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生化夜話 第18回:ニュートンはリンゴの木を眺め、アンソンは試験管を洗った

汚れた試験管にこの魔法の液体を加えて・・・

スーパーマーケットやホームセンターなどに行くと、実に多種多様な合成洗剤が棚に並んでいます。合成洗剤の代表格といえば、その中でも台所用の洗剤ではないでしょうか。今日では、よりよい台所用洗剤を開発しようと数多くのメーカーが切磋琢磨していますが、もともとの開発者は、主婦の日々の洗い物を楽にするために研究をしていたのではなさそうです。

ひまし油の代用品

トウゴマの種から取れるひまし油は今日でも石鹸の材料として利用されていますが、かつて繊維業界で界面活性剤の原料としても使用されていました。ただ、ひまし油は酸化しやすく安定性もよくないので、繊維業界では酸性かつ水の硬度も高いという悪条件で使える代用品を長い間探していました。

北欧ではスヴェドベリが第一次世界大戦の様相から研究と産業の関係について思索を巡らせていた頃、その戦争の当事者であるドイツでは、海外貿易の途絶によりひまし油を含む油脂が不足していました。そこで、ドイツの化学者たちは、ドイツ国内で豊富に産出される材料から代用品をつくる研究に取り組みました。1917年にひまし油の代用品となる最初の化合物、アルキルナフタリンスルホン酸塩が石炭を材料に合成されました。
しかし、アルキルナフタリンスルホン酸塩は、液体を広がりやすくする湿潤剤としては十分な性能を示しましたが、界面活性剤としての性能は今一つでした。そのため、1918年に戦争が終結して貿易が再開されると、あまり使われなくなってゆきました。

1920年代にやはりドイツの化学者ハインリヒ・ベルチュが、従来の石鹸の欠点は活性化したカルボキシル基にあることを示したことで、合成界面活性剤研究が大きく進展します。彼の報告に基づき、ベーメ(Böhme Fettchemie)とIG・ファルベンがカルボキシル基をブロックする研究を開始しました。
ベーメは高級アルコールを高圧下で水素化したものを硫化するという方法を開発しました。1928年に、ブチルリシノール酸エステルのスルホン酸エステルであるアヴィロール(Avirol)を発売し、これが世界で最初の実用的な合成界面活性剤となりました。続いて、1930年に、同様の高級アルコールの硫酸塩であるガーディノール(Gardinol)も発売しました。
一方、IG・ファルベンは別のアプローチで同じ課題に取り組み、脂肪酸エステルを集中的に研究しました。ベーメから少々遅れて1930年、ヒドロキシエタンスルホン酸の脂肪酸エステルを製品化し、イゲポンA(Igepon A)として発売しました。ただ、これは少々不安定で、1931年に改良型のイゲポンTが発売され、こちらが繊維業界のさまざまな用途に使われました。

これらの合成界面活性剤はドイツ国内に留まらず、世界各国で生産されるようになりました。アメリカではデュポンがガーディノールをデュポノール(Duponol)という名前で販売しました。そして、このガーディノール(デュポノール)の主成分が、ドデシル硫酸ナトリウム(SDS)でした。

こんなことありました

1937年、ヘンリー・ブルとハンス・ニューラスが、卵白アルブミンの表面変性の研究結果を報告しました。それまでのタンパク質の変性に関する研究は熱変性に関するものが主流で、表面変性はあまり研究されていませんでした。彼らはpHや電解質による変性を調べているのですが、その他に界面活性剤の影響も一応調べており、論文の中で少量のSDSを添加したところ、タンパク質が凝固したことを記しています。しかし、研究の主目的である表面変性ではないため、実験中に起こった現象としてとりあえず記載されているだけで、それ以上の調査はしていません。
また、翌1938年には、スリーニヴァーサヤとピリーが、SDSを使うとタバコモザイクウイルスの大きなタンパク質が、小さなパーツに分かれることを報告しています。

流し台で見た夢

生化学の教科書でタンパク質の立体構造を学ぶ際に必ずお目にかかる言葉の一つに、ジスルフィド結合があります。
1930年代には、2つのシステインのSHとSHが架橋してS-Sの結合を形成して立体構造を維持している、などという話はもちろんありません。しかし、現象として

  • 組織からの抽出物に含まれるペプチドにはSH基がある。一方、タンパク質にはあまり含まれない。
  • ネイティブのアルブミンからはSH基は検出されないが、変性したアルブミンからは検出される。
  • ネイティブのアルブミンには、S-S結合がある。

といったことはわかっており、SH基とS-S結合はタンパク質の凝固に関係があると考えられるようになりました。そこから発展して、タンパク質の化学的変化の指標としてSH基とS-S結合の定量が試みられるようになり、いろいろな定量法が考案されました。

そして1939年、ロックフェラー研究所のモルティマー・アンソンが2本の論文を発表しました。1本目は、アルブミンを還元剤として使ってヘキサシアノ鉄酸塩を還元し、その量を計測することで SH基とS-S結合を定量しようという、定量法の提案でした。その論文の中で、アルブミンの変性に デュポノールPCという界面活性剤を使用したと書いています。アンソンは、それまで変性に使っていたウレアよりはるかに効率がよいと、デュポノールPCの効果の程を書いていますが、では何でデュポノールPCなのかというところはちゃんと書いていません。その理由は、同じ年に少し遅れて出版された論文に書かれていました。

*まったくの余談ですが、組織からの抽出物に含まれるSH基について、当初は遊離したシステインだと思われていましたが、1920年代にホプキンスがペプチドであることを明らかにし、SH基を含むこのようなペプチドを「グルタチオン」と命名しました。

ヒラメキの瞬間

ニュートンはリンゴが木から落ちるところを見て万有引力を思いついたという、逸話(どうやら作り話のようですが)がありますが、アンソンにとってのその瞬間は、試験管を洗っているときに訪れました。

アルブミンの前に、アンソンはヘモグロビンの変性の研究もしていました。その実験の後始末にトリクロロ酢酸で沈殿させたヘモグロビンがくっついた試験管を洗おうとしていた彼は、合成洗剤がヘモグロビンの沈殿を溶かしてしまうことを発見しました。ここで、アンソンは洗剤がタンパク質の変性剤になるのではないかと思いつきました。合成洗剤は、中性から酸性の水溶液に溶けやすいので、タンパク質研究の試薬として使えればとても便利です。デュポノールやイゲポンなど、さまざまな合成洗剤でヘモグロビンを変性させてみて、変性剤としての効果を比較した結果をまとめて報告しました。合成洗剤はどれも変性剤として十分な性能をもっていましたが、デュポノールPCはその中でも特に強力なものの一つで、8 Mウレアでも時間のかかるヘモグロビンの変性が、0.0008 MのデュポノールPCではすぐに終わってしまう、とアンソンは絶賛しています。

ちなみに、アンソンはプロテアーゼ活性の測定法の研究でも活躍し、今日でもProteinase Kなどの活性の表記にたまに見られるAU(Anson Unit)という表記に、その名前を残しています。

再び繊維産業で

アメリカ国立標準局のジャシント・スタインハートが、酸性の色素との反応を考えるのに必要な解離定数を求めるために、羊毛の滴定曲線をつくる研究を行いました。その研究で、デュポノールの主成分であるSDSがタンパク質に対して高い親和性をもつことが示されました。

その後、1940年代にSDSなどのイオン性界面活性剤とタンパク質の相互作用が物理化学分野の研究者によって集中的に研究され、やがて界面活性剤はタンパク質研究の定番試薬として定着してゆくことになりました。

参考文献

  • Mirsky A. E. and Anson M. L., Sulfhydryl and disulfide groups of proteins. I. Methods of estimation, Journal of General Physiology, vol. 18, no.3, 307-323 (1935)
  • Bull H. B. and Neurath H., The denaturation and hydration of proteins. II. Surface denaturation of egg albumin, Journal of Biochemical Chemistry, vol. 118, 163-175 (1937)
  • Anson M. L., The reducing groups of egg albumin, Science, vol. 90, no. 2328, 142-143 (1939)
  • Anson M. L., The denaturation of proteins by synthetic detergents and bile salts, Journal of General Physiology, vol. 23, 239-246 (1939)
  • Steinhardt J., Fugitt C. H. and Harris M., Further investigation of the affinities of anions of strong acids for wool protein, Journal of Research of the National Bureau of Standards, vol. 28, 201-216 (1942)
  • Kastens M. L. and Ayo J. J., Pioneer Surfactant, Industrial & Engineering Chemistry, vol. 42, no. 9, 1626-1638 (1950)
  • 高木俊夫, 電気泳動の歴史, バイオサイエンス最前線'97増刊号, アトー株式会社 (1997)
  • Oxford dictionary of biochemistry and molecular biology, Oxford University Press (2006)

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