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DSC(示差走査熱量計)によるタンパク質の熱安定性評価(1)

大阪大学大学院工学研究科生命先端工学専攻
内山 進

タンパク質の熱変性の説明を行う前に、タンパク質の熱変性を理解する際に助けとなる幾つかの熱力学的な説明を最初に記述します。

1.自由エネルギーと状態について ~H2Oの相転移を例として~

2つの状態の間に自由エネルギー差がある場合、エネルギーが低い状態に系は移ります。例えばH2Oの場合、氷点である0℃より高く沸点である100℃より低い温度では、氷よりもエネルギーが低い水として存在し、0℃より低い温度では水よりもエネルギーが低い氷として存在します。0℃では水と氷のエネルギーは等しく、そのため2つの状態が共存することができます。

Gi=Hi-TSi   (1)

Gw=Hw-TSw   (2)

ここで、GiGwは氷と水の自由エネルギー、Hi, Hw, は氷と水のエンタルピー、Si, Swは氷と水のエントロピーです。氷と水のエネルギー差(ΔGiw)は、氷と水のエンタルピー差ΔHiwおよびエントロピー差ΔSiwを用いて

ΔGiw=(Hw-Hi)-T(Sw-Si)=ΔHiw-TΔSiw   (3)

となります。
0℃では氷と水のエネルギーが釣り合うため以下の関係が導き出されます。

ΔHiw=TΔSiw   (4)

この式(4)は氷から水に相転移する際にはエンタルピーとエントロピーが変化することを意味します。
以上は、H2Oの2つの状態に対応するギブス自由エネルギーを温度に対してプロットした図1により容易に理解できます。ここで、傾きはエントロピー、切片がエンタルピーに相当します。温度の上昇に伴い、氷のエネルギーが変化し0℃を超えると水のエネルギーよりも大きくなります。そのため、0℃で氷から水への転移が起こります。この時、エネルギーの温度依存の傾きが変化し(ΔSiw)、同時に切片も変化します(ΔHiw)。そのため、0℃における氷から水への転移はΔHiwに相当する大きな吸熱(潜熱と呼ばれる)を伴います。

 

2.熱容量の測定とエンタルピー変化

ここで、1 gの氷を-20℃からヒーターを用いて加熱して温度上昇させた場合を考えます。氷の比熱は2.09 J/gKなので、2.09 Jを加えると1℃温度が上昇します。0.209 WのヒーターであればW=J/sであるから、10秒間電流を流すと1 Jの熱量(dQ)が氷に加わることとなります。このようにして氷や水を1℃温度上昇させるために必要な熱量である熱容量を測定することができます。圧力一定の条件であればdH/dT=CPであるから、熱容量を温度で積分することで系のエンタルピー変化が得られます。氷を加熱した場合、0℃になると温度上昇が止まり、更なる熱の投入が必要となり、実験的には0℃で大きなCPのピークが観測されることとなります。∫ CpdT=dHから、このピークを積分した値が式(4)のΔHiwに相当します。このΔHiwは氷が水に相転移する際のエンタルピー変化です。ΔHiwを転移温度(氷から水への転移の場合、273.15 K)で割った値がΔSiwとなります。

溶液の安定性について検討する際、溶液全体の自由エネルギーとして把握する必要があります。たとえば、塩などを添加した際の水の凝固点降下を理解するためには、水の安定性として捉えるのではなく、塩が水溶液中に溶解した塩溶液の安定性として理解する必要があります。2つの状態のエネルギー差ΔGが0となる温度は、塩の添加などにより水溶液のエネルギーが変化すれば変化します。例えば、図1に示したように、水溶液相のエントロピーが大きくなると相転移温度は低下します。

Biacore™システムのノイズレベルの向上の歴史
図1 H2Oの水状態と氷状態のギブス自由エネルギー(左)と自由エネルギー差(右)の温度依存性
氷状態の自由エネルギー(Gice)を水色、水状態の自由エネルギー(Gwater)を赤色で記載しました。ここでは水状態のエネルギーの温度依存性が大きくなり、その結果、相転移温度(2つの状態のエネルギーが等しくなる温度、この場合水溶液が凍る温度)が下がったケースを示しました。式から分かるようにエントロピーがエネルギーの温度勾配に相当します。従って、この場合、塩の添加などにより水溶液のエントロピーが上昇し、相転移温度が下がったケースに対応します。
右図はエネルギー差の温度依存性です。この場合、エントロピー差が変化して相転移温度が下がったことが分かります。ただし、氷状態と水状態のいずれの状態のエネルギーが影響を受けたかは分からない点に注意が必要です。

水状態と氷状態のエンタルピー、エントロピーを図示
水状態と氷状態のエンタルピー、エントロピーを図示
図2 水状態と氷状態のエンタルピー、エントロピーを図示しました。水状態のエントロピー上昇(SwSw’に増加)により相転移温度Tcが低下します。実験的には相転移温度(TcあるいはTc’)で潜熱に相当する大きな比熱(CP)ピークが観測されます。

他に、転移温度の変化へとつながるパターンを図3に示しました。いずれもどちらかの相のエンタルピーまたはエントロピーが変化することでΔGが等しくなる温度、つまり、相転移点が変化します。

自由エネルギー変化(左)または自由エネルギー変化の差(右)と相転移温度の関係
図3 自由エネルギー変化(左)または自由エネルギー変化の差(右)と相転移温度の関係
図1と同様、氷状態の自由エネルギー(Gice)を水色、水状態の自由エネルギー(Gwater)を赤色で記載しました。(上)氷状態のエンタルピーのみが変化した場合、(中央)水状態のエントロピーのみが変化した場合、(下)水状態のエンタルピーのみが変化した場合、を表します。図1でも記載したように、自由エネルギー差では図1右と図3(中央)、または図3(上)と(下)が同様のプロットとなり、いずれの状態のエネルギーが変化したかは分かりません。実際のDSCでは天然状態と変性状態のエネルギー差が得られ、両状態のエネルギーそのものは分かりません。従って、変異導入などにより、どちらかの状態のみが変化したと解釈するためには一定の仮定が必要です。

 

3.タンパク質の熱安定性の概要

通常、生体内で機能を発揮するタンパク質は特定の立体構造をとっていますが、温度の上昇など周囲の物理的環境やpHの低下や変性剤の添加などの化学的変化により変性します。タンパク質溶液の温度を上昇させると、タンパク質の熱変性に伴って吸熱反応が観測されます。こうしたタンパク質の熱変性も以下の点に留意すればH2Oの相転移と類似の考え方で理解できます。

  1. タンパク質には天然状態と変性状態があり、転移温度以外では両者のエネルギーは異なります。
  2. タンパク質の安定性とは、天然状態と変性状態の両者のエネルギー差に対応します。つまり、天然状態の方が変性状態よりもエネルギーが低い=天然状態が安定、あるいはその逆も正しい、となります。
  3. タンパク質溶液の場合、変性しても相分離を起こさずに均一の相を形成します。これは、水と氷が異なる相を形成するH2Oの相転移とは異なります。
  4. タンパク質溶液では、天然状態と変性状態が共存し、両者の間には化学平衡が成り立っています。従って、系全体のエネルギーには天然状態と変性状態の両者のエネルギーが寄与します。

3. に記載したように、タンパク質は熱変性前後で相分離しないことから、タンパク質の熱変性を相転移と呼ぶのが相応しいか検討の余地がありますが、過熱現象や過冷却状態といった状態が観測されることから、本稿では、相転移として捉えた場合の説明を行います。また、変性したタンパク質同士が凝集し、沈殿形成など相分離を起こすことがありますが、こういったケースは平衡論だけでは理解が困難なため、今回は取り扱わないこととします。

天然状態のタンパク質は温度の上昇に伴い変性状態へと変化します。この過程を示差走査熱量計で観測した結果が図5です。ここで縦軸はExcess heat capacityとよばれ、リファレンスセルに投入した溶媒とサンプルセルに投入したタンパク質溶液との熱容量の差に対応します。

自由エネルギーと熱容量
自由エネルギーと熱容量
図4 水と氷の相転移のように転移前後で不均一となる系の自由エネルギーと熱容量(左)とタンパク質の転移のように広い温度に渡って2つの状態が共存し均一となっている系の自由エネルギーと熱容量(右)を図示しました。

シトクローム溶液の熱容量の温度依存性
図5 シトクローム溶液の熱容量の温度依存性
天然状態から変性状態への熱転移に伴う吸熱ピークが観測されます。2つの状態のエネルギー差によって決まる平衡定数に従って2状態の量比が温度と共に変化するため、比較的幅の広いピークとなります。CP,Nは天然状態が持つ熱容量、CP,Dは変性状態が持つ熱容量です。実線は2状態熱転移でピークを非線形フィッティングした結果です。CP,baseは溶液中のシトクロームが持つ熱容量(ベースライン)であり、2状態の量比の変化も考慮した値となっています。転移ピークからベースラインを差し引いて積分した値が変性に伴う全エンタルピー変化です。

この場合、60℃以下では大部分が天然状態をとり、60℃から100℃の間で変性が起こり、100℃以上では大部分が変性状態をとります。変性に要したエンタルピーは∫CPdTにより得られ、カロリメトリックエンタルピー(ΔHcal)とよばれます。ここで、天然状態のエネルギーが下がるか、変性状態のエネルギーが上がれば、天然状態と変性状態のエネルギー差が大きくなり、変性温度は上昇します。そして、氷から水への相転移と同様、天然状態のエネルギーが下がる場合、天然状態のエンタルピーが小さくなるか、あるいは天然状態のエントロピーが大きくなる、のどちらかまたは両方が同時に起こるケースが考えられます。


相互作用解析の王道」について

相互作用解析の王道」は、2009年8月よりバイオダイレクトメールでお届けしています。

連載記事一覧
タイトル 配信
ご挨拶 連載「相互作用解析の王道」を始めるにあたって 2009年8月
第1回 原理:其は王道を歩む基礎体力 2009年10月
第2回 実践編その1:抗シガトキシン抗体の相互作用解析例 2009年12月
第3回 対談:アフィニティーを測定する際の濃度測定はどうする? 2010年2月
第4回 実践編-2:相互作用解析手法を用いた低分子スクリーニング その1 2010年4月
第5回 実践編-3:核酸-タンパク質相互作用の熱力学的解析 2010年8月
第6回 概論:タンパク質/バイオ医薬品の品質評価における、SPR/カロリメトリーの有用性 2010年11月
第7回 抗体医薬開発の技術革新~物理化学、計算科学との融合~ 2011年5月
第8回 対談:バイオ医薬品の品質管理技術の発展性~相互作用の観点から~ 2011年8月
第9回 対談:バイオ医薬品の品質管理技術の発展性~タンパク質の構造安定性の観点から~ 2011年9月
第10回 実践編-4:フラグメントライブラリーの測定におけるSPR/ITC戦略の実効性と効率的活用法(1) 2011年10月
第11回 実践編-4:フラグメントライブラリーの測定におけるSPR/ITC戦略の実効性と効率的活用法(2) 2011年12月
参考 用語集  
〈応用編〉連載記事一覧
タイトル 配信
第1回 抗体医薬リードのカイネティクス評価手法の実例 2012年5月
第2回 細胞表面受容体の弱く速い認識を解析する 2012年7月
第3回 SPRを用いた分子間相互作用測定における、“低”固定化量の重要性 2012年8月
第4回 DSC(示差走査熱量計)によるタンパク質の熱安定性評価(1) 2012年9月
第5回 DSC(示差走査熱量計)によるタンパク質の熱安定性評価(2) 2012年10月
第6回 「ファージライブラリによるペプチドリガンドのデザインにおける相互作用解析」 2012年11月
第7回 SPRとITCの競合法を用いたフラグメント化合物のスクリーニングとキャラクタリゼーション 2012年12月
第8回 DSC(示差走査熱量計)によるタンパク質の熱安定性評価(3) 2013年2月
第9回 熱分析とタンパク質立体構造に基づくリガンド認識機構の解析 2013年3月
〈最終回〉
最終回 連載「相互作用解析の王道」を終えるにあたって ~3年間を振り返って、そしてこれから~ 2013年4月

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