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Dr. 近藤のコラム 2D-DIGEの熱い心
「生涯道場編」 ~戦うプロテオーム研究~

(つづき)

道場:ミシガン大学留学編、1998年~2001年

難波正義先生は「研究者は留学するのが当然」というお考えで、自分も家内が大学を卒業するタイミングで留学を考えていた。白状すると、その当時はタンパク質の研究なんてやめてしまおうと思っていた。今もそうなのだが、スポットに対応するタンパク質として転写因子や受容体そのものが同定されることはまずない。PCRを使ってばんばん新しい重要な遺伝子がクローニングされているのを論文や学会で知っていたので、研究者としての先行きに不安を感じていた。助手として指導していた大学院生にも逃げられ(「先生、これからは遺伝子の時代なんですよ」)、悲しい気持ちだった。

留学先の候補として論文を見て方々に手紙を出して、唯一採用されたのがミシガン大学のSamir Hanash教授のラボである。Hanash教授はミシガン大学の小児科の教授を兼任しており、よく病棟に出かけていた。彼は後にHUPO(Human Proteome Organization)を創設するのだが(初代会長)、当時はそれほど有名ではなかったのではないかと思う。あまり知られていないことだが、IPGゲルを二次元電気泳動に応用するアプリケーションは、彼のラボでAngelika Gorgによって開発された。ラボには試作品のMultiphor IIらしきものが実験室の片隅に何台も転がっており、不思議に思って古参のスタッフに聞いてわかったことである。

Hanash教授のラボでは、ゲノムについてはDNAのメチル化や増幅・欠損を網羅的に調べるということでRestriction Landmark Genomic Scanning法を、トランスクリプトームについてはマイクロアレイを、そしてプロテオームについては二次元電気泳動法を、と3つのレベルで一つの疾患を調べていた。

自分は彼のラボでは二次元電気泳動で何かをするつもりは全くなかった。タンパク質を扱うのはもういい加減止めにして他のことを始めたかった。しかしそういう動機は採用される前には黙っておいて、今まで自分が二次元電気泳動法をやってきてたいへんハッピーだったこと、次はDNAのメチル化をやりたいこと(実は何でもよかったのだが)、ゆくゆくはゲノムからプロテオームまで包括的に調べたいことなどをポジティブに手紙に書き、首尾よく採用された。最後の動機は今もって継続しているので、ここだけは本当の気持ちだったのかもしれない。

Hanash教授のラボは今までで一番しんどい「道場」だった。それまでしたことのないDNAのメチル化の研究である。メチル化とは?というあたりから勉強を始めた。ここで語ることはあまりないのだが、今までの経験すべてを捨てて研究分野を変えようというのだから相当がんばって実験をした。一からすべて英語で勉強するというのもこのときが初めてだった。まったく新しい分野に入るときは体力が勝負かもしれないと今にして思う。当時のHanashラボでは夜2時、3時まで働くポスドクが何人かいて、Hanash教授自身もその時間帯に見回りに来たりするなど、ちょっとクレージーな活気にあふれたラボだった。PIとしてのHanashの立ち振る舞いは今なら理解できるのだが、とにかくたいへんだった。


道場:帰国編、2001年

2年間の留学を終えて元の大学に助手として帰ったのだが、田舎大学で何をするのか暗中模索の状態だった。アメリカでの実験の経験はほとんど役に立たないような気がしていた。留学中の実験は整った研究環境だからこそできていたことである。「蛇口をひねれば制限酵素やアイソトープがじゃぶじゃぶ出てくる」くらいの感覚で消耗品を使い放題使っていたのだが(えっ、自分だけ?)、帰国してそれを続けられるわけではないし、小規模で行ってよい成果が出る気もしなかった。何よりも、同じことをしていたのではHanashラボに一生勝てないということがよくわかっていた。かと言って、いわゆるプロテオーム解析を始めるとしても、質量分析の機械など当時の地方大学が買えるものではなかったし画像解析ソフトすらなかった。ちなみに、Hanashラボでは画像解析ソフトは市販できるレベルのものをラボ内でスタッフが作って使っていたので、ちょっとしたことであればすぐにソフトを作り換えてもらっていた。

二次元電気泳動法にしても、Hanashラボではある技術員が全員の分をすることになっていて、ポスドクはただ彼にサンプルを渡すだけで一週間後にはコンピューターに取り込んだ泳動画像データがもらえる、という研究環境だった。日本だとすべて自分一人でしないといけない。基礎研究は止めて放射線科か麻酔科にでも行こうかと思って同級生のアルバイトについていったりしたものである。予算がなければないなりの研究をするか、と開き直った頃、国立がんセンターから腫瘍プロテオミクスプロジェクト(山田哲司プロジェクトリーダー)の公募が大学にまわって来て、それに応募して運よく採用されることになった。これは実にラッキーだった。


道場:国立がんセンター編、2002~現在

赴任してからわかったのだが、国立がんセンターは本邦最大のがん臨床・研究機関である。普通の大学や病院では考えられない数の患者さんが治療を受けに訪れ、日本のがん臨床・研究をリードする機関として機能している。

プロテオーム解析についても、厚生労働省として初めての本格的導入ということで最新の機械を購入することができた。それでもプロテオーム解析でHanashラボに勝つには相当な工夫が必要だと感じていた。ミシガン大学も米国の癌センターの一つであり、臨床検体はいくらでも全米から集まっていたので、臨床検体を使っているだけでは勝ち目がない。研究資金は彼のラボには使いきれないほどある。後発の強みとしてHanashラボがもっていなかったところに力を入れた。と言っても当時はそのように意識してしたわけではなく、結果的にそうなった。

まずは2D-DIGE法の立ち上げだった。彼のラボでは昔ながらの銀染色でスポットを検出し、一枚一枚CCDカメラでゲル画像を撮影していた。今思えばいかにも旧時代のプロテオーム解析である。

2D-DIGE法は難なくできるようになった。二次元電気泳動法さえできれば何も難しいことはない。しかし当時はミニマルダイしかなかった。「アマシャム(現Cytiva)は超高感度の蛍光色素を開発したのだが市販するかどうかまだ決めていない」という話を聞き、レーザーマイクロダイセクションに使いたいのでその蛍光色素の試供品が欲しい旨をR&Dの方に手紙を書き、少量を分けてもらった。その超高感度の蛍光色素はシステイン残基をラベルするもので、感度は銀染色の数10倍ということだった。レーザーマイクロダイセクションで回収した細胞からタンパク質を抽出して標識する実験は思いのほかてこずったが、染色法を工夫して最後は解決できた。この超高感度の蛍光色素は今ではサチュレーションダイという名前で市販されている。

同時期にマイクロアレイの解析に使われるようなデータマイニングの手法をデータ解析に取り入れた。最初はフリーウェアから始めて最後は高額のソフトを購入した。さらに、可能な限り大きなサイズでタンパク質が電気泳動できる電気泳動装置の開発に着手した。レーザースキャナーも無理して台数を増やした。Hanash教授のラボでは電気泳動はある技術員が名人芸的に全員の分を行っていたのだが、タイミングが悪いとかなりの待ち時間が発生してしまうこと、電気泳動はポスドクにはブラックボックスになっていて技術の進歩がないこと、などが問題だと思っていた。

自分の場合はきちんとプロトコール化してラボメンバーの全員ができるようにした。結果的に2D-DIGE法のいろいろな可能性を具現化したシステムができたと思っている。

国立がんセンターに赴任した頃は、実は癌のことはすっかり忘れていた。国家試験以来臨床のことはほとんど勉強していなかったので、忘れるような知識はもともとなかったとも言える。研究所では室長として同年代の医師の研究の指導をすることになっていたのだが、実験はともかく癌のことは医学部の学生レベルの知識しかなかった。当時のリサーチレジデント(呼吸器内科医、現在NIH留学中)からは、「あの頃、近藤先生は肺癌のことは何も知らなかった」と今になって言われたりしている。さまざまな悪性腫瘍のプロテオーム解析をするためにずいぶん勉強をしたが、今でもよくわかっていないことは十分承知している。

筆者のラボは臨床医に気軽に癌のことを相談できる環境になっていて、この点は大きなアドバンテージである。加えて毎週土曜日の午前中は勉強会に充て、各臓器の悪性腫瘍を専門とする臨床医にそれぞれの分野の基礎から最近のトピックスまでを一ヶ月のサイクルでレクチャーしてもらうことにしている。臨床検体を使って癌の研究をする以上、これからも勉強し続けないといけないと思っている。

国立がんセンターに来て5年目にプロジェクトリーダーとして独立が許可された。研究所長からプロジェクトの名前をつけるように言われ、インフォマティクスを掲げることにした(プロテオーム・バイオインフォマティクス・プロジェクト)。バイオインフォマティクスと言っても、インフォマティクス分野は例によって独学。通勤電車の中で本を読んで勉強した。詳細について完全に理解しているわけではない。プロテオームのデータと臨床病理情報を結びつけるにはインフォマティクスが強力なツールだと理解していたので、目標を掲げるつもりでプロジェクトの名前とした。以来3年経ち、今ではインフォマティクスの利点と限界が実戦的によくわかってきた。


道場:現在と将来

現在取り組んでいるのはバイオマーカーの実用化である。実用的なバイオマーカーができれば、多くの癌患者が恩恵を受けることになる。細胞の表現形と密接に関わるプロテオームの研究は、バイオマーカーの宝庫のはずである。Hanash教授とその奥さんのBeretta教授もバイオマーカー開発を行っており、毎年2,3回は必ず世界のどこかでお会いする。私と考えが異なる点として、「実用化のプロセスは基礎研究者が取り組むことではない」と彼らは考えている。「それをし始めたら研究者ではなくなる」とまで言われた。

しかし、研究者が自分で取り組まなければ誰も何もしてくれないというのが日本の現状である。実用化のためにしなくてはいけないことは多い。研究も社会活動の一環であり成果をいつかは還元するべきであること、短期の見返りを期待して投資されている研究費もあることなどが実用化のプロセスを通じて理解できるようになってきた。

趣味の延長のような気分で入った研究生活だが、ここ数年は違うことを考えている。実用化については幸いにしてよい協力者にも恵まれ、実現に近づきつつある。研究の成果を臨床に活かすことで社会に貢献することが現在の一番の目標である。

二次元電気泳動法も質量分析法もそれぞれに特徴があり、一つの技術でプロテオーム解析すべてをまかなうことはできない。どちらが優れているかという議論は、技術の本質が理解されていない。それぞれの欠点を見極め、それらを補うことができる新しい技術の開発が必要である。二次元電気泳動法では観察できないプロテオームを調べるための技術について、さまざまな分野の方と共同で開発を始めている。

Hanash教授は今では二次元電気泳動法ではなく、SDS-PAGEと質量分析法を組み合せた新しい実験系でバイオマーカーを開発している。最初に聞いたときは耳を疑うようなシンプルな実験系だったが、よく考えると実験系の特徴をよくとらえたシステムになっていて、インフォマティクスを駆使して周囲が認めざるを得ない優れた成果を実際に得ている。さすがである。

しかし、二次元電気泳動法を使った研究では、そのうち自分たちの方が彼の過去の成果よりいい結果を出すだろう。後発なのだから勝たなくてはいけない。新しい戦略についても、彼があっけにとられるようなユニークなものを創ってみせる。

気分は「生涯道場」。


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