリチウム標識の位置については、簡便かつ明確な結果が得られる方法がありませんでした。 もちろん、最初からトリチウムを材料にして目的の化合物を合成してしまえば、標識の場所も数も自由に決められますし、確実でもありますが、合成をトリチウムガスやトリチウム水からはじめることになるので、この手法もあまり使われなかったようです。 TRC、針路変更前々回、14Cの製造で紹介したイギリス国営の同位体製造企業The Radiochemical Centre(TRC)には、化合物の合成を行う有機化学部があり、1950年代の後半までは14Cに集中していました。しかし、1958年にまだ20代の若い化学者アンソニー(トニー)・エヴァンスが加わってから状況が変わりました。エヴァンスを中心としたトリチウムプロジェクトが結成され、彼らは多岐にわたるトリチウム標識化合物を作り出してゆきました。 TRCのトリチウムプロジェクトの研究室では、有機化合物にトリチウムを導入するために、多くの手法が開発されました。前述のウィルツバッハ法の変法なども用いられていたものの、エヴァンスが重視したのは触媒を用いた水素・トリチウム交換で、そのための触媒の研究に熱心に取組みました。その結果多くの触媒が開発されることになりますが、その評価で頭を抱えることになりました。 余談になりますが、エヴァンスは、たいへん活動的な研究者で、彼が著者・共著者となった論文は、生涯で100を超えるほどです。しかし、意外なことに彼の趣味はガーデニングでした。 エヴァンスが11歳になるかならないかという1942年、彼の父親は当時イギリス領だったシンガポールにおり、日本軍によるシンガポールの占領にともなって捕虜になってしまいました。働き手を失って困窮した一家は、必要とする野菜や果物を家庭菜園で育てて暮らしました。この時、エヴァンス少年は庭いじりの楽しさに目覚めてしまったらしく、ガーデニングを一生の趣味とすることになりました。彼の庭には150種を超えるバラが咲き誇っていたそうです。 3ジョン+1トニー→トリチウムNMRロンドン近郊のサリー大学にいたジョン・ジョーンズは、塩基性の高い担体を使うと水素とその同位体の置換速度が大幅に向上することを発見しました。ジョーンズは、当時のTRCの有機化学部責任者であるジョン・キャッチに結果を手紙で知らせました。手紙を受け取ったキャッチは、ジョーンズにエヴァンスを紹介しました。 エヴァンスはジョーンズの結果に興味を示しましたが、その当時、エヴァンスは合成とは異なるテーマで悩んでいました。エヴァンスの頭を悩ませていたのは、開発している触媒が狙い通りの効果を発揮しているかを評価するために、どうしたら簡単にトリチウムで標識された場所を調べられるのか、という問題でした。できあがった化合物を化学的に分解してゆくことで調べられなくはありませんが、それでは時間がかかりますし、せっかくの産物の一部を使ってしまうことにもなります。エヴァンスは、各地の大学を訪れて相談していたようですが、得るものはありませんでした。 ちょうどその頃、学生時代のエヴァンスを大学院生として指導していたこともあるジョン・エルヴィッジが、サリー大学の教授に内定していました。ここにジョン・キャッチを通じてエヴァンスと知り合ったジョン・ジョーンズ、エヴァンスの先輩であったジョン・エルヴィッジの間の協力関係が成立し、やがてトリチウムNMRとして実を結ぶことになる共同研究が始まりました。 まったくの偶然だと思いますが、エヴァンスを除くキーパーソンが、ことごとく「ジョン」です。イギリス人を「ジョン・ブル」と呼ぶことに何となく納得してしまいます。 トリチウムNMR核磁気共鳴分光法(nuclear magnetic resonance spectroscopy、NMR)は、外部静磁場中の原子核がある特定の周波数の電磁波と共鳴する現象(核磁気共鳴)を利用して、分子の構造などを調べる技術です。その登場は早く、1945年にスタンフォードのブロッホとハーバードのパーセルが、それぞれ実験に成功しており、1952年に彼らはノーベル物理学賞を受賞しました。NMRは化合物の構造を知るためのもっとも強力な手法となり、有機化合物の研究では、特にプロトン(1H)NMRと13C NMRが使われるようになりました。 トリチウムのNMRを最初に行ったのは、タイアーズで、1964年にトリチウム化したエチルベンゼンのスペクトルを報告しています。ただ、タイアーズ自身はトリチウムNMRの開発を目指していたわけではなく、NMRにおけるコンタミネーションを主とした内容でした。また、タイアーズの研究は、トリチウムNMRの可能性を示したものではありましたが、トリチウム標識化合物の検査に使えるようなものではありませんでした。 それから数年、トリチウムNMRについての論文が出されることもありませんでした。当時の技術では感度が低く、大量のトリチウム化合物が必要になることから、ほとんど関心を持たれなかったのです。そんなトリチウムNMRを改良できないかとアイディアを出したのがエヴァンスで、現場での技術改良にはジョーンズとエルヴィッジがあたっていたようです。 NMRに使うマイクロセルの形状の変更など、多くの改良を経てトリチウムNMRは実用化され、トリチウム標識の位置の確認だけでなく、生化学プロセスの研究などさまざまな分野で使われるようになりました。ジョーンズ、エルヴィッジ、エヴァンス、そしてエヴァンスの同僚でトリチウムプロジェクトメンバーのチャンバースが執筆した、トリチウムNMRについてのレビューは、TRCから広く配布され、論文等でトリチウムNMRの開発について記述する際に、今日でも頻繁に参考文献として引用されています。 その後トリチウムNMRの改良に取り組んだジョーンズは、その後トリチウムNMRを応用した初期の放射化学研究の中心人物となりました。また、ジョーンズも国際アイソトープ学会の会長を務めています。 エヴァンスは、技術指導や技術書籍の執筆、初代会長に就任することになる国際アイソトープ学会の設立への取り組みなど、忙しい日々を送る一方、多数の論文も執筆しました。後の1981年の論文では、エヴァンスは、触媒反応によるトリチウム標識をトリチウムNMRで評価する際に、トリチウム標識の位置とその量を直接測定できること、非破壊的でサンプルを化学的に分解する必要がないこと、プロトンNMRよりも高感度であることなど、10項目にものぼる利点をあげています。 14Cに加えて、トリチウムをレパートリーに加えたTRCは、目を見張る勢いで製品数を増やしてゆき、カタログに掲載されている製品が1000を超える世界でも有数の放射性同位体供給メーカーに成長しました。ちなみに、エヴァンスの上記論文が発表された同じ年の5月、The Radiochemical CentreはAmersham™ International Limitedに改称しました。 参考文献
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